新井宿義民六人衆の直訴
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【善慶寺の春】~エピローグ~
春風が、善慶寺の境内を柔らかく撫でてゆく。古木の桜がほころび始め、舞い散る花びらが、苔むした石段にそっと降り積もる。
東京都大田区山王。ここがかつて『新井宿村』と呼ばれたことを知る人は、今では少ない。
その日の午後、寺の山門をくぐったのは二十代半ばの女性だった。濃紺のジャケットにスラックスという姿。肩からかけたトートバッグには、手帳と数冊の資料が覗いている。彼女の手には、白い一輪の花――彼岸花があった。
境内の奥、草木の間にひっそりと佇む一基の石碑の前で、彼女は静かに立ち止まる。
「・・・・義民六人衆」
石に刻まれた文字を、まるで触れるように指先でなぞった。そのとき――
「その碑を、見に来たのかね?」
後ろから声がした。ふと振り向けば、小柄な老僧が箒を片手に立っていた。眉には白い毛が混じり、どこか懐かしいような柔らかな顔立ちだった。
「ええ・・・・最近、このあたりの歴史を調べていて・・・・。新井宿の直訴事件を知ったんです」
「そうかそうか。よく来てくれた」
老僧はにこりと笑い、隣に並ぶようにして石碑を見上げた。そのまなざしは、遠く、過ぎし時代を見つめているかのようだった。
「江戸の昔、ここには名もなき村人たちが生きておった。厳しい年貢、干ばつ、洪水――それでも生きねばならなかった」
「彼らが・・・・命を懸けて訴えようとしたんですね」
「うむ。延宝五年――いまから三百年以上も前のことじゃ。彼らは死を覚悟で行動した。それが、ここに眠る六人じゃ」
老僧の目が、花びらの舞う石碑にそっと落とされた。
「忘れないでくれる者が、こうして時おり訪ねてくれる。それが何よりの供養じゃよ」
女性は小さく頷くと、白い彼岸花を供え、そっと手を合わせた。
「・・・・どんな人たちだったのでしょう」
老僧は、箒を石段に立てかけると、石碑の前にしゃがみ込んだ。そして、手を合わせ、低く呟いた。
「昔々のことじゃ。延宝の頃・・・・村は困窮の果てに、声を上げた。では、聞いてくれるかの。六人の、命を懸けた物語を――」
【苦しみの果てに――圧政の村】
かつて「新井宿村」と呼ばれたこの地は、現在の東京都大田区にあたる。古代より東海道が通り、旅人と馬が行き交った要地であり、『馬屋の里』としても名を馳せた。
この地には、木原家が代々の領主として君臨していた。江戸時代初期――徳川家康の江戸入府に随行した旗本・木原氏が、江戸城修築に貢献した功績により、幕府から 「新井宿村」の全域を知行地として賜ったことに始まる。
初代木原氏は、大工棟梁としても知られ、薬師堂の建立など文化的にも足跡を残した。しかし――
時が経つにつれ、木原家の支配は名誉あるものから、冷酷な圧政へと変わっていく。
年貢は年を追うごとに重くなり、田畑ばかりか、畦道、果ては村人が薪を拾う入会地にまで課税が及んだ。自然災害が村を襲っても、その負担が軽減されることはなかった。
「木原家」とは、かつて将軍に仕えた誉れ高き家系。しかし、この新井宿においては――村人にとって、恐怖と苦しみの象徴だった。
延宝四年(一六七六)――年の瀬、新井宿村には冷たい北風が吹きすさび、人々の暮らしを容赦なく削っていた。
だが、それ以上に村を凍えさせていたものがあった。
それは、木原家が課す、容赦なき年貢の重みである。
農夫のひとりが、冬枯れの田にひざをつく。
手にした鍬は動かず、凍えた指先はただ、乾いた土をなぞるだけだった。
「・・・・米は実らぬ、牛も売った、娘も奉公に出した・・・・それでも、足らぬとはな」
そのつぶやきは、誰に届くこともなく空に消える。
ふと、隣の畑では、女房が赤子を背負い、声もなく嗚咽していた。
その子のか細い泣き声が、田に残る霜を溶かすことはなかった。
母の乳はもう、出ない。
旱魃、洪水、長雨――天も地も、彼らから命の糧を奪い尽くしていた。
にもかかわらず、木原家は年貢を緩めなかった。
しかも今年は、米ではなく「金」で納めよと命じられた。
囲炉裏の火は、かすかに明るさを保っていた。
老父が、すすけた火鉢の前でつぶやいた。
「田の水口まで課税されるような世じゃ・・・・そのうち、畦に咲く花も咎められるじゃろ」
若い百姓が、押し殺すように声をあげた。
「入会地も、取り上げられちまった・・・・薪も獲れず、獣も獲れねぇ。
このままじゃ、生きる意味なんぞ・・・・」
人は話すことをやめていった。
語れば、涙があふれるからだ。
その夜、名主・酒井権左衛門の家には、重い足音が集まっていた。
長年村を支えてきた者たちが、囲炉裏を囲み、静かに座る。
平林十郎左衛門が、うつむいたまま口を開いた。
「もう・・・・誰かが言わねばなりません。
このままでは、村が・・・・人が・・・・壊れてしまいます」
その横で、間宮太郎兵衛が歯を食いしばった。
「年貢は去年の倍・・・・米ではなく金・・・・馬を売り、娘を奉公に出して、それでも足りねぇ・・・・あとは、命を差し出せってことか」
ふと、沈黙の中から、間宮新五郎の声が低く響いた。
「黙して餓死するくらいなら、命を賭して訴えるしかねぇ。あいつらの上に乗る『幕府』に、直に――越訴だ」
『越訴』――それは、幕府へ直訴すること。それは、すなわち法を破ること――死を意味していた。
だが、その場にいた者たちに、もはや命の惜しさを語る余地はなかった。
やがて、酒井善四郎が重く、静かに言った。
「・・・・やるか」
五十三歳、村では最も年嵩の古参である。
「やるしかあるまい」
平林十郎左衛門が、膝の上で手を重ねた。
声は震えていたが、その目は揺るがなかった。
「命が惜しくないわけではない。
だが――
子や孫が、飢え死にしていくのを見ている方が、はるかに辛い」
囲炉裏の火が、ぱちぱちと弾けた。
六人の目が、交わり、誰ともなく、頷き合った。
その一瞬、時間が止まったかのようだった。
酒井権左衛門が、すっと立ち上がる。
「・・・・決めた」
その顔には、悲壮というより、静かな決意が刻まれていた。
「延宝四年、十二月二十八日――
熊野神社で、神に誓いを立てよう。
命を賭けて、村を守る」
それは、六人の『死出の旅』のはじまりだった。
誰ひとり声を上げることなく、凍てつく夜の道を歩き出す。
霜の降りた地面に、六つの足跡が残った。
やがてそれは、三百年を経ても語り継がれる『義』という灯となる。
【命を賭して――決死の上京】
延宝五年(一六七七)正月二日――。凍てつく風が頬を裂くように吹きすさぶ早朝、霜が草に白く降りていた。新井宿村の片隅に、六つの影が集まっていた。
酒井権左衛門は背筋を伸ばし、手にした風呂敷をぐっと結び直した。凍るような空気に、呼気が白く舞う。
「・・・・いよいよか」
傍らの間宮太郎兵衛がうなずいた。
「戻ることは、叶わねぇな」
「わかってる。戻るより、進む方がましだ」
鈴木大炊之助が、笑うでもなく言った。その目は据わっていたが、瞳の奥に一抹の不安が潜んでいた。だが、その不安を責める者は、誰一人いなかった。
六人は二手に分かれ、時間をずらして江戸を目指した。一行が宿としたのは、浅草・馬喰町にある百姓宿「武蔵屋」。正月に将軍家綱が上野東照宮に参詣する機会を狙い、訴状を将軍に届ける一縷の望みに賭けていた。
「ここでしくじれば・・・・全てが水の泡だ」
宿の一室で、善四郎が筆を執り、訴状をしたためた。筆先は震え、墨が滲んで紙を汚した。
「もう一度書こう」
「いや、そのままでいい」
平林十郎左衛門が言った。
「お主の手の震えも、村の悲鳴も、みなそこにある。それが本当の文よ」
静かに、誰かがすすり泣いた。誰も、それを咎める者はいなかった。
訴状にはこう書かれていた。
拝啓 将軍家御台所
武州新井宿村百姓一同 命をかけて申す候
領主木原義永公、無道の取立、村人一揆寸前にござ候
どうか、このままでは、赤子すら飢え死に申す――
「俺が、行く」
静まり返った部屋で、善四郎が立ち上がった。
「この中じゃ俺が一番年寄りだ。命なんぞ、もう惜しかねぇ」
「だが、足が遅ければ、それで終いだ」
太郎兵衛が言った。代わりに名乗りを上げたのは、新五郎だった。
「俺が行く。足も速けりゃ、腹もくくってる」
誰も異を唱えなかった。
――そして、その夜。裃姿の新五郎が、凍える桜田門外にひとり佇んでいた。胸の内で何度も何度も唱えたのは、村の名と、母の顔。
門が一瞬、音を立てて開く。
「今だ!」
手にした訴状を、門番の足元に投げる。だが――
「待てっ!」
声が響いた。次の瞬間、男たちに取り押さえられ、新五郎の身体は地に伏せられていた。
遠くの路地からそれを見ていた太郎兵衛と権左衛門は、歯を食いしばりながら背を向けた。
「行った・・・・あいつ、やり遂げた」
その夜、新井宿の空にも、しんしんと雪が降り始めた。
【斬首】
一月十一日。木原家の江戸屋敷、中庭。
六人の男たちは、縄をかけられ、地に膝をついて並ばされていた。空は青く晴れていたが、肌に刺す寒さが、彼らの覚悟を冷やすことはなかった。
「・・・・ここが、終わりか」
誰ともなく呟いたのは、大炊之助だった。
「いや、俺たちの先には村がある」
太郎兵衛が、小さく笑った。
「おらぁ、このあと村の小川で、子どもたちが裸になって魚追っている夢を見たぞ」
「くだらねぇこと言いやがって」
善四郎が声を震わせ、そして笑った。
「・・・・だが、悪くねぇ夢だ」
酒井権左衛門が、ゆっくりと顔を上げた。
「我ら、ここに至りしこと、悔いなどあらぬ。命を絶たれても、声は残る」
役人が合図を送る。
「――首を刎ねよ」
静寂を裂いて刃が唸り、乾いた音とともに血が空に散った。朝陽がそれを紅に染めた。
太鼓も鐘も鳴らぬ処刑。見物もなければ、記録も残されなかった。ただ、六つの命が静かに絶たれた。
【義民の碑】
処刑を終えたその日、村の百姓代・市兵衛のもとに、木原家から一通の文が届いた。
「二頭の馬を連れて、江戸屋敷へ来い」
何事かと思い訪ねれば、そこには無残な姿となった六人の亡骸が、庭に放り出されていた。
「これを、村へ持ち帰れ」
役人の言葉に、市兵衛は怒りに震えた。
「いっそ、わしも斬ってくれ!」
だが、酒をあおる木原の役人たちは、せせら笑うだけだった。
その日、市兵衛は髷を切り、文五郎と名を変えた。村の名誉を守ると心に誓い、赤馬と黒馬に遺体を載せて帰途についた。
村に戻った遺体を、誰も迎えに出ることができなかった。罪人とされた彼らを葬る場所がなかったからだ。
それでも、善慶寺の住職・日応上人は決断した。
「この者らを、わしが引き取る」
禁を破ってまで、六人を寺の境外に密かに葬り、数年後、親類の間宮藤八郎が両親の墓として墓碑を建てた。
その墓には、巧妙な仕掛けがあった。正面は父母の名、裏には六人の戒名。水を注げば裏面に水が巡り、誰にも気づかれずに供養できるようになっていた。
昭和四十七年(一九七二)、道路拡張に伴う発掘で、その伝承は真実であることが証明された。のり甕の中からは、静かに眠る骨が現れ、今も善慶寺に安置されている。
春、桜の舞う日に、若い女性が再び石碑の前に立つ。
「・・・・こんな時代にも、義を貫く人がいたんですね」
老僧が傍らでそっと頷いた。
「人は、忘れる生き物じゃ。しかし、誰かが手を合わせる限り、その魂は生き続ける。義とは、そういうものじゃよ」
そして、白い彼岸花が、また一輪、静かに石の前に落ちた――三百年を越えてなお、義の想いは咲き続ける。 (了)
