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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第十三章 レ・トゥーレル奪還/オルレアン解放

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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【この章のポイント】
- 市民とジャンヌの結束による強行突破
- ジャンヌの負傷と「声」による鼓舞
- レ・トゥーレル要塞の陥落とオルレアン解放

13.1 フランス軍の兵士とオルレアンの民兵

 翌日、5月6日の金曜日、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)は夜明けに起きた。
 従軍司祭に告解(懺悔、罪の告白)し、仲間の司祭と戦士たちの前でミサが歌われるのを聞いた。[1037]

 熱心な町の人たちは、すでに起きて武装していた。
 ジャンヌが告げたかどうかはともかく、ロワール川を渡ってレ・トゥーレル要塞を自分たちで攻撃しようと固く決意していた市民たちは、ブルゴーニュ門に群がっていたが、門は閉ざされていた。

 ゴークール卿が武装兵とともに門を守っていた。

 貴族たちは、市民が作戦の全容に気付いて、むやみに参戦したがる場合に備えて、この予防策を講じていた。

 門は閉ざされ、厳重に守られていた。

 本来ならオルレアンの貴重な宝であるレ・トゥーレル要塞を、みずからの手で戦って取り戻そうと決心した市民たちは、ジャンヌに頼ろうとした。

 聖人の前で門は開き、城壁は崩れる。
 だから、オルレアンの人々は乙女を呼びにいった。

 ジャンヌは率直かつ恐ろしい姿でやって来た。
 まっすぐにゴークール卿のもとへ行き、彼の言葉を聞き入れようとせず、こう言った。

「あなたはこの人たちが出かけるのを邪魔している悪い人です。でも、あなたが望もうと望むまいと、彼らは出かけていき、先日と同じようにうまく行動するでしょう」[1038]

 ジャンヌの声に興奮し、乙女の存在に勇気づけられた市民たちは、「殺せ!」と叫びながら、ゴークール卿と兵士たちに襲いかかった。

 老将は、彼らに何もできないし、自分の考えに同意させることも不可能だと悟ると、みずから彼らに加わった。

 門を大きく開けさせると、市民に向かって叫んだ。

「来なさい。私があなたたちの隊長になろう」

 ヴィラール卿とドーロン卿とともに、門を守っていた兵士たちと町のすべての部隊の先頭に立って出撃した。

 城壁の東にあるラ・トゥール・ヌーヴ(ヌーヴ塔)のふもとに小舟が停泊していた。
 その小舟でイル・オ・トワル(中州)に到着し、そこから小舟2隻をつなげて作った橋で、イル・オ・トワルとソローニュ側の岸辺(南岸)を隔てている狭い支流を渡った。[1039]

 先に到着した者は、放棄されたサン・ジャン・ル・ブランの砦に侵入し、他の者たちを待ちながら砦を破壊して楽しんでいた。[1040]

 全員が渡り終えると、市民たちは陽気にレ・オーギュスタン砦(堡塁)に向かって進軍した。
 この砦は、レ・トゥーレル要塞の正面に位置しており、修道院の廃墟の上にあった。大橋の端にあるレ・トゥーレル要塞を攻撃する前に、その砦を占領する必要があった。

 しかし、塹壕から敵が出てきて、フランス軍から弓2射程分の距離まで前進し、長弓とクロスボウから矢の雨を降らせたので、オルレアンの人々は耐えられなかった。
 市民たちは後退し、小舟で作った橋まで逃げ、川に投げ込まれるのを恐れて、イル・オ・トワル(中州)に渡った。[1041]

 ゴークール卿が率いる兵士たちは、戦争に慣れていた。
 ヴィラール卿とドーロン卿、そして勇敢なスペイン人ドン・アロンソ・デ・パルターダとともに、彼らはサン・ジャン・ル・ブランの斜面に陣取り、敵に抵抗した。

 人数はかなり少なかったが、午後3時ごろにラ・イル隊長とジャンヌが傭兵たちとともに川を渡ってくるまで持ちこたえていた。

 フランス軍が苦戦し、イングランド軍が戦闘態勢を整えているのを見て、彼らは連れてきた馬に乗り、槍を構えて敵に向かって突進した。

 市民も勇気を取り戻し、彼らを追いかけてイングランド軍を押し戻した。
 しかし、砦(堡塁)のふもとで市民は再び撃退された。[1042]

 ジャンヌは激しく動揺しながら、砦から岸辺へ、岸辺から砦へと馬を走らせ、騎士たちを呼んだが、騎士たちは来れなかった。

 彼らの計画は狂い、戦闘の序列は逆転し、態勢を立て直す時間が必要だった。

 ついにジャンヌは、オルレアンの私生児卿、ブサック元帥、ジル・ド・レ卿のバナー旗が島の上にたなびいているのを見た。砲兵隊が到着し、ジャン・ド・モンテスクレール砲兵長(名砲手で知られるメートル・ジャン)はカルバリン砲と砲手たちとともに、攻撃に必要なすべての兵器を運び込んだ。

 兵士4000人が、レ・オーギュスタン砦の周りに集結した。

 しかし、すでに多くの時間を費やしていた。
 彼らの戦いはようやく始まったばかりだというのに、太陽は沈みかけていた。[1043]

 ゴークール卿の兵士たちは、イングランド軍が大橋の端からレ・オーギュスタン砦にいる同胞を援護しに来た場合に備えて、包囲軍を援護するために後方に陣取っていた。

 しかし、ゴークール卿の部隊で口論が起こった。
 ドーロン卿やドン・アロンソのように、持ち場から離れないほうが良いと判断した者もいれば、戦いに参加しないことを恥じる者もいた。そのため、傲慢な言葉や見栄を張るような発言が飛び交った。

 最終的に、ドン・アロンソとある兵士は、どちらが一番手柄を立てるかを競い合うことを、互いに挑み、手を取り合って砦に向かって走り出した。

 メートル・ジャンのカルバリン砲による一斉射撃で、砦の柵が倒壊した。
 すぐに、ふたりの勇者が強引に突入した。[1044]

 ジャンヌは「大胆に突入せよ!」と叫んだ。[1045]
 そして、城壁に軍旗を立てた。ジル・ド・レ卿がジャンヌのすぐ後を追った。

 フランス軍の数は増え続けていた。
 彼らは砦に猛攻撃を仕掛け、すぐに力づくで占領した。
 その後は、ゴドン(イングランド人への蔑称)が立て篭もる修道院の建物を次々と攻撃しなければならなかった。

 結局、レ・トゥーレル要塞まで逃げ込んだ数人を除いて、イングランド兵は全員殺されるか捕らえられた。

 小屋の中で、フランス軍は多くの自軍兵士が監禁されているのを発見した。
 彼らを救出した後、砦に火を放ち、イングランド軍に新たな惨状を知らせた。[1046]

 ジャンヌが、仲間たちが容赦なく行っていた略奪を止めるために、火を放つよう命じたと言われている。[1047]

 勝利を収め、大きな優位を勝ち取った。
 しかし、フランス軍はなかなか自信を取り戻せなかった。
 火の光に照らされた暗闇の中で、初めてレ・トゥーレル要塞の防壁が間近に迫っているのを見たとき、兵士たちは恐れをなした。

「ここを占領するには1カ月以上かかるだろう」と言う者もいた。[1048]

13.2 夜中の軍議と聖女たちの評議会

 貴族、隊長、兵士たちは静かな夜を過ごすために町へ戻った。
 弓兵と市民の大半は、ル・ポルトロー(Le Portereau/ロワール川両岸のオーギュスタン砦(修道院)の西に広がる一帯を指す)にとどまった。
 ジャンヌもまた、翌朝すぐに戦闘を再開できるように、そこに留まりたかった。[1049]

 しかし、隊長たちが馬と従者を野原に残していったのを見て、ジャンヌは彼らに従ってオルレアンへ向かった。[1050]

 カルトロップで足に刺し傷を負い[1051]、疲労困憊で、弱り果てていたジャンヌは、金曜日にもかかわらず、いつもの習慣に反して「断食」を破った。[1052]

⚠️カルトロップ(caltrop):騎馬の通行を妨害するために地上に設置する武器。菱形の鉄びし。

 この件に関してあまり信用できないパスケレル修道士によると、ジャンヌが宿泊先で夕食を終えると、名前の明かされてないある貴族がやって来て、彼女にこう話しかけたという。

「隊長たちは軍議を開きました。[1053] 彼らは、我々がイングランド軍に比べていかに少数であったか、そして神の大きな恵みによって勝利を得たと認識しています。今や町は十分な物資を補給できたので、王からの援軍を待つことができます。したがって、軍議では、兵士たちが明日出撃するのは得策ではないと判断しました」

 ジャンヌは次のように答えた。

「あなたたちは『あなたたちの軍議』をひらき、私は『私の評議会』をひらきました。私を信じてください。私の神の助言が守られ、有効となるでしょう。一方、あなたたちの助言は無に帰するでしょう」

 そして、一緒にいたパスケレル修道士に言った。

「明日は今日よりも早く起きて、最善を尽くしなさい。つねに私のそばにいるように。明日はこれまで経験したことのないほど大変なことになる。明日、私の体から血が流れるでしょう」[1054]

 イングランド軍がフランス軍よりも数が多かったというのは事実ではない。
 それどころか、はるかに少数だった。
 オルレアン周辺には3000人程度しかいなかった。

 また、このとき、国王からの援軍はすでに到着しており、隊長たちが援軍を待っていたというのは矛盾している。

 翌日からレ・トゥーレル要塞への攻撃に着手することをためらっていたのは事実だが、それは、攻撃中に防御が手薄となった町にタルボット率いるイングランド軍が侵入してくることを恐れたためだ。

 オルレアン市民は、サン・ローランへの進軍(当初予定されていた偽装攻撃)を拒否し、全員がル・ポルトローに行ってしまった。

 ジャンヌの評議会は、これらの諸問題について何も言わなかった。
 聖カタリナと聖マルガリータは、なんの心配も恐れも悩みもなかった。
 ああでもないこうでもないと「疑う」ことは恐れることであり、ジャンヌの聖女たちは決して疑わなかった。

 反論されても、ジャンヌの聖女たちは軍事戦術や戦略について何も知らなかった。聖女たちは、ウェゲティウスの『軍事論』を読んだこともなかった。

 だが、もしそれを読んでいたら、町は滅んでいただろう。
 ジャンヌにとってのウェゲティウスは、聖カタリナだった。

 夜の間、町の通りでは、パン、ワイン、弾薬、その他必要なものはすべて、「ル・ポルトローに残っている市民に届けなければならない」という叫び声が上がった。
 川を渡る小舟が絶えず行き来していた。
 男性も女性も子供たちも、前哨基地に物資を運んでいた。[1055]

13.3 市民の願いとジャンヌの約束(1)

 翌朝、5月7日の土曜日、ジャンヌはパスケレル修道士がミサを捧げるのを聞き、敬虔に聖体拝領を受けた。[1056]

 ジャック・ブーシェの家には、行政官や著名な市民たちが集まっていた。
 疲労と不安の夜を過ごした後、彼らは怒りをかき立てる知らせを聞いたばかりだった。

 隊長たちが、レ・トゥーレル要塞の攻撃を延期したがっているという話を聞いたのだ。彼らは大声で「自分たちは売られ、見捨てられ、裏切られた」と叫び、町の人々を助けてくれるよう乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)に訴えた。[1057]

 だが、真相はこうである。

 オルレアンの私生児卿と隊長たちが、夜間にロワール川上流でイングランド軍が大移動しているのを察知した。フランス軍が左岸に気を取られている間に、タルボットがルナール門近くの城壁を攻撃するのではないかと警戒を強めていたのである。

 さらに、日の出とともに、彼らは、イングランド軍が夜のうちにイル・シャルルマーニュ(中州の小島)の南にある前哨基地サン・プリヴェを取り壊したことを知った。[1058]

 これらの状況から考えて、夕方までにイングランド軍はサン・ローランの陣営とロンドン砦(堡塁)に集結するだろうと確信した。

 長い間、オルレアンの人々は「国王の兵士たちは包囲を解くのが遅い」と苛立っていた。実際、隊長たちは、オルレアン市民ほど包囲を終わらせることに熱心ではなかった。[1059]

 隊長たちは戦争で生計を立てているが、市民たちは戦争で命を落とす。
 それがすべてを決定づけた。

 行政官たちはジャンヌに「すでに一歩を踏み出した解放の道筋を、これ以上遅滞なく完了してほしい」と懇願した。彼らは口々にジャンヌに訴えた。

「みんなで話し合った結果を伝えます。私たちは、神と国王から受けた使命を今すぐに成し遂げるようあなたにお願い申し上げます」

 ジャンヌは「神の名において、そのようにしましょう」と言った。
 その後、すぐに馬に乗り、とても古い言い回しを口にして叫んだ。

「私を愛する者は、私に従え!」[1060]

 ジャック・ブーシェの家を出ようとしたとき、アローズ(ニシン科の川魚。特にロワール川で珍重されたアロッサを指す)が届けられた。ジャンヌは微笑みながら主人に言った。

「神の名において! 夕食にいただきましょう。ゴドン(イングランド人の蔑称)を連れて帰って、分け前を食べさせてやります」

 さらに、こう付け加えた。

「今夜は、大橋を通って帰ってきます」[1061]

 この99日間、それは不可能だった。
 しかし、幸いなことに、ジャンヌの言葉はまもなく真実となる。

13.4 市民の願いとジャンヌの約束(2)貴族と傭兵と市民の温度差

 オルレアン市民は早合点しすぎていた。
 タルボットとサン・ローラン陣営のイングランド軍を恐れていたにもかかわらず、貴族たちは早朝にロワール川を渡り、ル・ポルトローで弓兵や民兵とともに夜を過ごした馬や従者たちと合流した。

 オルレアンの私生児卿、ゴークール卿、ジル・ド・レ卿、グラヴィル卿、ギトリー卿、コアラズ卿、ヴィラール卿、イリエ卿、シャイイの領主たち、キュラン提督、ラ・イル隊長、ザントライユ隊長たち全員がそこにいた。[1062]

 乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)も彼らと一緒だった。

 行政官たちは彼らに、防護柵、あらゆる種類の矢、ハンマー、戦斧、鉛(弾薬)、火薬、カルバリン砲(長砲)、大砲、はしごなど、大量の兵器を送った。[1063]

 攻撃は朝早くから始まった。
 攻撃を困難にしたのは、堡塁に立てこもり、塔に陣取ったイングランド兵の数ではなかった。彼らはわずか500人しかいなかった。[1064]

 確かに、彼らはモリンズ卿の指揮下にあり、その下にはポイニングス卿とグラスデール隊長がいた。グラスデール隊長はフランスではグラシダスと呼ばれ、身分は低いが、勇敢さではイングランド軍では第一人者だった。[1065]

 包囲される者から攻撃者に転じた側、オルレアン市民、兵士、弓兵の数はその10倍だった。

 これほど多くの戦闘員が集まったことは、フランス人にとって大きな名誉だったが、これほど大人数を一度に投入することはできなかった。

 騎士たちは土塁に対してはあまり役に立たず、市民は非常に熱心だが粘り強さはなかった。[1066]

 最後に、慎重で思慮深いオルレアンの私生児卿は、タルボットを恐れていた。[1067]

 実際、オルレアンの切羽詰まった状況をタルボットが知っていたなら、フランス軍がレ・トゥーレル要塞を攻撃している間に町を占領できたかもしれない。戦争は常に偶然の連続だが、その日のイングランド軍は協調的な動きをする気配が一切見られなかった。

 とはいえ、この大軍は無敵ではなかった。誰も制御できなかった。オルレアンの私生児卿でさえ、それをどう運用してどう行動に移せばよいかわからなかった。

 当時、戦いの勝敗は、ごく少数の戦闘員の手にゆだねられていた。
 前日の戦いも、2〜3人の男によってすべてが決まった。

 塹壕の前に集まったフランス軍は、数人の兵士がはしごをかけてよじのぼり、攻撃を試みているのを、見物人の大群がぼんやりと見ているような有様だった。

 軍隊の規模にもかかわらず、長い間、攻撃は一連の一騎打ちに終始した。
 最も熱心な兵士が城壁に20回も近づき、20回もの退却を余儀なくされた。[1068]
 死傷者も出たが、多くはなかった。
 貴族たちは生涯ずっと戦争にかかわるため用心深く、傭兵たちは自分の部下を気にかけていたが、市民は戦争の初心者だった。[1069]

 ただひとり、ジャンヌだけが全身全霊をかけて戦いに身を投じていた。
 ジャンヌは絶えずこう言っていた。

「元気を出して。退却しないで。砦はすぐにあなたたちのものになるから」[1070]

13.5 市民の願いとジャンヌの約束(3)負傷とおまじない

 正午になると、誰もが昼食のために引き上げた。
 そして、午後1時ごろ、彼らは再び戻ってきて作業に取りかかった。[1071]

 ジャンヌは最初のはしごを運んだ。
 それを城壁に立てかけようとしたとき、右胸の上の肩をクロスボウの回転矢(vireton)で射抜かれ、矢の半フィートが肉に突き刺さった。[1072]

⚠️回転矢(vireton):飛行中に回転するように羽を斜めに付けたクロスボウ用の特殊な太矢。本書では、一般的な「矢(arrow)」と厳密に使い分けている。

 ジャンヌは自分が傷つくことを知っていた。
 王にそのことを予言し、それでも王はジャンヌを雇わなければならないと伝えた。ジャンヌはそのことをオルレアンの人々に告げ、前日には従軍司祭のパスケレル修道士にも話していた。[1073]

 そして確かに、この5日間、ジャンヌはその予言を実現させるために最善を尽くしていた。[1074]

 イングランド軍は、矢がジャンヌの肉を貫いたのを見て、大いに勇気づけられた。彼らは、魔女が血を流せば、魔性の力はすべて消えると信じていた。

 フランス軍は、大いに悲しんだ。
 彼らは、傷ついたジャンヌを戦場の外れに運んだ。
 パスケレル修道士と小姓のミュゴがジャンヌと一緒にいた。
 ジャンヌは痛みに怯え、恐ろしくて泣いていた。[1075]

 戦闘で兵士が負傷したときによくあるように、兵士たちの一団がジャンヌを取り囲んだ。そのうちの何人かが、ジャンヌに「まじない」をかけようとした。

 兵士たちの間では、傷口に向かって『主の祈り(パーテル・ノステル)』をつぶやいて傷をふさぐのが習慣だった。

⚠️パーテル・ノステル(paternosters):ラテン語で「われらの父」という意味。キリスト自身によって示された代表的な祈りを指す。

 止血のまじないは、呪文や祈祷によって唱えられた。
 特定の『主の祈り』には出血を止める力があると言われ、魔法の言葉が書かれた紙なども使用された。

 しかし、それは悪魔の力に頼り、大罪を犯すことを意味した。
 ジャンヌはまじないをかけられることを望まなかった。

 ジャンヌは「罪だと知っていることや、神の意志に反することをするくらいなら、死んだほうがまし」だと言った。

 しばらくすると、ジャンヌは再び言った。

「私は自分が死ぬことを知っています。しかし、いつ、どのように死ぬかはわからないし、時間も知りません。もし私のこの傷が罪なく癒されるなら、私は完全に癒されることを望みます」[1076]

 手当てをするため、ジャンヌの甲冑は脱がされた。
 矢傷にはオリーブオイルと油脂が塗られ、応急処置が終わると、ジャンヌは泣き叫びながらパスケレル修道士に告解した。

 すぐに、天上の助言者である聖カタリナと聖マルガリータがジャンヌのもとへやって来るのを幻視した。聖女二人は冠をかぶり、甘い香りを放っていた。

 こうして、ジャンヌは慰められた。[1077]
 再び甲冑を身につけ、戦場へと戻っていった。[1078]

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