「ガビガビのマンゴー」— 私のマンゴーは、パピコからできている
夏入りしてポスト梅雨。
夜でも歩いているだけでも塩揉みしたお肉のように汗が滴る気温で、ランニング後に堪らずスーパーに駆け込んだ。
飲み物・アイスを物色して見つけた。パピコのマンゴー味。
買い物袋を片手にパピコを吸いながら、帰路に就く。
口いっぱいに広がるマンゴー。吸った傍から突き刺す南国の風。熟れた甘い実の部分。ああこれこれ。求めていた味だった。
ボケーっと吸いながら物思いにふける。よく考えると、マンゴーってあまり食べたことがないな。
立ち止まってふと、可能性がよぎる。
マンゴー味の認識って、かなり曖昧な記憶で成立しているのではないだろうか。
改めてパピコを凝視する。私のマンゴーは作られたマンゴーが先で、本物は後。しかも微かなものだった。解像度が低い。
マンゴーを日常的に買えるご家庭はきっと、高層階のマンションでゴールデンレトリバーを飼っているのだろう。
こちらもイメージはガビガビだった。
作られたマンゴーのことをマンゴーであると、頭が認知しているという事実が少し面白く、変な感じがした。
逆にぶどうへの解像度は本物が先だ。実家がぶどう農家なのもあり、夏は一生分食べさせてもらった。ぶどうジュースも沢山飲んだ。
本物を知っているパターンと、作られたものしか知らないパターンの2つを実感している。
私の頭のぶどうはくっきりと。一方マンゴーはガビガビだ。
優劣ではないのだと思う。パピコのマンゴーは、本物のマンゴーではなく、アイスとしてのマンゴーをきちんとやっている。
私はそれに満足しているのだから、それでいいのだ。
それでも少しだけ考えてしまう。バイキングのようにしこたまマンゴーを食べられたら、本物がそれらを追い越すのだろうか?
