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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第六章 ムランの堀のラ・ピュセル/ルース卿(熊屋の旦那)/ラニーの赤子復活

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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【この章のポイント】
- 不吉な予言とジャンヌの焦り
- 捕虜交換の失敗
- 慣習に反する非道な処刑を下す

6.1 ムランの堀の中で、聖女たちの不吉な予言

 復活祭(イースター)の週、ジャンヌは傭兵団を率いてムランの城壁の前にいた。[345] ジャンヌは、休戦協定の期限が切れたまさにそのとき、戦いに間に合うように到着したのだ。[346]

⚠️ムラン(Melun):フランス中央部、パリの南東に位置する都市。セーヌ川を挟んで南岸地区と北岸地区に分かれている。

⚠️補足:前年の戴冠式の後に交わしたブルゴーニュ公との休戦協定の期限はイースターまで延長されていた。なお、1430年のイースターは4月16日。

 シャルル王[347]の支配下にあったはずのこの町が、これほど自発的に(libéralement:自らの意志で、惜しみなく身を投じること)やってきたジャンヌとその仲間たちを拒むなどあり得るのか? ……どうやらそうだったようだ。

 ジャンヌは、ムランのカルメル会修道女たちと連絡を取ることができたのか?
 おそらくできたのだろう。

 ムランの町の門で、彼女にどんな災難が降りかかったのだろうか?
 ブルゴーニュ軍からひどい扱いを受けたのか?
 それは分からない。

 何にせよ、ムランの堀にいたとき、ジャンヌは聖カタリナと聖マルガリータが自分にこう告げるのを聞いたという。

「あなたは聖ヨハネの祝日の前に捕らえられるでしょう」

 ジャンヌは二人に懇願した。

「私が捕らえられたら、長く苦しまずにすぐに死なせてください」

 すると声は、ジャンヌが捕らえられ、そうなる運命なのだと繰り返した。
 そして優しく付け加えた。

 「心を乱さず、(運命を)感謝して受け入れなさい。神はあなたを助けてくださるでしょう」[348]

 聖ヨハネの祝日は6月24日だ。あと10週間もない。

 その後、ジャンヌは何度も聖人たちに「いつ自分は捕らえられるのか?」と尋ねたが、彼女たちは答えてくれなかった。そのため、疑念を抱いたジャンヌは、自分の考えに従うことをやめ、隊長たちに相談するようになった。[349]

 5月、ムランからラニー=シュル=マルヌへ向かう途中、ジャンヌはコルベイユを通過しなければならなかった。

 おそらくその時、ジャンヌに同行していた下ブルターニュ出身の信心深い二人の女性、ピエロンヌと彼女の霊的な姉妹が、コルベイユでイングランド軍に捕らえられてしまった。[350]

⚠️コルベイユ(Corbeil):パリの南部に位置する都市で、軍事と商業の町。セーヌ川とエソンヌ川の合流地点にあるため、川の利点を生かして製粉業と火薬製造が盛ん。平時は「コルベイユの大水車」を稼働させてフランス王にパンを供給している。

⚠️さらに補足:現代人としては「粉塵ふんじん爆発が起きそうな業種を集約させるのは危険なのでは……」と思っていたら、案の定、17〜18世紀にたびたび爆発事故が起きている。軍事と商業の町というより、粉物こなものの町。

6.2 ラニーの戦いで捕虜を手に入れる

 パリの東部・郊外にあるラニーの町は、シャルル王の支配下に入ってから8カ月間、アンブロワーズ・ド・ロレ卿によって統治されていた。彼は、パリをはじめとする各地のイングランド軍と精力的に戦っていた。[351]

 当面の間、アンブロワーズ・ド・ロレは不在だったが、副官のジャン・フーコーが守備隊を指揮していた。

 ジャンヌがこの町に到着して間もなく、ブルゴーニュ公に忠誠を誓うピカルディとシャンパーニュ出身の部隊300〜400人がイル・ド・フランス地方を荒らしまわり、多くの戦利品(略奪品)をかかえてピカルディへ帰還する途中だという知らせが届いた。隊長は、勇敢な兵士として知られるフランケ・ダラスという男だった。[352]

 フランス軍は、彼らの退路を断つことを決意した。
 ラニーの副官ジャン・フーコー、ジョフロワ・ド・サン=ベラン、スコットランド人のヒュー・ケネディ、そして(ジャンヌとともにシュリーを旅立った)バルトロメオ・バレッタ隊長の指揮の下、彼らはラニーの町から出陣した。[353]

 ジャンヌも彼らと行動を共にした。

 ラニー近郊でブルゴーニュ軍と遭遇したが、奇襲には失敗した。
 フランケ・ダラス(敵軍)が率いる弓兵たちは、イングランド軍のように生垣を背にして陣を整える時間があった。シャルル王の軍勢(フランス軍)は敵軍の数をわずかに上回っていた。

 当時、フランス軍にいた書記が、この戦闘について書き残している。
 彼の生まれつきの才覚は揺るぎなかった。彼は率直な常識に照らして、「このわずかな数的優位が、自軍にとってこの作戦を非常に困難で苦難に満ちたものにした」と述べている。[354]

 戦いは、実に激戦を極めた。

 ブルゴーニュ軍は「乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)は魔女であり、悪魔の軍勢を率いている」と信じていたため、非常に恐れていた。それにもかかわらず、彼らは勇敢に戦った。

 フランス軍は二度撃退されたが、三度目の攻撃を試み、最終的にブルゴーニュ軍は全員殺害されるか捕らえられた。[355]

 勝利者たちは戦利品を満載し、捕虜を連れてラニーに帰還した。
 捕虜の中には、フランケ・ダラスも含まれていた。
 貴族の生まれで荘園領主だった彼は、慣習に従い、身代金が期待できる身分だった。

 サンリスの代官(Bailie)ジャン・ド・トロワシー[356]とジャンヌの二人が、彼を捕らえた兵士に「身柄を引き渡すように」と要求した。最終的にジャンヌの手にゆだねられた。[357]

 ジャンヌは金銭と引き換えに彼を手に入れたのだろうか?
 おそらくそうだろう。兵士たちは、高貴で利益をもたらす捕虜を無償(ただ)で手放すことはなかった。

 しかしながら、のちに、この件について問われたジャンヌは、自分はフランスの支配者メトレーゼ(maîtresse)でも財務官アルジャンティエ(argentier)でもないのだから、金銭を出す立場にはないと答えた。したがって、誰かがジャンヌの代わりに金銭を支払ったと推測せざるを得ない。

 いずれにせよ、フランケ・ダラス隊長はジャンヌに引き渡され、彼女は彼をイングランド軍が捕らえているある捕虜と交換しようと試みた。

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