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焼きたてが一番おいしい、という思い込み

焼きたてが一番おいしい、という思い込み

コーヒーは、焼きたてが一番香ると思っていました。

焙煎したその日に淹れて、うむ、これぞ新鮮、と満足していた時期があります。今思えば、満足していたのは味ではなく、自分が焙煎したという事実のほうでした。

これは思い込みでした。豆にもよりますが、浅煎りなら焙煎してから3日ほど置いたほうが、はっきり香りが立ちます。

焙煎したての豆は、まだ準備ができていない

焙煎した直後の豆は、内部に二酸化炭素を抱えています。焙煎中の熱分解で発生したガスが、細胞の隙間に閉じ込められたままの状態です。

このガスが、二つの意味で邪魔をします。

ひとつは、香りの成分を豆の中に閉じ込めてしまうこと。コーヒーの香りは揮発性の小さな分子で、本来なら挽いた瞬間に気化して鼻に届くのですが、ガスに巻き込まれて出てこられない。

もうひとつは、抽出の邪魔をすること。
焼きたての粉にお湯を注ぐと、勢いよく膨らみます。
あの「よく膨らむ=新鮮でおいしい」と言われるやつです。

でも冷静に考えると、膨らむというのは、ガスがお湯を押しのけているということでもある。お湯からすれば「今ちょっと立て込んでるので」と門前払いされている状態です。粉の内側まで入っていけないので、香りも甘みも十分に溶け出しません。

私はあのモコモコを見て「今日はいい膨らみだ」と喜んでいたわけですが、豆のほうは「まだ準備中です」と言っていた。だいぶすれ違っていました。

ガスが抜けてはじめて、お湯がちゃんと粉の内部まで届く。「3日目から香り立つ」の正体は、半分くらいはこの抽出効率の話です。

香りが増えるのではなく、邪魔者が抜けて、もともとあった香りが届くようになる。

焙煎あとに立ち込めるあの幸せな匂いは、豆から逃げていった香りです。あれを嗅いで幸せになっている間、実は資産が目減りしている。せつない話ですが、事実です。

焙煎度によって、待ち方が違う

ここが面白いところで、ただ待てばいいという単純な話でもありません。焙煎度によって、ピークの来る速さも、続く長さも違います。

以下はハンドドリップを前提にした目安です。エスプレッソは加圧するぶんガスの影響が強く出るので、全体にもっと長く休ませます。同じ豆でも淹れ方で飲み頃が変わる、というのがまた厄介で、面白いところ。

浅煎り — 遅れてきて、長く続く

飲み頃は3日目あたりから。そこから2〜3週間かけて、ゆっくり花開いていきます。

浅煎りは加熱時間が短いぶん、豆の組織が硬いまま残っています。だからガスの抜けが遅く、飲み頃に入るまでに時間がかかる。その代わり、内部が空気にさらされにくいので酸化にも強い。

待たされるけれど、長く付き合える。買ってすぐ「なんだか薄いな」と感じても、それは豆のせいでも、あなたの腕のせいでもありません。まだ順番が来ていないだけです。

深煎り — 早く来て、早く去る

飲み頃は2〜3日目から。ただし1週間を過ぎるあたりから、落ちはじめます。

深煎りは長く火が入っているぶん、細胞壁が脆くなっていて、ガスが一気に抜けます。だから立ち上がりが早い。けれど同じ理由で内部まで空気が入りやすく、表面に浮いた油分も酸化しやすい。しばらく置いた深煎りが重たい油の匂いを持つのは、これです。

ちなみに深煎りは「焼きたてが一番うまい」と言われることが比較的多い焙煎度です。ただこれ、焙煎直後の燻煙香や、抜けきっていないガスの刺激を、コクや力強さと受け取っている可能性がある。舌がパンチを食らって「効いた」と感じているだけかもしれません。

深煎りこそ「焼きたてじゃないと」ではなく、「早めに飲みきる」が正解。いちばん鮮度の話を真剣にすべき相手が、いちばん誤解されているわけです。

中煎り — その中間で、いちばん素直

飲み頃は3〜5日目から、2週間ほど。立ち上がりも落ち方もゆるやかで、扱いやすい優等生です。

そして、変化がいちばんわかりやすい。
同じ袋の豆を3日目、1週間目、2週間目に飲み比べてみると、とがった酸の輪郭がだんだん落ちて、ナッツやカラメルのような落ち着いた方向へ移っていくのがわかります。

若い頃は尖っていた人が、だんだん丸くなっていくやつです。豆にもあります。

エイジングを体で覚えるなら、中煎りから試すのがおすすめです。

「焼きたてが正しい」食べものと、そうでない食べもの

「焼きたてが一番」という価値観自体は、間違いではありません。

パンや揚げ物では、完全に正しい。あれは食感が主役の食べものだからです。サクサク、ふっくら。時間が経てば湿気って、物理的に劣化する。冷めたフライドポテトを擁護できる人はいません。

でもコーヒーは、食感ではなく、抽出という化学プロセスを通して味わうものです。ここでは「新鮮であること」と「抽出に適していること」が、必ずしも一致しない。

つまり私は揚げ物で学んだルールを、そのままコーヒーに適用していた。教科書を間違えて持ってきていたわけです。

熟成肉、味噌、ぬか漬け、ワイン。時間を味方につける食べものは、いくらでもあります。それでもなお「作りたて」という言葉には抗いがたい魅力がある。鮮度=正義という感覚が、なんにでも横滑りしていくんですね。

これ、コーヒーだけの話でしょうか。

新しい情報のほうが正しそうに見える。新しい道具のほうが良さそうに見える。新しく始めたことのほうが、価値がありそうに見える。

でも、寝かせたほうがいいものは、意外とたくさんある。手元にあるものが、まだ「飲み頃」になっていないだけかもしれない。

焼きたてが一番おいしい、という思い込み。

そう思って買った豆を、3日だけ待ってみてください。同じ豆が、違う顔を見せます。何もしないでいいというのは、実践としてもかなり優秀です。

そのときたぶん、思い込みがひとつ外れる音がします。

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