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♨️京都サウナ日記 #14📺昭和レトロに包まれて。五色湯

五色湯の暖簾をくぐると、
空気がふと変わる。

靴を脱いだ瞬間から、
73年分の湯気が
じわじわと身体にまとわりついてくる。

昭和27年創業
戦後すぐに生まれたこの場所は、
ただ古いだけじゃない。

湯気の粒に、
誰かの疲れや安堵、
沈黙や笑いが染み込んでいて、
それが今も変わらず漂っている。

サウナ室に入ると、
遠赤外線の熱がじんわりと肌を包む。
テレビはない。
ラジオの声が、
壁のタイルに吸い込まれながら静かに流れている。

この“何もない”空間が、
なぜこんなにも落ち着くのか。
自分の輪郭がぼやけて消えて、
なぜか気が楽になる。

ふと、「戦後すぐからある場所」
という言葉が頭に浮かぶ。

戦後という言葉は、
遠い昔の出来事のように思っていた。
けれど、ふと気づく。
私は今48歳。

2025年は戦後80年。
私が生まれたのは、戦後32年目。
その後の48年を生きてきた。

歴史の年表で見れば「戦後」は
過去の区切りかもしれない。
でも、自分の人生の物差しで計り直してみると、
戦後はまだ、手の届くところにある。

それは、記憶の中の風景にも、
街の片隅にも、
そして、五色湯の湯気の向こうにも、
静かに息づいている。

薪の香りが残る浴場の壁には、
昭和の滝の絵。
井戸水のぬるめの湯に身を沈めると、
時代の流れが肌に染み込んでくるようだ。
脱衣所の古い体重計、
年季の入ったドライヤー、
それらは、ただの道具ではなく、
誰かの人生の断片をそっと抱えている。

五色湯の歴史と、
自分の人生が、
知らず知らずのうちに重なっていく。

湯の中で、過去と現在がゆるやかに溶け合い、
「戦後」という言葉が、
どこか自分の一部のように感じられる。

戦後の混乱の中で、
静かに日々を乗り越えていた人々も
この湯に浸かっていた。
その頃の湯気が、
今もここに残っていると思うと、
なんだか胸が熱くなる。

時間が遠くにあるものじゃなくて、
粒になって、湯気のようにまとわりついてくる。

それに気づける年齢になったんだろう。

水風呂に沈む。
地下水の冷たさが一気に思考を止める。
肩に打ちつける水の音が、
「今ここにいるぞ」と教えてくれる。

風呂上がり、
瓶のフルーツ牛乳を飲みながら、
扇風機の風に吹かれていると、
時間がゆっくりとほどけていく。

五色湯。
ここは、人生の途中で立ち止まるための場所。
湯気に包まれながら、
自分の時間の粒をそっと撫でる。
そんな贅沢が、
京都の路地裏にはちゃんと残っている。

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