♨️京都サウナ日記 #12🧘明かりを落としとときに見えてくる自分。五香湯
サウナ室の照明はただの設備じゃない。
人生のステージ照明だ。
明るすぎると、
演じなきゃいけない気がする。
誰かに見られてるような、
評価されてるような気配が漂う。
スポットライトの中で、
自分が何者かであるような錯覚に浸れる。
それが心地よいこともある。
自分を照らしてくれる光は、
存在証明みたいに思えるとき。
でも今は違う。
俺が好きなのは、五香湯の暗さだ。
あのボナの部屋の、ほの暗い空間。
照明は最低限で、視界はぼんやり。
ヒーターの熱が静かに這い上がってくるだけで、
音も少ない。
テレビもない。
誰かの視線もない。
そこでは、演じる必要がない。
むしろ、光が落ちた瞬間に、
ようやく自分の輪郭が浮かび上がる。
暗がりの中で、
自分の呼吸だけが響く。
誰にも見られない場所で、
ようやく「俺」がいる。
五香湯の照明は、
人生の余白を許してくれる。
明るさを手放すことで、
見えてくるものがある。
それは、誰かに見せるための自分じゃなくて、
自分だけが知っている自分。
全部を脱ぎ捨てた先にある、
静かな輪郭。
サウナ室の照明が落ちるたびに、
少しずつ、人生の演出を手放していく。
そして、ようやく気づく。
ただ「いる」だけの自分に。
