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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第十六章 パテーの戦い/イタリアとドイツの神学者の考察/ジアンの軍勢

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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【この章のポイント】
パテーの戦いにおける勝利とジャンヌの役割
- シャンパーニュ遠征の決定
- 外国から見たジャンヌの評価と外交状況

16.1 パテーの戦い(1)タルボットとファストルフの軍議

 6月9日にパリを発ったジョン・ファストルフは、兵士5000人を率いてボース平野を通過していた。ジャルジョーに駐留するイングランド軍に、大量の食料と矢を運ぶ途中だった。

 ところが、道中でその町が降伏した知らせが届いたため、彼はエタンプに物資を残してジャンヴィルへ進軍した。そこで、ジョン・タルボットが槍兵40人と弓兵200人を率いて合流した。[1267]

⚠️吉江よしえ孤雁こがん氏の旧日本語訳版では「四千の槍兵」と翻訳されているが、原文が「forty lances」なので「槍兵40人」が正しい。

 さらに、彼らは、フランス軍がムンの橋を占拠し、ボージャンシーを包囲したことを知った。

 ジョン・タルボットは、ボージャンシーの住民を救出するために進軍し、神と聖ジョージ(イングランドの守護聖人)の助けを借りて彼らを救いたいと望んだ。

 しかし、ジョン・ファストルフは、リチャード・ゲシンとその守備隊を運命に任せようと助言した。彼は、今は戦わない方が賢明だと考えた。

 彼は、自軍の兵士たちが恐れを抱き、フランス軍が勇気に満ちあふれているのを見て、自分たちにできる最善策は「残された町、城、要塞に拠点を築き、そこで摂政が約束した援軍を待つ」ことだと判断した。

「フランス軍と比べて、我らはほんのわずかな兵力しかない」

 ファストルフは言った。

「もし運が我らを見放せば、亡きヘンリー王(ヘンリー五世)が多大な努力と長い年月をかけて勝ち取った征服地をすべて失うことになりかねない」[1268]

 しかし、ファストルフの忠告は受け入れられず、イングランド軍はボージャンシーに向かって進軍した。

 6月17日の金曜日、ボージャンシーの守備隊が馬と馬具、そして一人当たり銀貨1マルク分の財産を持って町から立ち退いたとき、タルボットとファストルフの軍勢はすぐ近くまで来ていた。[1269]

 フランス王の兵士たちは、敵の軍隊が接近していると知り、迎え撃つために出陣した。偵察隊は、馬で遠くまで行かずとも、パテーから1リーグ(約4キロ)離れた平原でイングランドの軍旗(standards)や小旗(pennons)が揺れているのを目にした。

 そこで、フランス軍は敵を観察できる丘に登った。
 ラ・イル隊長と若いテルム卿は、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)に言った。

「イングランド軍が来ている。彼らは戦闘態勢を整え、戦う準備ができている」

 いつものように彼女は答えた。

「大胆に攻撃すれば、彼らは逃げるでしょう」

 そして、この戦いは長く続かないだろうと付け加えた。[1270]

 イングランド軍は、フランス軍が戦いを仕掛けてくると信じて陣を構えた。
 弓兵たちは杭を地面に撃ち込み、先端を敵に向けた。これが彼らの一般的な戦闘準備だった。ニシンの戦いでもそうだった。

 太陽はすでに地平線に沈みかけていた。[1271]

 アランソン公爵は、平原に降りる決意を断じてしなかった。
 リッシュモン大元帥、オルレアンの私生児卿、そして隊長たちの前で、彼は聖なる乙女に相談した。すると彼女は、謎めいた答えを返した。

「良い拍車を用意するように」

 アランソン公は、ジャンヌが「クレルモン伯の拍車」、つまりニシンの戦い(クレルモン伯は待ち構える敵を無視して輸送任務を優先し、顰蹙を買った)のことを言っていると解釈して叫んだ。

「何を言ってるんだ? 我々は彼らに背を向けるのか?」

 彼女は「いいえ」と答えた。
 あらゆる場面で、ジャンヌの「声」は揺るぎない自信を持つように説いた。

「神の名において、敵に向かって下りて行きなさい。彼らは逃げ、留まることはなく、完全に敗北する。そして、あなたはほとんど兵士を失うことはない。だから、彼らを追跡するために拍車が必要になる」[1272]

 神学者や師匠たちの意見によれば、乙女の言葉に耳を傾けることは良いことだが、同時に人間の知恵によって示された道に従うことも良いことだという。

 フランス軍の指揮官たちは、状況が不利と判断したのか、あるいは度重なる敗北の記憶を思い出して正面衝突を恐れたのか、丘から降りなかった。

 あるイングランド騎士2人が、一騎打ちを申し込む使者を派遣すると、フランス軍から次のような返答を受けた。

「今日はもう遅いので、寝ていただいて結構です。明日、神の意志に従って、接近して戦いましょう」[1273]

 攻撃されないと確信したイングランド軍は、ムンで夜を過ごすために平野から立ち去った。[1274]

16.2 パテーの戦い(2)鹿狩り

 翌日、18日の土曜日は、狩人の守護聖人・聖ユベールの日だった。

 フランス軍は、敵陣に向かって出撃したがそこには誰もいなかった。ゴドン(イングランド人への蔑称)は朝早くに陣を引き払い、大砲、弾薬、食料とともにジャンヴィルに向けて出発していた。[1275]

 イングランド軍は、そこで陣を構えて待つつもりだった。

 すぐさま、シャルル王の1万2000人の軍隊[1276]が彼らを追撃するために出発した。パリ街道に沿ってボース平野を越えて進んだ。

 そこは森林に覆われ、獲物が多く生息し、茂みや灌木に覆われていた。野趣あふれる荒れ地だったが、イングランドとフランスの騎兵にとって最高に良い狩場で、彼らはここを絶賛した。[1277]

 視界の先に、大地が遠ざかっていくように見える無限の平原を見渡しながら、ジャンヌは目の前の空、平原特有の雲(霧)に覆われた彼方を見つめた。そこは、空の山々での素晴らしい冒険を連想させ、彼女はこう叫んだ。

「神の名において、たとえ彼らが雲の彼方に隠れてぶら下がっていようとも、私たちは彼らを捕らえるだろう」[1278]

 今、ジャンヌは前夜と同じように予言した。

「今日、私たちの美しい国王は、長い間あり得なかったほどの大きな勝利を収める。私の『声』が、敵はすべて私たちのものだと告げている」

 さらに、「フランス軍の死者はほとんど、あるいは全くないだろう」と予言した。[1279]

 ザントライユ隊長とアルノー・ド・グジェム卿が偵察に出かけた。
 フランス軍でもっとも熟練した兵士たち、その中にはオルレアンの私生児卿とブサック元帥がおり、最高の軍馬に乗って前衛(先鋒)を務めた。
 その後を、この辺りの地理に明るいラ・イル隊長の指揮の下、アランソン公、ヴァンドーム伯、リッシュモン大元帥の騎馬隊が、弓兵とクロスボウ兵とともに続いた。最後尾には、グラヴィル卿、ラヴァル卿、ジル・ド・レ卿が指揮する後衛が続いた。[1280]

 いつも熱心なジャンヌは「前衛(先鋒)に加わりたい」と望んだが、引き止められて後方に留まった。

 ジャンヌが兵士たちを導くのではなく、兵士たちがジャンヌを導くのが常だった。兵士たちは、ジャンヌを軍の指揮官と認めていたのではなく、幸運をもたらす者として見なしていた。
 ジャンヌは大いに落胆したが、もともと配置されていたジル・ド・レ卿の後衛部隊に留まらざるを得なかった。[1281]

 フランス軍全軍が、敵が逃げるのを恐れて前進した。

 猛暑の中、5リーグ(約20キロ)を駆け抜け、サン・シジスモンを左手に通り過ぎ、サン・ペラヴィを越えたところで、ザントライユ隊長の偵察隊60~80人は、それまで平坦だった地面が下り坂になり、道が「ラ・レトレーヴ」と呼ばれる窪地に通じている地点に到着した。

 偵察隊は、実際に窪地の様子を見ることはできなかったが、窪地の向こうでは地面が緩やかに高くなっていた。そして、わずか1リーグ(約4キロ)ほど先に、クリマ・デュ・カンと呼ばれる樹木に覆われた平原にある「リニュロールの鐘楼」がかすかに見えた。

 彼らの視界の先、1リーグ(約4キロ)彼方に、パテーという小さな町があった。[1282]

 時刻は午後2時。
 ザントライユとグジェムが率いる偵察隊の騎兵は、偶然にも鹿を狩るチャンスを得た。追い立てられた牡鹿は茂みから躍り出て、ラ・レトレーヴの窪地へ飛び込んだ。

 すると突然、窪地の底から騒がしい声が聞こえてきた。
 それは、自分たちの手元に落ちてきた獲物を取り合って、大声で言い争うイングランド兵たちの声だった。

 敵の居所を知ったフランス軍の偵察隊は立ち止まり、すぐに部隊の何人かを派遣して、「ゴドン(イングランド兵への蔑称)を奇襲した。戦いを始める好機だ」と軍の本隊に伝えた。[1283]

16.3 パテーの戦い(3)奇襲

 さて、当時のイングランド軍の状況は次の通りだった。

 彼らはジャンヴィルに向かって整然と退却しており、軍の「前衛(vanguard)」は白い旗印(standard)を掲げた騎士が先導していた。[1284]
 次に、商人たちが制御する大砲と食料を積んだ荷馬車が続き、その後にジョン・タルボット卿とジョン・ファストルフ卿が指揮する「本隊(main body)」が続いた。
 追っ手の攻撃にさらされる可能性が高い「後衛(rearguard)」は、イングランド本国から来た兵士のみで構成されていた。[1285]

⚠️当時の軍事用語について補足。
🔸前衛(vanguard):本隊に先行して進み、敵や障害物を察知して対処する部隊。いわゆる先鋒せんぽう。先駆け。
🔸本隊(main body):主力軍。
🔸後衛(rearguard):本隊の背後で退却や防御を担当し、敵の追撃を遅らせる部隊。いわゆる殿しんがり

 後衛部隊は、本隊からいくらか離れていた。後衛の偵察兵は、フランス軍に気づかれることなく彼らを発見し、サン・ペラヴィ村とパテーの町の中間にいたジョン・タルボットに報告した。

 この知らせを受けて、タルボットは停止を命じ、荷馬車と大砲を持っている前衛にリニュロールの森の境界に陣を敷くよう命じた。

 そこは、敵を迎え撃つには絶好の場所だった。森に背にしているため、戦闘員は背後からの攻撃を受ける心配がなく[1286]、前方は防壁代わりの荷馬車を並べてその後ろで身を守ることができる。

 本隊はそこまで進まず、リニュロールの森から少し離れたラ・レトレーヴの窪地で停止した。ここの道沿いは、茂みに囲まれていた。
 ジョン・タルボットは、選りすぐりの弓兵500人とともにそこに陣取り、必ずその道を通るフランス軍を待ち構えた。

 タルボットの計画は、遅れている後衛部隊が本隊に合流するまでこの道で足止めし、その後は茂みに沿って退却して軍に合流するつもりだった。

 弓兵たちはいつものように、先端を敵の馬の胸に向けた「尖った杭」を地面に打ち込んで準備していた。そのとき、ザントライユの偵察兵に率いられたフランス軍が旋風のように襲い掛かり、弓兵たちをなぎ倒し、こなごなに切り裂いた。[1287]

 ジョン・ファストルフは、本隊を率いて前衛部隊に合流しようとしていた。
 フランス騎兵がすぐ後ろに迫っているのを感じ、彼は拍車をかけて全速力でリニュロールの森へ兵士たちを急がせた。

 白い旗印を掲げる前衛部隊の兵士たちは、ファストルフが全力で走ってくるのを見て、敗北したのを悟った。

 彼らは恐れをなし、森の境界に敷いた陣を放棄して、クリマ・デュ・カンの茂みに駆け込み、大混乱のままパリ街道に出た。ジョン・ファストルフは、軍の本隊とともに同じ方向に突き進んだ。

 戦闘はなかった。

 タルボット隊の弓兵たちの屍を踏み越えて、フランス軍はイングランド軍に襲いかかった。羊の群れのように茫然自失としたイングランド軍は、抵抗することなく敵の前に倒れた。

 こうしてフランス軍は、ゴドン(イングランド人への蔑称)が自国からフランスに連れてきて結局殺される運命にあった庶民2000人を殺害した。

 ラ・イルが指揮するフランス軍の本隊がリニュロールの森に到着したとき、そこにはわずか800人の歩兵しか残っておらず、彼らはすぐに打ち倒された。

 今回行軍していたフランス軍総勢1万2000人から1万3000人のうち、パテーの戦い、いや虐殺に参加したのはわずか1500人だった。

 ジョン・タルボットは拍車をつける暇もなく馬に飛び乗ったが、ラ・イル隊長とザントライユ隊長に捕らえられた。[1288]

 トーマス・スケール、ハンガーフォード、ファルコンブリッジ、トーマス・ゲラール、リチャード・スペンサー、フィッツ・ウォルターなどが捕らえられ、身代金と引き換えに解放された。捕虜は全部で1200人から1500人にのぼった。[1289]

 逃亡者を追って、フランス軍の兵士200人足らずがジャンヴィルの門まで追撃した。最初に逃げ出した前衛部隊を除いて、イングランド軍は完全に壊滅した。

 フランス側では、現地にいたテルム卿が「戦死者は自分の部隊の1人だけだった」と述べているが、国王の顧問官兼侍従のペルスヴァル・ド・ブーランヴィリエは「3人だった」と述べている。[1290]

 後衛部隊にいた乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)が現場に到着したとき[1291]、虐殺はまだ終わっていなかった。[1292]

 ジャンヌは、捕虜を何人か引き連れていたフランス兵が、1人の頭を殴りつけ、その捕虜が死んだように倒れるのを見た。

 ジャンヌは馬から下りて、そのイングランド人のために告解司祭を手配した。
 そして、彼の頭を支えながらできる限り慰めた。
 これがパテーの戦いでジャンヌが果たした役割のすべてだった。[1293]
 それこそが「聖なる乙女」の役目だった。

 その夜、フランス軍はパテーの町で過ごした。
 捕らわれたジョン・タルボットは、アランソン公とリッシュモン大元帥の前に引き出され、若い公爵からこう言われた。

「今朝、自分がどうなるかなど、想像もしていなかったでしょう」

 タルボットは「それが戦争の定めです」と答えた。[1294]

 息を切らしたゴドン(イングランド人への蔑称)数人が、なんとかジャンヴィルにたどり着いた。[1295]
 しかし、出発時に金銭と物資を預けていた町の住民たちは、彼らの顔を見るなり門を閉ざし、シャルル王への忠誠を示した。

 ボース平野にある2つの小さな要塞、モンピポーとサン・シジスモンに駐留していたイングランド軍の司令官たちは、そこに火を放って逃走した。[1296]

16.4 パテーの戦い(4)乙女の名声

 勝利を収めたフランス軍は、パテーからオルレアンへ進軍した。
 住民たちは国王の到着を待ち望んでおり、入城に備えてタペストリーを飾り付けていた。[1297]

 しかし国王と侍従(ラ・トレモイユ)は、大元帥による何らかの攻撃的な動きを恐れて——それも根拠のないことではなかったが——いったんシュリー城に身を隠していた。[1298]

 そこから彼らは、6月22日にシャトーヌフに向けて出発した。
 その同じ日に、ジャンヌはサン・ブノワ・シュル・ロワールで国王と合流した。
 国王はいつものように優しく彼女を迎え、「あなたが耐え忍んでいる苦しみを考えると、私は気の毒に思う」と言い、休息を勧めた。

 王の言葉を聞いて、ジャンヌは涙を流した。
 この涙は、国王の丁寧な物腰が示唆する、ジャンヌに対する無関心と不信感から出たものだと言われている。[1299]

 しかし、神に陶酔して啓示を受ける者の涙に、人間の理性で理解できる理由を当てはめて決めつけることを慎まなければならない。ジャンヌの目には、シャルル七世はもっとも神聖な王のような、言葉では言い表せない輝きをまとっているように見えていた。
 ジャンヌは王に、普通の人には見えない天使たちを見せたのだ。王がジャンヌを信じていないなどと、一瞬たりとも思うはずがない。

「ご心配なく」

 ジャンヌは自信を持って言った。

「あなたは王国のすべてを受け継ぎ、もうすぐ戴冠されるでしょう」[1300]

 確かに、シャルル七世は王国を取り戻すために、騎士たちを急いで動かそうとはしていなかったようだ。

 しかし、当時の国王の評議会は、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)を排除しようとは全く考えていなかった。
 むしろ、フランス人を勇気づけ、イングランド人を恐怖させ、そして神、聖ミカエル、聖カタリナがアルマニャック派に味方していることを世に知らしめるために、ジャンヌを巧みに利用しようと決意していた。

 パテーの勝利を善良な町々に知らせる際、王室の評議員(顧問官)たちはリッシュモン大元帥について一言も触れず、オルレアンの私生児についても言及しなかった。[1301]

 彼らは、軍の指導者として王家の血を引く二人の王子、アランソン公とヴァンドーム伯とともに《《乙女》》を挙げた。このようにして彼らは乙女の名声を高めた。

 そして実際、リッシュモン大元帥が乙女を捕らえようとしたことから、ジャンヌは偉大な隊長と同等かそれ以上の価値があったに違いない。

 この企てのために、大元帥は部下の一人であるアンドレ・ド・ボーモンに、かつてラ・トレモイユを誘拐するために雇った人物を任命した。しかし、アンドレ・ド・ボーモンは侍従長(ラ・トレモイユ)の件で失敗したように、乙女の件でも失敗した。[1302]

 おそらくジャンヌ自身は、この陰謀について何も知らなかったのだろう。
 彼女は国王に、大元帥を赦免するよう懇願したが、この願いはジャンヌがいかに何も知らなかったか、その無知さを証明している。

 (ジャンヌの懇願は聞き入れられなかったが)王の命令により、リッシュモン大元帥はパルトネーの領主の地位を取り戻すことができた。[1303]

⚠️リッシュモンとパルトネーの領地について補足:シャルル七世の兄が王太子だった1415年、当時22歳のリッシュモンにパルトネー領有権が与えられたが、同年のアジャンクールの戦いでリッシュモンはイングランドの捕虜となり、その後もパルトネーの前領主が居座っていた。

⚠️さらに補足:リッシュモンは、シャルル七世との仲を取り持つようジャンヌに頼んだが受け入れられなかったため、失望してパルトネーに戻ったといわれている。だが、王と対面できなかったものの、この時点でパルトネー領有権を安泰されたなら、失望うんぬんは関係なく、単に領地委譲の件でパルトネーに行ったと考えられる。また、リッシュモンとラ・トレモイユは宮廷闘争を繰り広げているが、シャルル七世はリッシュモンと距離を置いているものの完全に嫌っているわけではなさそう。

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