教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第四章 ナンシー/ヴォークルール/聖カトリーヌ・ド・フィエルボワ
【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】
1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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【この章のポイント】
- ロレーヌ公とルネ・ダンジューとの面会
- ヴォークルールからの出発
- 決死の敵地横断と聖域への巡礼
4.1 老ロレーヌ公と、娘婿ルネ・ダンジュー
イングランドと同盟を結んでいたロレーヌ公シャルル二世は、相続人(継承者)である長女イザベルを、シチリアとエルサレムの女王でアンジュー公爵夫人であるヨランド夫人(ヨランド・ダラゴン)の次男ルネと結婚させた。[423]
この婚姻は、ロレーヌ公のいとこであり友人でもあるブルゴーニュ公に、手痛い一撃を与えた。
ロレーヌ公の娘婿ルネ・ダンジューは、当時20歳になったばかりだった。
騎士道と同じくらい優れた学識を愛し、高潔な精神の持ち主で、優雅な教養人だった。
軍事遠征や槍を振り回していないときは、写本を彩色することを好んだ。
花咲く庭園やタペストリーに描かれた物語を愛し、いとこ(実際ははとこ)のオルレアン公のようにフランス語で詩を書いた。[424]
ルネ・ダンジューは、大叔父であるバル公枢機卿からバル領を譲られ、さらに、義父ロレーヌ公(息子は夭折していた)の死後、そう遠くない将来にロレーヌ領を相続することになる。
この結婚は、ヨランド・ダラゴンの巧妙な策略とみなされていた。
しかし、主君として君臨するには戦わなければならない。
ブルゴーニュ公は、ブルゴーニュとフランドルの間に、シャルル・ド・ヴァロワ(シャルル七世)の義理の兄弟であるルネ・ダンジューが有力な地位を確立したことに危機感を覚えていた。
⚠️ルネ・ダンジューは、シャルル七世の王妃マリー・ダンジューの実弟。
そこで一計を案じたブルゴーニュ公は、ロレーヌ公の甥で、ルネ・ダンジュー夫妻の遺産相続に不満を持っていたヴォーデモン伯を焚きつけて、戦いを挑むように扇動した。
アンジュー家の政略によって、ブルゴーニュ公とフランス王の和解はますます困難なものとなった。こうして、ルネ・ダンジューは、ロレーヌの義父をめぐる相続争いに巻き込まれた。
この年、1429年に、彼はメスの市民に対して「りんご荷の戦い」と呼ばれる戦争を仕掛けた。[425] ロレーヌ公爵の役人の管轄を通さずに(通行税を払わずに)りんご入りの貨物がメスの町に持ち込まれた事件が争いのきっかけになったため、このように呼ばれた。[426]
一方その頃、ルネの母(ヨランド・ダラゴン)は、イングランド軍に包囲されたオルレアン市民のために、ブロワから食料を積んだ輸送隊を送っていた。[427]
彼女は当時、義理の息子であるシャルル王の顧問たちと良好な関係ではなかったが、王国の敵がアンジュー公領を脅かした際には、警戒を怠らなかった。
したがって、バル公を譲り受けたルネは、親族、友情、利害関係によって、イングランドとブルゴーニュの党派ばかりか、フランスの党派にも結びついていた。
フランス貴族のほとんどが、似たような状況だった。
ルネ・ダンジューとヴォークルールの司令官(ロベール・ド・ボードリクール)は、つねに友好的な連絡を取り合っていた。[428]
ロベール卿が、ルネに「ヴォークルールにフランス王国に関する予言を話している乙女がいる」と伝えていた可能性はあり得る。
バル公(ルネ)がジャンヌに興味を持ち、2月20日ごろに滞在する予定だったナンシーに彼女を呼び出したのかもしれない。
しかし、ルネ・ダンジューは、見ず知らずのヴォークルールの乙女よりも、公爵の宮殿を騒がせている小さなムーア人と道化師を気にしていた可能性の方がはるかに高い。[429]
⚠️小さなムーア人(le petit More):当時の王侯貴族の間では、富や権力、あるいは異国への関心の象徴として、アフリカ系の幼い少年を召使いとして身近に置く習慣があった。
ルネは若い教養人で娯楽好き。現時点では「フランス王国の危機を救う聖女」というあやふやな存在よりも、目の前で自分を楽しませてくれる娯楽や直接的な利害を気にかけていた。
1429年の2月ごろ、ルネ・ダンジューはフランス情勢に深く関わることを望んでおらず、関心を持つ余裕もなかった。シャルル王の義理の兄弟でありながら、オルレアンの町を救援するのではなく、メスの町を包囲する準備をしていた。[430]
4.2 ナンシーでロレーヌ公に面会
その頃、老いて病に伏していたロレーヌ公シャルルは、愛妾のアリソン・デュ・メイとともに宮殿に住んでいた。アリソンは司祭が生ませた庶子の娘で、ロレーヌ公の正妻でバイエルン出身のマルグリット夫人を追い出した。
マルグリット夫人は敬虔で高貴な生まれだったが、年老いた醜女で、一方のアリソンは若く美しかった。彼女はシャルル公との間に、数人の子供をもうけていた。[431]
ジャンヌがナンシーへ呼び出された理由について、次の話が最も信憑性が高い。
ナンシーには、シャルル公に善良な妻マルグリット夫人を呼び戻してほしいと願う敬虔な人たちがいた。彼らは公爵を説得するために、天からの啓示を受け、みずからを「神の娘」と自称する聖女のお告げに頼ろうとした。
これらの人々によって、ドンレミの乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)は「病を癒す奇跡を起こせる聖女」として、衰弱した老公爵に紹介された。公爵は、ジャンヌが苦痛を和らげ、命を長らえる秘技を知っていることを期待して呼び出したのである。
公爵は、ジャンヌと会うとすぐに、「以前の健康と力強さを取り戻すことはできないか」と尋ねた。
ジャンヌは「そのような方法は何も知らない」と答えたが、公爵の不健全な暮らしを指摘し、それを改めない限り治癒することはないと警告した。そして、妾のアリソンを追い払い、善良な妻を呼び戻すよう命じた。[432]
おそらく、このようなことを言うように事前に指示されていたのだろう。
しかし、それはジャンヌ自身の本心から出た言葉でもある。なぜならジャンヌは不道徳な悪女を嫌っていたからだ。
ジャンヌがロレーヌ公のもとに来たのは、それが当然のことだったからだ。小さな聖女は、偉大な領主が相談を望んだときに拒むべきではないし、ようするにジャンヌはナンシーに連れて来られたからである。
ナンシーに滞在中も、ジャンヌの心は別のところにあり、フランス王国を救うことばかり考えていた。
ジャンヌは、ヨランド夫人の息子(ロレーヌ公の娘婿ルネ・ダンジュー)が、立派な武装兵の軍隊を率いてくれれば、王太子の大きな助けになるだろうと考えた。別れ際にロレーヌ公に、この若い騎士を自分とともにフランスに送ってくれるよう頼んだ。
ジャンヌは「あなたの息子さんを私にください。武装した兵隊も一緒に」と言った。
ロレーヌ公は武器も兵隊も息子(ルネ)も与えなかったが、ジャンヌに4フランと黒い馬を与えた。[433]
ルネ・ダンジューはロレーヌ公の後継者で、イングランドと同盟関係にあるバル公でもあったが、それにもかかわらず、まもなくシャルル王の旗下にジャンヌとともに合流することになる。
4.3 三度目のヴォークルール:男装と断髪
おそらくナンシーからの帰路で、ジャンヌは両親に家を出たことを詫びる手紙を書いた。両親が手紙を受け取り、許したという事実だけが判明している。[434]
父親のジャック・ダルクが、娘がヴォークルールに滞在していた1カ月間、静かに家にとどまっていたのは驚きを禁じ得ない。以前は、娘が武装した兵士と一緒にいる夢を見ただけで、そんなことが現実になるなら、息子たちに頼んでジャンヌを溺死させるか、自分の手でそうすると脅していたのに。
なぜなら、彼は、ヴォークルールでジャンヌが兵士たちと一緒に暮らしていることを知っていたはずだ。
ジャンヌの気性を知っていながら、彼女を行かせた理由は非常に単純なことだ。
ジャンヌの善良さを信じ、王国を救うためにフランスに連れて行くことを望んだ敬虔な人たちが、ジャンヌの生活ぶりについて両親を安心させる役割を果たしたのだろう。おそらく彼らは、ジャンヌが王のもとへ行けば、家族も名誉と利益を得られると説明して、素朴な民衆に理解させたのかもしれない。
ナンシーへ行く前か後かよくわからないが、若い預言者を信じるヴォークルールの町民の一部は、ジャンヌのために男性用の衣服一式を準備した。すなわち革製の袖なし胴着、布製の上着、コートにくくりつける紐付きの長靴下、脚絆、拍車、戦争に必要な装備一式を、作るか買うかして用意していた。
ロベール・ド・ボードリクールは餞別として、ジャンヌに一振りの剣を与えた。[435]
ジャンヌは少年のように髪を丸く刈り上げた。[436]
ジャン・ド・メスとベルトラン・ド・プーランジは、召使いのジャン・ド・オヌクールとジュリアン、そして王の使者コレット・ド・ヴィエンヌと弓兵リシャールとともに同行することになった。[437]
ジョアンヴィルの領主アントワーヌ・ド・ロレーヌの兵士たちがその地域を荒らしていたため、さらに旅の延期が続き、会議が開かれた。
至るところで、略奪、強盗、殺人、残酷な暴政、人さらいと強姦、教会や修道院の焼き討ち、恐ろしい犯罪ばかりが横行していた。それは人類が経験してきた中で最も困難な時代だった。[438]
しかし、ジャンヌは恐れることなくこう言った。
「神の名において! 私を優しい王太子のところへ連れて行ってください。私たちが遭遇するであろう、どんな困難や妨害も恐れないでください」[439]
伝わっている話によると、2月のある日、ついに小さな一行はヴォークルールのフランス門から出発した。[440]
これまでジャンヌについてきた数人の友人が、旅立ちを見守った。
その中には、下宿先の主人であるアンリ・ルロワイエとカトリーヌ夫妻、そしてジャンヌが何度か告解(懺悔)したヴォークルール近郊にある聖ニコラ教会の聖職者ジャン・コラン師もいた。[441]
彼らは、危険な道中と長い旅路を想像して、聖女のために震え上がった。
「そこら中に武装した兵がうろついているのに、どうしてこんな旅に出られるのか?」
しかし、ジャンヌは穏やかな心で彼らに答えた。
「私は武装した兵士を恐れない。私が行くべき道は、目の前にはっきりと示されている。もし武装した兵士が立ち塞がっても、主なる神は、私が王太子のもとへ行くために道を作ってくださるでしょう。そのために私は来たのだから」[442]
ロベール卿はジャンヌ一行の出発に立ち会った。
彼は慣例に従い、ジャンヌを託した兵士一人一人から「確実に安全に連れていく」と誓いの言葉を聞いた。それから、信仰心の薄いロベール卿は、別れの挨拶の代わりにジャンヌにこう言った。
「行け! 何が起ころうとも」[443]
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