270話 こころを込めて
心をこめて
「心をこめて仕事をする。」
昔からよく聞く言葉だ。
でも、よく考えると少し難しい。
心って、どこに入れるんだろう。
料理なら盛り付ける場所がある。
荷物なら箱がある。
メールなら送信ボタンがある。
でも「心」は見えない。
だから、つい忘れる。
仕事をしていると、
「これ、終わらせなきゃ。」
「次はこれ。」
「時間がない。」
そんなことばかり考えてしまう。
気づけば、仕事は終わっている。
でも、心が置いてきぼりになっている。
僕もある。
忙しくなると、どうしても作業になってしまう。
料理を運ぶ。
片付ける。
オーダーを取る。
確認する。
また運ぶ。
気づけば自分がロボットみたいになっている。
「次の指示をください。」
そんな顔をしているかもしれない。
でも、お客様からすれば、
そこにいるのは作業員ではない。
自分の大切な時間を預けている人だ。
だから、
同じ「ありがとうございます」でも、
心をこめて言うのと、
口だけで言うのでは違う。
同じ料理を出しても、
「料理を置く」のと、
「美味しく食べてもらいたいと思って出す」
のでは違う。
同じ仕事をしていても、
そこに気持ちがあるかどうかで、
相手が受け取るものは変わる。
そして、
心をこめるというのは、
大げさなことじゃない。
相手の顔を見る。
名前を覚える。
昨日話したことを覚えている。
困っている人に気づく。
「ありがとう」をちゃんと言う。
少しだけ先回りする。
たったそれだけだ。
でも、その「少し」が人の心に残る。
例えば、
「雨の中ありがとうございます。」
この一言。
言わなくても仕事は成立する。
でも、言われた側は、
「ちゃんと見てもらえている。」
と感じるかもしれない。
心をこめるというのは、
相手をちゃんと見ることなのかもしれない。
仕事でも同じだ。
スタッフが失敗した時、
「なんでできないの?」
と責めることは簡単だ。
でも、
「どこで困った?」
と聞く。
これだけで、相手との距離は変わる。
忙しい仲間がいたら、
「大丈夫?」
と声をかける。
新人が頑張っていたら、
「さっきの良かったよ。」
と伝える。
これも立派な「心をこめる」だと思う。
心をこめるって、
何か特別なことをすることじゃない。
目の前の人を、
「人」として見ること。
仕事を、
「作業」で終わらせないこと。
そして、
自分が関わったことで、
相手の時間が少しでも良くなるように考えること。
もちろん、毎日完璧にはできない。
忙しい日は余裕がない。
疲れている日は笑顔も減る。
家に帰れば、
「今日はもう誰とも話したくない。」
という日だってある。
人間なので仕方ない。
僕だってある。
むしろ、
心をこめようとしている本人の心が、
一番先に疲れている日もある。
だからこそ、
全部に100点を出そうとしなくていい。
一日一回でもいい。
誰かにちゃんと向き合う。
一つの仕事を丁寧にやる。
一言だけ、感謝を伝える。
その積み重ねでいい。
仕事の価値は、
どれだけ早く終わらせたかだけでは決まらない。
その仕事を通して、
誰の時間を良くできたか。
誰を少し笑顔にできたか。
誰かの困りごとを減らせたか。
そこにも価値がある。
だから今日も、
目の前の仕事をただ終わらせるのではなく、
心をひとつ置いていく。
「ありがとう。」
「大丈夫?」
「また来てください。」
「助かったよ。」
そんな一言に、
ほんの少し心をこめる。
たぶん人生って、
そういう小さなことの積み重ねなんだと思う。
大きなことを成し遂げる人だけが、
人の心を動かすわけじゃない。
目の前の人を大切にする。
目の前の仕事を大切にする。
今日という一日を大切にする。
その姿勢が、
少しずつ誰かの記憶に残っていく。
「この人に会えてよかった。」
いつか、そんなふうに思ってもらえる人になれたらいい。
そのために、
今日も心をこめて。
……まずは、
「お疲れさまです。」
をちゃんと相手の顔を見て言うところから始めよう。
心は、
意外とそんなところに入っている。
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