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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第四章 サンピエール・ル・ムーティエの戦い/修道士リシャールと霊的な娘たち/ラ・シャリテ包囲

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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【この章のポイント】
- 国王軍の解散とブールジュでの休息
- 聖女たちの対立
- ラ・シャリテ包囲戦の失敗と貴族への昇格

4.1 ブールジュで休息(1)風呂とサウナとベッドで歓待

 国王シャルル七世は9月14日にラニー=シュル=マルヌで宿泊し、その後ブレイでセーヌ川を渡り、サンス付近でヨンヌ川を徒歩で渡り、クールトネー、シャトールナール、モンタルジを経由して先へ進んだ。

 9月21日にジアンに到着した。そこで国王は、もはや報酬を支払うことができなくなった軍隊を解散させ、兵士はそれぞれの故郷に帰った。アランソン公は、自領のボーモン=シュル=オワーズに引き下がった。[217]

 王妃マリー・ダンジューが国王に会いに来ると知ったジャンヌは、先回りしてセル=アン=ベリーで王妃を出迎えた。[218]

 その後はブールジュへ連れて行かれ、そこでラ・トレモイユの異母弟であるドルー伯シャルル・ダルブレが、レニエ・ド・ブーリニーの家にジャンヌを預けた。

 レニエは当時、徴税長官(総収入役)だった。1408年にパリ大学が解任を求めた人物の一人だったが、彼は無用・無能であるどころか、国中の多くの混乱の責任を負わされていた。彼は王太子に仕え、王領の管理から税務の管理へと移り、王室の財政管理において最高の地位まで上り詰めた。[219]

 王妃に同行してセルまでやってきた彼(レニエ・ド・ブーリニー)の妻は、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)を見て驚いた。

 彼女には、ジャンヌが国王と王に忠誠を誓うフランスの人々を救うために神から遣わされた存在に思えた。彼女は、それほど遠くない昔、王太子と夫が金策(資金繰り)に困っていた日々を思い出した。

 名前をマルグリット・ラ・トゥルルドといい、(夫の地位にかかわらず)彼女はダーム(騎士の妻などの称号)ではなくダモワゼル(未婚者や下位貴族・ブルジョワの妻への称呼)で、実直なブルジョワジーの女性にすぎなかった。[220]

⚠️ダーム(Dame)とダモワゼル(Damoiselle)について補足:マダム(Dame)は既婚女性、マドモワゼル(Damoiselle)は未婚女性と思いがちだが、階級社会が厳格な時代は意味が異なるので注意。
この文脈では、夫のレニエは高官だが騎士階級(下級貴族)ではなかったため、妻は「Dame(マダム)」ではなく「Damoiselle(マドモアゼル)」と呼ばれたということ。

 ジャンヌは三週間、徴税長官(レニエ・ド・ブーリニー)の家に滞在した。そこで寝泊まりし、飲食した。

 ほぼ毎晩、マルグリット・ラ・トゥルルドはジャンヌと一緒に寝た。
 当時の礼儀作法(エチケット)ではそうするのが普通だった。
 ナイトガウンは着用せず、人々は広いベッドで裸で眠った。
 なお、ジャンヌは年配の女性と一緒に寝ることを嫌っていたようだ。[221]

 マルグリット・ラ・トゥルルドはそれほど年老いてはいなかったが、それなりに年配だった。[222] さらに、彼女は中年女性らしい豊富な経験があり、後述するように、「自分は中年女性の大半よりも多くのことを知っている(知的・物知り)」と主張していた。

 彼女は何度かジャンヌを風呂や発汗室(sweating-room)に連れて行った。[223]
 これも礼儀作法のひとつで、主人は客人を風呂に入れなければ歓迎していると見なされなかった。

 礼儀作法のこの点において、君主たちは模範を示した。
 王と王妃が家臣の邸宅で晩餐をとる際には、食卓につく前に、豪華に装飾された立派な風呂が用意された。[224]

 マルグリット・ラ・トゥルルドは、おそらく自宅に必要な設備がなかったのだろう。そのため、ジャンヌを「風呂」と「発汗室」に連れて行った。
 なお、これらは彼女自身の言葉であり、おそらく熱いお湯ではなく、蒸気風呂[225]を指している。

 ブールジュでは、発汗室はオーロン地区の下町、川の近くにあった。[226]

 ジャンヌは厳格な信心深さを持っていたが、修道院の規則は守っていなかった。そのため、貞淑なスザンナのように入浴することを許容したのかもしれない。(行軍中に)藁の上で眠った後では、入浴する必要が大いにあっただろう。[227]

 さらに注目すべきは、マルグリット夫人がジャンヌの入浴を見た後、外見上は処女であると判断したことだ。[228]

⚠️スザンナ(Suzannah):旧約聖書『ダニエル書』に登場する女性。老人に入浴を覗かれた上、言い寄られたところを退けるが、逆に姦通罪で告発されてしまう。しかしダニエルの知恵によってスザンナの貞淑さは証明される。中世・近世ヨーロッパの風俗画で好まれたモチーフ。

4.2 ブールジュで休息(2)ジャンヌの無知と機知

 徴税長官レニエ・ド・ブーリニーの家でも、他の滞在先でも、ジャンヌはベギン会の修道女のような生活を送っていたが、過度な禁欲はしなかった。

⚠️ベギン会(béguine):中世ヨーロッパで生まれた半聖半俗の姉妹団体。修道会とは異なり、正確にいえば修道女ではない。望まぬ妊娠をした人や行き場のない独身女性など、ある意味、教会が取りこぼした弱者の駆け込み寺のような互助組織・共同体。フランス革命を契機に衰退したが、かつてフランス王国だったオランダやベルギーに残っている。

 ジャンヌは頻繁に告解(懺悔)をした。
 しばしば女主人のマルグリットに朝の祈りに同行するよう頼んだ。大聖堂やコレツィアル(参事会)教会では、毎日4時から6時の間、日の出の時間に朝の祈りが捧げられていた。

 二人の女性はよく会話し、徴税長官の妻はジャンヌが非常に単純で無知であることに気づいた。この乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)が全く何も知らないことに驚きを隠せなかった。[229]

 その他の事柄も、老ロレーヌ公を訪ねて彼の邪悪な生き方を叱責したことや、ポワティエの神学者たちから受けた尋問についてもよく語った。[230]
 ジャンヌは、これらの聖職者たちが極めて厳しく尋問してきたと思い込み、彼らの悪意に打ち勝ったと固く信じていた。

 ああ! 彼女はもうすぐ、さらに融通が利かない聖職者たちを知ることになるだろう。

 ある日、マルグリット夫人はジャンヌに言った。

「戦っているときに怖くないのは、自分が殺されないと分かっているからよ」

 するとジャンヌはこう答えた。

「私も他の戦士たちと同じように、そのことについては確信が持てません」

 また、女性たちがしばしばブーリニーの家にやって来て、ジャンヌに触れてもらおうとロザリオやその他のささやかな信心道具(崇拝の対象物)を持ってきた。ジャンヌはよく、女主人に笑いながらこう言った。

「あなたが触ってごらん。私と同じくらい効果がありますよ」[231]

 この機知(repartee)に富んだ返答は、マルグリット夫人に、ジャンヌが無知(ignorant)だったとしても、会話の中で優雅さと常識を示す能力があることを気づかせたに違いない。

⚠️機知(repartee):機知、機転、当意即妙の会話・応答
⚠️無知(ignorant):無知、無学、無教養、礼儀知らず

 この善良な女性(マルグリット・ラ・トゥルルド)は、多くの分野についてジャンヌを「単純な人物」とみなしていたが、軍事に関しては達人だと考えていた。

 聖なる乙女の武器の腕前をじかに見て、彼女自身の意見を述べたのか、それとも単に噂話に基づいてそう言ったのかは定かではない。いずれにせよ、彼女(マルグリット・ラ・トゥルルド)は後に、「ジャンヌは馬に乗り、槍を操る腕前は最高の騎士にも劣らず、軍隊が驚くほどだった」と述べている。[232]

 実際、当時のほとんどの隊長は、それほど優れた腕前ではなかった。

**

 おそらく、ブーリニーの家にはサイコロとサイコロ箱があったのだろう。そうでなければ、ジャンヌが女主人に衝撃を与えた「ギャンブルの恐怖」を示す機会はなかっただろう。
 この点に関して、ジャンヌは仲間のリシャール修道士、そして善良な生活と優れた教義を重んじるすべての人々と意見が一致していた。[233]

 ジャンヌは持っていたお金をすべて「施し」として配った。

「私は貧しい人々や困っている人々を助けるために来たのです」

 よく、そう言っていた。[234]

 群衆はこの言葉を聞いて、この神の乙女は、フルール・ド・リスの栄光をたたえるためだけでなく、王国が苦しんでいる殺戮や略奪、その他、神への重大な罪などの悪を消し去るために来たのだと信じるようになった。

 神秘的な魂(神秘主義者たち)は、ジャンヌに教会の改革と地上におけるイエス・キリストの支配を期待した。

 彼女は聖人として崇められ、忠誠を誓う地域全体でジャンヌの彫刻や絵画が見られ、信者たちによって崇拝された。このようにジャンヌは生きているうちから、列福の特権の一部を享受していた。[235]

4.3 サンピエール・ル・ムーティエの戦い、ジャンヌの「幻視の軍勢」

 一方その頃、セーヌ川の北岸では、イングランド軍とブルゴーニュ軍がいつもの仕事●●を続けていた。ヴァンドーム伯とその部隊はサンリスに後退し、イングランド軍はサンドニの町に侵攻して再び略奪した。

 サンドニの修道院の教会で、彼らは乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)の甲冑を見つけて持ち去った。

 フランス陣営の聖職者によれば、これ(捧げ物を持ち去ったこと)は紛れもない冒涜行為だ。なぜなら、彼らは修道院の修道士たちに何も見返りを与えなかったからである。

 当時、国王はブールジュにほど近いメアン=シュル=イェーヴルにいた。

 そこには世界でも有​​数の美しい城があり、岩の上にそびえ立ち、街を見下ろしていた。偉大な建築家だった故ベリー公ジャン(シャルル五世の弟。シャルル七世の大叔父)は、芸術面でも常に細心の注意を払ってこの城を建てた。

 メアンは、国王シャルル七世のお気に入りの住まいだった。[236]

 アランソン公は、自身の公爵領を奪還することを熱望しており、ブルターニュとメーヌの国境を越えてノルマンディーへ同行する兵士を待っていた。彼は国王に使者を送り、乙女を彼(アランソン公)に授けることをどう思うか尋ねた。

「彼女と一緒なら喜んで来る者は多いでしょう。ですが、彼女なしでは、誰も家から一歩も出ようとしないでしょう」

 これを見る限り、パリ包囲戦の敗北は、ジャンヌの名声を完全に失墜させたわけではなかったようだ。

 ラ・トレモイユ卿は、アランソン公のもとにジャンヌを派遣することに反対した。彼はアランソン公を信用しておらず、また信用できなくて当然の理由があった。彼はジャンヌを、故郷のベリー地方で国王代理を務めていた異母弟のドルー伯シャルル・ダルブレに託して保護下に置いた。[237]

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 王室顧問会議は、戴冠式の遠征の際にペリネ・グレサールに任せたラ・シャリテを奪還する必要があると判断した。[238] しかし、まずはベック・ダリエ(Bec d'Allier)への入口を見下ろすサンピエール・ル・ムーティエを攻撃することを決定した。[239]

⚠️ベック・ダリエ(Bec d'Allier):フランス最大の大河ロワール川の支流アリエ川が分岐する地点。そこを見下ろす位置に同名の町がある。なお、Becはフランス語でくちばしやタコのとがった口元を指す。

 この小さな町の守備隊は、イングランド人とブルゴーニュ人で構成されており、彼らは日ごろから村々を略奪し、ベリー地方とブルボネ地方の畑を荒らしていた。

 この遠征のための軍隊がブールジュに集結した。
 指揮官はダルブレ卿(ドルー伯シャルル・ダルブレ)[240]だったが、世間の噂では「ジャンヌが指揮を執った」と言われた。一般の民衆、町の市民、特にオルレアン市民は、ジャンヌ以外の指揮官を知らなかった。

 二、三日の包囲の後、国王軍は町に攻撃を仕掛けたが撃退された。
 ジャンヌの従騎士ジャン・ドーロンは、少し前にかかとを負傷して松葉杖をついて歩いていたが、他の者たちと共に撤退していた。[241]

 引き返す途中、堀のそばでほとんど一人で立ち尽くしているジャンヌを見つけた。彼女に危害がおよぶことを恐れて、ジャン・ドーロンは馬に飛び乗り、ジャンヌに向かって拍車をかけながら叫んだ。

「一人で何をしているんですか? なぜ他の者たちのように撤退しないんですか?」

 ジャンヌは兜(サレット)を脱ぎ捨て、答えた。

「一人じゃない。私には5万人の仲間がいる。町を占領するまで、ここから離れるつもりはない」

 ジャン・ドーロンが辺りを見回すと、ジャンヌの周りにはわずか4〜5人の男がいるだけだった。彼はさらに大きな声で叫んだ。

「ここから立ち去って、他の者たちと同じように退却してください」

 ジャンヌの返事はただ一つ、堀を埋めるためのたきぎと柵を求めた。すぐに、彼女は大声で叫んだ。

「薪と柵を持ってきて、みんなで橋を作れ!」

 兵士たちがその場に駆けつけて、ただちに橋が架けられた。
 すると、町はそれほど困難もなく占領された。

 少なくとも、善良な従騎士ジャン・ドーロンはこのように語った。[242]
 彼は、ジャンヌが幻視した「神霊の軍勢」5万人がサンピエール・ル・ムーティエを占領したのだと固く信じ込んでいた。

4.4 ジャンヌがライバル視した聖女(1)修道士リシャールの支配

 当時、ロワール川沿いの小さな軍隊には、ジャンヌのように特異な生活を送り、凱旋教会(Church Triumphant、神学用語で「聖人たちの魂の集合体」を指す)と交わる聖女たちが何人かいた。

 彼女たちはいわば、兵士たちに従うベギン会の遊撃隊のような集団を構成していた。

 そのうちの一人はカトリーヌ・ド・ラ・ロシェルと呼ばれ、他の二人は下ブルターニュ出身だった。[243] 彼女たちは全員、奇跡的な幻視を経験した。

⚠️下ブルターニュ(英:Lower Brittany、仏:Basse-Bretagne):ブルターニュ半島西部の古い名称。

 ジャンヌの場合、武装した聖ミカエルと、冠をかぶった聖カタリナと聖マルガリータを見た。[244]

 下ブルターニュのピエロンヌの場合、長い白いローブと紫のマントをまとった神を見た。[245]

 カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルの場合、金の布をまとった白い貴婦人(聖母マリア)を見た。そして、聖体が奉献された瞬間、主(神)の深遠な神秘に関するあらゆる種類の驚くべき奇跡が彼女に啓示された。[246]

 ジャン・パスケレルはジャンヌの従軍司祭として、今もそばに付き添っていた。[247] 彼は、悔悛の身であるジャンヌをフス派と戦う十字軍に参加させたいと望んでいた。なぜなら、パスケレルが最も激しい憎悪を抱いていたのは、この異端者たちだったからだ。

 しかし、彼は(ジャンヌの従軍司祭としての地位を)フランシスコ会のリシャール修道士に完全に奪われていた。リシャール修道士はトロワで出会った後、ジャンヌがこれまで属していた托鉢修道会に加わった。

 リシャール修道士は、この啓示を受けた女性たちの小さな集団を統率・支配していた。彼は彼女たちから「良き父」と呼ばれ、彼女たちを指導した。[248]

 リシャールの計画は、ジャン・パスケレルの計画とそれほど変わらなかった。差し迫った世界の終末に先駆けて起こると(リシャールが)考えていた「十字架の戦い」に、彼女たちを導くつもりだった。[249]

 その間、リシャール修道士は彼女たちの間に良好な理解を築こうと努めていたが、雄弁な説教者だったにもかかわらず、それは非常に困難だった。

 姉妹団の中では、絶え間なく疑念と内紛が起きていた。

 ジャンヌは、ブリー地方のモンフォコンやジャルジョーではカトリーヌ・ド・ラ・ロシェルと友好的な関係だったが、今では彼女をライバル視して疑い始め、たちまち不信感を抱くようになった。[250]

 もしかしたら、ジャンヌが正しかったのかもしれない。

 カトリーヌや下ブルターニュの霊的な女性たちが、かつてのジャンヌと同じように起用される可能性はいつでもあり得た。[251]

 当時、女預言者はさまざまな場面で役に立った。
 民衆の啓蒙、教会の改革、兵士の指導、資金の調達、戦争と平和の両面において。
 各勢力はどこかで預言者が現れるとすぐに引き入れようとした。

 王の顧問官たちは、オルレアン解放のためにジャンヌ・ラ・ピュセル(乙女)を起用した後、今度はカトリーヌ・ド・ラ・ロシェルを使ってブルゴーニュ公との和平締結を考えていたようだ。この任務は、ジャンヌほど騎士道精神にあふれていない聖女にふさわしいだろう(ようするに、ジャンヌは好戦的すぎて和平交渉に向かない)。

 なお、カトリーヌは既婚者で母親でもあった。
 この事実は驚くには及ばない。なぜなら、処女に預言の能力が与えられるとしても、ユディットの例が示すように、神は民衆のために力強い婦人(処女ではない女性)を立たせることもあると証明されているからだ。

⚠️冒頭に出てきた凱旋教会(Church Triumphant)について補足
キリスト教の神学用語・概念。イエス・キリスト=神の勝利にあずかり、死後天国(永遠の栄光)へ至る魂の集合体のこと。キリスト教徒は天国をめざして下記の3段階を経るといわれる。

(1)闘う教会(Church Militant):地上で罪や悪や誘惑と戦っている魂
(2)清めの教会(Church Suffering):天国に入る前に煉獄で清めを受けている魂
(3)凱旋する教会(Church Triumphant):信仰の戦いを終え、天国で神とともに勝利の喜びを享受している魂=聖人

4.5 ジャンヌがライバル視した聖女(2)カトリーヌ・ド・ラ・ロシェル

 その姓が示唆するように、彼女がラ・ロシェル出身だと信じるならば、その出自はアルマニャック派に信用を与えたに違いない。

 ラ・ロシェルの住民は全員、多かれ少なかれ海賊であり、イングランドの船を襲撃することで莫大な利益を得ていたため、(彼らおよびカトリーヌが)王太子派を裏切る恐れはなかった。さらに、王太子(シャルル七世)は彼らの忠誠心に報いるために、貴重な商業特権を与えていた。[252]

⚠️ラ・ロシェル(La Rochelle):フランス西海岸の港湾都市で、シャルル七世が大西洋側で支配している唯一の軍港。百年戦争では、シャルル五世時代とシャルル七世の王太子時代に第一次・第二次ラ・ロシェル海戦がおこなわれた。

 ラ・ロシェルの人々はオルレアン市民に資金を提供(贈与)し、5月にシャルル公(オルレアン公)の都市が解放されたことを知ると、この喜ばしい出来事を記念して公的な祝祭を開催した。

 軍隊における聖女の第一の任務は、資金集めだったようだ。
 ジャンヌは常に手紙を送り、善良な町々に資金や軍需品の援助を求めた。町の人々はいつも彼女の要請に応じることを約束し、たまには約束を守ってくれた。

 カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルは、軍資金に関して特別な啓示を受けていたようだ。したがって、カトリーヌの使命は財政的なものであったのに対し、ジャンヌの使命は軍事的なものだった。

 彼女は和平を締結するためにブルゴーニュ公のもとへ行くと告げた。[253]

 カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルについて知られているわずかな情報から判断すると、この聖女の霊感は、それほど高尚なものでも、秩序立ったものでも、深遠なものでもなかった。

 ベリー地方のモンフォコン(またはジャルジョー)でジャンヌと初めて会ったとき、カトリーヌはこんな風に語りかけた。

「私のところに、金の布をまとった白い貴婦人が現れて、こう言ったの。——善良な町々を巡り、王に伝令とラッパを与えてもらい、『金、銀、隠した財宝を持っている者は誰でも、すぐにそれを出しなさい』と号令をかけるように」

 カトリーヌはさらに付け加えた。

「財宝を隠し持っているのに従わない者は、私が見抜いて、探し出してみせましょう」

 カトリーヌは、イングランドと戦う必要があると考えており、ジャンヌの使命は彼らを王国から追い出すことだと信じているようだった。カトリーヌは親切にも、自身の驚くべき奇跡で手に入れた戦利品のすべてをジャンヌに差し出した。

「あなたの兵士たちに支払う軍資金よ」

 カトリーヌはそう言ったが、ジャンヌは軽蔑するように答えた。

「あなたは旦那のところへ帰って、家事でもしながら、子供たちを養いなさい」[254]

 聖人同士の論争は、たいてい激しいものとなる。ジャンヌは、ライバルの使命(伝道活動)について愚かさと無益さしか見ようとしなかった。

 しかし、カトリーヌがいう「白い貴婦人の訪問」の可能性を否定することはできなかった。なぜなら、ジャンヌ自身のところにも、書物や修道院の壁に描かれた数と同じだけの聖人、天使、大天使が毎日降りてきたからだ。

 この件を決着させるために、ジャンヌは最も効果的な手段を採用した。

 博学な学者なら、物質と実体、観念(idea)の起源と形態、知性における印象の始まりについて論じるかもしれないが、羊飼いの娘はもっと確実な方法に頼った。自分の目で確かめるのだ。

 ジャンヌはカトリーヌに「白い貴婦人は毎晩来るのか?」と尋ね、そうだと知ると「一緒に寝ましょう」と誘った。

⚠️訳者の感想:客人をもてなすにしろ、ライバルを出し抜くにしろ、「一緒にベッドで寝る」シチュエーションが多すぎる。しかも当時はナイトウェアがないから、行軍中で服を脱がない状況でなければ、裸で寝るのが当たり前という…💦

4.6 ジャンヌがライバル視した聖女(3)白い貴婦人と乙女の評議会

 夜になると、ジャンヌはカトリーヌと一緒にベッドに入り、真夜中まで見張っていたが何も見つからないまま、いつのまにか眠りに落ちていた。ジャンヌはまだ若く、睡眠をたっぷり必要としていたからだ。

 朝、ジャンヌは目を覚ますと「彼女は来たの?」と尋ねた。

「ええ、来ましたよ」

 カトリーヌは答えた。

「あなたはよく眠っていたから、起こしたくなかったんです」
「明日は来ないの?」

 カトリーヌは「必ず来る」と保証した。

 今度こそ、ジャンヌは一晩中起きていられるように昼間のうちに寝た。
 おかげで、夜はカトリーヌと一緒にベッドに横になってからずっと目を覚ましていられた。ジャンヌは何度も尋ねた。

「彼女は来ないの?」

 すると、カトリーヌは答えた。

「はい、すぐに来ますよ」

 しかし、ジャンヌには何も見えなかった。[255]

 ジャンヌはこのテストがうまくいったと思った。
 それでも、「金の布をまとった白い貴婦人」のことが頭から離れなかった。

⚠️補足:キリスト教で白い貴婦人といえば、聖母マリアを彷彿させる。キリスト(神)の母であり、受胎告知では大天使が膝をつき、あらゆる聖人・聖女の上に君臨する存在。ジャンヌが「声」を聞き、幻視している大天使ミカエルや聖女たちよりも格上なので、ジャンヌは「聖なる乙女」の立場がおびやかされていると感じているのかもしれない。

⚠️さらに補足:実際、パリ包囲戦の敗北、聖カタリナの剣が折れた件など、最近のジャンヌは不運続きで、乙女の信用と影響力は落ち目になっている。そんなところへ、処女でもない子持ちの既婚女性が、新たな幻視者・預言者として認められるようになり、心中穏やかでいられないのは当然だろう。

 聖カタリナと聖マルガリータが、ためらうことなくジャンヌのところにやって来た時、ジャンヌはこの白い貴婦人について話し、彼女についてどう思うか尋ねた。二人の答えはジャンヌが予想した通りだった。

「このカトリーヌという女がやっていることは、無益で愚かなだけで何の意味もない」

 聖カタリナと聖マルガリータはそう断言した。[256]
 ジャンヌは思わず叫ばずにいられなかった。

「まさに、私が思っていたとおりよ!」

 この二人の女預言者の争いは、短い期間だったが激しいものだった。
 ジャンヌはいつもカトリーヌの主張に反対する立場を貫いた。カトリーヌがブルゴーニュ公と和平を結ぼうとしたとき、ジャンヌは彼女にこう言い放った。

「私は、槍の穂先でなければ(戦いなしで)、絶対に平和は得られないと思う」[257]

⚠️補足:ジャンヌは以前、ブルゴーニュ公に和平を求める手紙を送ったが無視された。そこへ、カトリーヌが和平を結ぶためにブルゴーニュ公のもとへ派遣されるという話を聞いて、ジャンヌのプライドは傷ついたと想像できる。和平が成立すればカトリーヌの功績になり、ジャンヌの聖女としてのアイデンティティは最大の危機を迎える。

⚠️さらに補足:このエピソードは、聖カタリナと聖マルガリータがジャンヌの深層心理の代弁者であることを示している。

 いずれにせよ、「白い貴婦人(カトリーヌ)」が「乙女の評議会(ジャンヌ)」よりも優れた預言者であることを証明する出来事がひとつあった。

 それは、ラ・シャリテの包囲戦である。ジャンヌがその町を解放しに行こうとしたとき、カトリーヌはジャンヌを思いとどまらせようとした。

「そこは寒すぎる」

 彼女は言った。

「私は行きたくないわ」[258]

 カトリーヌの理由は高尚なものではなかった。
 しかし、ジャンヌがラ・シャリテ包囲戦に行かない方が良かったのは事実である。

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