見出し画像

教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第八章 続・ポワティエのラ・ピュセル

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

⚠️下記プラットフォームで公開中。
- note:各章をマガジンにまとめて投稿。一部有料。
- カクヨム:各話を分割して投稿。少しずつ読みたい人向け。
- pixivFANBOX:原文付き対訳バージョン。支援者限定。


⚠️字数が多い(1万字)ため、訳者の裁量で小見出しをつけています。
⚠️ジャンヌ・ダルク関連の文脈につき、「Virgin」を処女と訳してますが、本来は性別に関係ない言葉なので童貞の男性も含まれます。

【この章のポイント】
- 処女崇拝の歴史的背景と意義
- ジャンヌへの厳格な調査と「処女検査」
- ポワティエの学者たちによる結論と民衆の期待

8.1 処女賛美の歴史(1)古代の巫女

 当時は、知識人から無学な者まで「処女(Virgin)の状態には特別な美徳が宿る」と信じていた。はるか昔から受け継がれてきた信念で、その起源はキリスト教以前にさかのぼる。一部はガリア人とゲルマン人から、また別の一部はローマ人とギリシャ人から受け継がれてきた、太古の遺産のひとつである。

 ガリアの地には、森の白き巫女たちにまつわる神聖な美しさの記憶が今も残っている。霧深い大洋の海辺にあるサン島には、今も時々、九姉妹の影がさまよい、かつては姉妹が命令すると大嵐が吹き荒れたり鎮まったりすると言われた。

⚠️サン島(Island of Sein):フランス北西部ブルターニュ沖にある島。イギリス海峡と大西洋間の商業航路に近いが、海流が速い上に危険な岩礁帯が広がっているため座礁しやすく、古くから海の危険を伝える「船乗りの言い伝え」が残っている。

 人種の黎明期に生まれたこれらの信念によると、予言の能力は処女だけに授けられるという。それは、(トロイアの王女で悲劇の予言者)カサンドラや、(ゲルマン人の女祭司で予言者)ウェレダから引き継がれた遺産である。

 巫女(シビュラ)はイエス・キリストの到来を予言したと言われている。
 キリスト教において、シビュラは異邦人の中で最初にキリストの証人と見なされ、イスラエルの預言者たちの崇高な姉妹として崇拝された。レクイエム『怒りの日(Dies Iræ)』はダビデ王と並んでシビュラについて言及されている。

⚠️レクイエム『怒りの日(Dies Iræ)』:新約聖書『ヨハネの黙示録』に詳述されているキリスト教の終末思想をベースに、西暦1200年ごろに書かれたレクイエム。第二バチカン公会議以降、通常のミサでは使われなくなった。冒頭でダビデとシビュラについて言及されている。ラテン語歌詞と日本語訳は下記の通り。

Dies iræ, dies illa
Solvet sæclum in favilla:
Teste David cum Sibylla

Quantus tremor est futurus,
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus

『怒りの日、それは
 ダビデとシビュラが告げし時
 世界が灰燼に帰すが如く

 審判者が来たりて
 すべてが厳しく裁かれるとき
 人々の震えと恐怖はどれほどのものか』

 彼女たちの予言の名声が、どのような《《信心深い詐欺》》(迷信)によって確立されたのかは、ジャン・ジェルソンやジェラール・マシェと同じく、私たちには知る由もない。

 15世紀当時の神学者たちと同様に、これらの処女・巫女たちを、彼らは「崇拝するが理解しない」諸国民に向けて、真実の言葉を語る者として利用していたと見なさなければならない。

 それが、キリスト教の古代からの伝統的なやり方だった。

 古代キリスト教の最古の教父であるユスティノス、オリゲネス、アレクサンドリアのクレメンスなどは、シビュラの神託をしばしば利用した。ラクタンティウスは異教徒たちと対峙した際に、これらの女預言者を差し向けて異教徒たちを翻弄した。

 聖ヒエロニムスは『ヴァロの言葉(ローマの百科全書)』に従い、彼女たちの存在を固く信じていた。また、聖アウグスティヌスは著書『神の国』の中で、エリトリアのシビュラを紹介し、それによれば、彼女はキリストの生涯を正確に予言したという。

 早くも13世紀には、これらの古代の処女たちは、大聖堂の中で、族長や預言者の隣に居場所を与えられた。

 しかし、彼女たちが多数描かれるようになったのは15世紀になってからで、教会の入口や聖歌隊の舞台に彫像が刻まれたり、礼拝堂の壁やステンドグラスに描かれるようになった。

 それぞれに独特の象徴(シンボル)がある。

 ペルシア人のシビュラはランタンを持ち、リビア人のシビュラは異邦人の暗闇を照らす松明を持つ。
 アグリッパ、ヨーロッパ、エリトリアのシビュラは剣を持って武装し、フリギア人のシビュラは復活の十字架(Paschal cross)を持ち、ヘレスポントス人(ヨーロッパとアジアの間、エーゲ海とマルマラ海を結ぶダーダネルス海峡の古称)のシビュラは開花したバラの枝を持ち、その他のシビュラは予言をあらわす「神秘の目」を模したしるしを掲げている。
 また、クマエ人のシビュラは飼い葉桶を、デル​​フォイ人、サモス人、ティブルト人、キンメリア人は茨の冠、葦の笏、鞭、十字架を掲げている。[775]

8.2 処女賛美の歴史(2)イブと聖母マリア

 キリスト教の構造——「人類は女によって破滅し、処女によって救われる」と表現され、「すべての肉体はイブの呪いに巻き込まれている」という考え方に基づく神秘的秩序——は処女性の勝利を説き、ある教父の言葉を借りれば「肉体の中にありながら肉体のものではない」状態の崇高さにつながった。

⚠️分かりやすく意訳すると、「肉欲に支配されていない状態の人間」を高く評価・称賛しているということ。

 ニュッサの聖グレゴリオスは次のように言っている。

「処女であるからこそ、神は人と共に住むことを許される。
 処女であるからこそ、人は天に向かって飛翔する翼を与えられる」

 不淫(自発的な独身者・禁欲者)であることは、使徒ヨハネを十二使徒の長であるペテロ(初代ローマ教皇)よりも高い地位に引き上げる。聖母マリアの葬儀で、ペテロはヨハネに棕櫚しゅろの枝を渡して、こう言った。

「独身者(処女・童貞)こそが、聖母の棕櫚しゅろの枝を持つにふさわしい」[776]

 西方キリスト教世界全体において、聖母マリア、すなわち「最高の処女」は、12世紀以来、熱狂的な崇拝の対象だった。[777]

 北フランスの壮大な大聖堂(ノートルダム大聖堂)は聖母マリアに捧げられ、被昇天の日には守護聖人の祝日を祝った。

 大聖堂の中央玄関の柱には、聖母マリアとその聖なる神の子が彫刻され、聖母のユリが描かれた。
 時には、罪とその贖い(贖罪)を同時に表現するために、その下にイブが描かれた。アダムの二人目の妻イブが、最初の妻リリスの罪を贖い、聖母(処女)は謙虚な女性たちの地位を高めた。

 大聖堂の玄関上部のティンパヌムには、素晴らしい場面が描かれている。

⚠️ティンパヌム(tympanums):古代建築の用語。ロマネスク・ゴシック建築で入口上部のアーチで形作られた半円形または三角形の部分。

 聖母マリアがひざまずき、その傍らの花瓶には咲き誇るユリがある。
 本を手にした天使が、マリアに「アヴェ(AVE)」と挨拶している。
 それは「エヴァ(EVA)」という名の反転で、「エヴァの名を変える(mutans Evæ nomen)」という意味になる。

 あるいは、マリアは三日月の上に足を置き、最高の天に昇っていく。「彼女は天使の聖歌隊よりも高みに上げられた(Exaltata est super choros angelorum)」

 さらに、マリアはイエス・キリストから尊い冠を授かる。「彼は彼女の頭に貴重な石の冠を置いた(Posuit in capite ejus coronam de lapide pretioso)」

 教会の窓に描かれた着色ガラスの宝石の中には、ダニエルが見た「人の手を使わずに山から掘り出された石」、ギデオンの羊毛、モーセの燃える柴、アロンの芽吹きの杖などとともに、永遠の処女マリアの寓話が描かれている。

 賛美歌、連祷、聖歌の中で表現される、尽きることのないイメージの流れの中で、聖母マリアは神秘のバラ、象牙の塔、契約の箱、天国の門、明けの明星だった。彼女は生ける水の井戸、庭園の泉、壁に囲まれた果樹園、明るく輝く石、美徳の花、甘美なパーム、節制のミルトス、甘い香油だった。

8.3 処女賛美の歴史(3)受難と殉教

 聖人伝集『黄金伝説』では、「処女に恵みと力が宿る」という思想を、豊かで魅力的なイメージで包み込んだ。

 聖人伝の執筆者たちは、イエス・キリストの花嫁——処女をあらわす白い衣と殉教をあらわす赤いバラを身につけた聖女たちを、特別な愛情を込めて賛美した。

⚠️黄金伝説(Golden Legend/Legenda aurea):1267年頃に完成した聖人伝集。イエス・キリスト、聖母マリア、大天使聖ミカエルをはじめ、100人以上の聖人たちの生涯が記されている。中世ヨーロッパでは聖書に次いで広く読まれ、新約聖書の続編と位置付けられていた。

 その中でも、もっとも豊かな恵みの奇跡が起こったのは、処女たちの受難の場面だ。
 天使たちは、カエサリアの聖ドロテアに天上のバラを降らせ、それを処刑人たちの頭上に撒き散らした。

 処女の殉教者たちは、猛獣に対してその力を発揮する。
 円形闘技場コロッセオのライオンは、聖テクラの足をなめた。
 サーカスの野獣たちは、互いに集まって尾を絡ませて、聖エウフェミアのために玉座を用意した。
 穴の中では、コブラが聖クリスティーナのために美しい首飾りを作った。

 処女の殉教者たちが、その慎み深さのために苦しめられ、苦痛に耐え忍ぶことは、神の配偶者の望みではない。

 処刑人が聖アグネスの衣服を引き裂くと、髪が伸び、彼女の体は奇跡の衣で覆われた。
 聖バルバラが裸で通りを連行されるときには、天使が白いチュニックを持ってきた。

 聖アグネス、聖ドロテア、聖カタリナ、聖マルガリータなど、この無垢な征服者の軍団は、「武装した男たちよりも処女の奇跡は強い」と信じるように、人々の心を啓蒙した。

 パリの守護聖人・聖ジュヌヴィエーヴは、禁欲と祈りによって、フン族の王アッティラと蛮族の戦士たちをパリから追い払ったのではなかったか?

 当時から広く知られていた『貴婦人と一角獣』の寓話は、処女の状態を保つと特別な美徳が宿るという信念を生き生きと表現している。

 一角獣(ユニコーン)は、半身が山羊で、半身が馬の姿をしており、全身が真っ白で、額に素晴らしい剣を持っている。
 狩人たちは、ユニコーンが茂みの中を通り過ぎるのを見つけても、その速さゆえに決して追いつけなかった。
 しかし、森の中で処女がユニコーンを呼ぶと、その獣は大人しく従い、みずから処女に近づいて膝上に頭を置き、処女のか弱い手で捕まえられ、縛られることさえ許した。だが、堕落した乙女、処女ではなくなった乙女が近づくと、ユニコーンは接近しただけで彼女をすぐに殺してしまう。[778]

 なお、処女が断食して裸になり、ある魔法の言葉を唱えると王の病を治癒する力を持っているとさえ言われたが、それは福音書(聖書)由来の話ではない。[779]

8.4 処女賛美の歴史(4)結婚を否定する異端カタリ派、処女を奪おうとする悪魔

 神秘主義者や幻視者(先見の明がある人)たちが処女性を賛美していた一方で、教会は魂だけでなく肉体も支配しようとし、「正当な結婚まで否定」する極端な処女賛美を非難した。

 教会法は、結婚を「秘蹟」として定めていたからである。

⚠️秘蹟:教会が執り行う「神の恵みをもたらす」儀式。カトリックでは七つの秘蹟が定められている。

 教会は、肉体が持つあらゆる働きを冒涜する者を、忌まわしく不敬なもの(異端者)とみなした。乙女が処女性を保つことは称賛に値するが、その動機が賞賛に値するものでなければ意味がなかった。

 シャルル七世の治世の200年前、ランスの若い娘は、ブドウ畑で聖職者の誘いを断り、そのことで神の教会に対する重大な罪となる可能性を思い知らされた。

 以下は、教会参事会員(世俗の聖職者のこと)ジェルヴェが語るその娘の物語である。

 ある日、フランス国王フィリップ二世の叔父である「白手のギヨーム」が、馬に乗って町の外へ遊びに出かけた。
 彼の従者の一人、ジェルヴェという名の若い聖職者が、ブドウ畑の中を一人で歩いている娘を見つけた。ジェルヴェは彼女に近づいて挨拶をすると「そんなに急いで何をしているのですか?」と尋ねた。そして、ふさわしい言葉で丁寧に彼女を誘った。

⚠️白手のギヨーム(Guillaume aux Blanches Mains):ランス大司教で枢機卿まで上り詰めたギヨーム・ド・ブロワのこと。

 彼女はジェルヴェを見ようともしないで、冷静に重々しく答えた。

「神は、私があなたや他の男のものになることを禁じています。もし肉体の純潔を失い、処女でなくなったら、私は必然的に地獄に落ちて永遠の破滅に陥るでしょう」

 その言葉を聞いた聖職者は、この娘が、当時教会が容赦なく追求し厳しく罰していたカタリ派という異端の宗派に属しているのではないかと疑った。

 この異端派の誤りのひとつは、すべての肉体関係を非難することだった。

 ジェルヴェはカタリ派疑惑を確認するため、娘を挑発して、この問題に関する教会の教えについて議論を始めた。

 その間に大司教である白手のギヨームは馬を返し、修道士たちを従えて、二人が言い争っているブドウ畑にやって来た。

 大司教は、二人が議論している理由を知ると、娘を捕らえて町に連れてくるように命じた。彼はそこで娘を説得し、慈悲の心から彼女をカトリックに改宗させようと努めた。

 しかし、娘は従わなかった。

「私は自分自身を弁護できるほど教義の知識がありませんが、私の女主人が町にいます。彼女なら十分な理屈であなたを簡単に論破するでしょう。彼女はあの家に下宿しています」

 大司教ギヨームは、すぐに娘の女主人について調べさせ、尋問した結果、娘が彼女について語ったことは真実であるとわかった。
 翌日、大司教は二人の女を裁くために、聖職者と貴族を集めて会議をおこない、二人とも火刑に処せられた。女主人はなんとか逃げ出したが、約束や説得によって娘を悪質な誤りから改心させることはできず、処刑人に引き渡された。彼女は涙も流さず、文句も言わずに死んだ。[780]

⚠️カタリ派:12〜13世紀ごろに広まったキリスト教異端の一派。極端な禁欲主義を実践した。聖母マリアの処女受胎を根拠に、正当な結婚や男女の交わりを認めず、生殖器を有する動物の肉はおろか、生殖の結果である卵・バター・チーズを摂取することも禁じた。その一方で、飲酒の制約はなく、酩酊状態になることは許された。

**

 また、1416年、バル公爵領出身のカトリーヌ・ソーヴという女性がいた。
 彼女は当時、ラットへの道沿いにあるモンペリエに住む隠遁者だったが、公然と告発され、異端審問官の司祭長レイモン・カバスが尋問した結果、異端のカタリ派に染まっていることが判明した。

 いくつもの罪状の中で、彼女は「すべての肉体関係は罪である、結婚生活も罪である」と主張したため、世俗の軍隊に引き渡され、同年の11月2日に火刑に処された。[781]

***

 当時、女性は悪魔に身を捧げるとすぐに処女を奪われ、悪魔はこうやって不幸な女を操る力を手に入れると、一般的に信じられていた。[782]

 これは、悪魔の好色な性質と一致していた。
 悪魔が与える快楽は、犠牲者の不幸な状態を和らげる。
 その上、処女を奪った悪魔は、ますます強力な力を得る。
 犠牲者の武器である「処女性」を奪うことになるからだ。女性にとって処女性とは鎧のようなもので、処女を保ってさえいれば、地獄の矢はただの藁(わら)の刃にすぎない。

 したがって、「悪魔に誓いを捧げた魂」が乙女の中に宿ることは不可能だと信じられていた。[783]

 それゆえに、ヴォークルールから来た農民の娘(ジャンヌ)が、魔法や呪術に屈しておらず、悪魔と契約を結んでいないことを証明する必要があった。確実な方法が「処女検査」の実施だった。

ここから先は

4,641字

¥ 200

最後までお読みいただきありがとうございます。「価値がある」「応援したい」「育てたい」と感じた場合はサポート(チップ)をお願いします。