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♨️京都サウナ日記 #13 🎭休日を泥のように過ごす。おふろcafeびわこ座

冴えないアラフィフが、
何もせずに1日を終えるには、
ちょっとした覚悟がいる。

世間は「生産性」だの「自己投資」だのと騒がしい。

そんな声を聞き流しながら、
俺は休日、びわこ座に逃げ込む。
ここは、泥のように過ごすことが許される、
数少ない聖域だ。

館内着に着替えた瞬間、
社会的な役割はすべて脱ぎ捨てる。

時計を外し、時間の感覚も曖昧になっていく。

まずは温泉。
ラドンを含んだ湯に身を沈めると、
体の輪郭がぼやけていく。
誰かに見られることも、
評価されることもない。
ただ湯の中で、俺は俺になる。

露天エリアには泥パックが置いてある。
顔に塗る。
まるで仮面を溶かす儀式のようだ。

毎日、誰かに見せる顔を必死に作って生きている。今は、誰にも見せなくていい顔を、
泥で覆ってしまう。
乾くまでの数分間、
俺は“誰でもない”存在になる。
これが、案外心地いい。

館内にはリクライニングチェアが並び、
漫画とフリーコーヒーが無限にある。
読んでもいいし、
読まなくてもいい。

寝てもいいし、
ただ座っているだけでもいい。

誰も咎めない。
むしろ、何もしないことが“正解”になる空間だ。
俺はその“正解”に、静かに身を委ねる。

昼と夜には大衆演劇がある。
舞台の上では、
役者が汗を飛ばしながら生きている。
俺はその熱気を、ぼんやり眺めるだけ。

拍手もせず、
感想も言わず、
ただ観ている。

演者は演じ、俺は沈む。
それでいい。
むしろ、
それがいい。

夕方、もう一度湯に浸かる。
体はふやけ、
思考は溶け、
俺は完全に“泥”になる。

何も生み出さず、
何も証明せず、
ただ存在するだけの時間。

これが、今の俺には必要だ。
かつては光を浴びたくて必死だった。
今でも、そうありたい気持ちはある。
でも、冴えない今の俺には、
この泥のような時間が、何よりの贅沢だ。

びわこ座は、そんな俺を受け入れてくれるCafe。
何もせず、
何者でもなく、
ただ“いる”ことを肯定してくれる。

ここでは、泥のように過ごすことが、
立派な過ごし方になる。

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