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キリストにある一致──改革・再建・和解という三つの道と、福音の核心に立つこと

(6月16日改訂)
ある読者の方から、誠実で深い問いかけをいただきました。

現在のプロテスタント界には、少なくとも二つの自己理解があるように思います。一つは「カトリック教会を正しい方向に改革しつつある者」、もう一つは「教会をゼロから再建している者」。未来に向けた諸教会の建設的な対話を思うとき、このプロテスタント自身のアイデンティティは、とても重要ではないかと思います。

この問いは、単なる内省ではなく、実践の方向性そのものを問うものだと思います。特に教派を越えて協力が求められる今日、「自分たちは何者なのか」「どこに立つのか」という問いは、福音を伝える姿勢に直結します。

ここでは、「もしキリストの復活が真実であるなら」という前提に立ち、単なる一人のキリストを信じる者として、プロテスタントの自己認識と、カトリックとの関係、そして日本の教会の未来について考えてみたいと思います。


なぜ「プロテスタント」ではなく「福音主義」と呼ぶのか

宗教改革の地ドイツでは、現在もプロテスタント教会は「福音主義教会」と呼ばれています。これは単なる言い換えではありません。「プロテスタント(抗議者)」という名称が、もともとカトリックへの対抗姿勢に由来するのに対し、「福音主義」は、より積極的にキリストの福音──贖罪と復活の良き知らせに立つ者であるという信仰告白を表しています。

「抗議し続ける教会」ではなく、「福音に従い続ける教会」へ。この転換が、教会の一致や和解を志向する鍵となりうるのではないでしょうか。


三つのモデル──改革、再建、そして和解

現代のプロテスタントの中には、以下の三つの自己理解が存在しているように見受けられます。

  • 改革モデル:カトリック教会を神の教会と認めつつ、誤りを正し、福音により忠実な形へと改革していく立場。

  • 再建モデル:カトリック教会そのものを誤った体系と見なし、初代教会の姿に立ち返って教会を一から築こうとする立場。

  • 和解モデル:カトリックとプロテスタントを、キリストへの異なる視座に立つ信仰共同体と見なし、対話を重ねつつ、お互いに神に喜ばれる教会を築こうとする立場。

この三つのモデルはいずれも、真剣な信仰の模索の中から生まれてきたものです。重要なのは、自分の立場を絶対化せず、福音の核心において共通するものは何かを見つめ直すことではないでしょうか。


共通の中心:「キリストの贖罪と復活」

プロテスタントは「聖書のみ」を掲げ、カトリックは「聖書と聖伝」に立つとされます。この違いは決して小さくはありませんが、キリストの贖罪と復活が信仰の中心にあるという点では、両者に本質的な共通点があります。

福音とは、神の御子が十字架にかかり、私たちの罪のために死に、死に打ち勝って復活されたという「良き知らせ」。この福音に生かされている限り、私たちは教派を超えて、同じ救いに与る者として共に歩むことができるはずです。


日本における教会のかたち──霊性と文化に根ざして

カトリックは16世紀に日本へ福音を伝え、プロテスタントは近代に教育・医療・社会活動を通じて広がっていきました。今日の私たちには、こうした歩みの上に立ちながらも、次の問いが与えられているように感じます。

それは、「どの教派に属するか」だけでなく、「福音の上に立ち、どのように共に歩むか」という問いです。

もしかすると、私たちには日本の霊性と文化に根ざした、新たな教会のかたちが必要とされているのかもしれません。それは分裂ではなく、福音に立脚した一致と希望の試みであるべきです。

キリストにある一致とは、制度の統合ではなく、信仰の本質における共鳴です。福音の中心に戻ることで、私たちは日本の地にふさわしい信仰共同体を築いていけるのではないでしょうか。


そして、「福音を知らない人々へ」

最後に、私たちが見逃してはならないのは、日本の多くの人々にとって、キリストの贖罪と復活という福音自体がまだ知られていないという現実です。

この状況にあって、私たちがまず共に担うべき使命は、教派を越えて福音そのものを分かち合い、語り伝えること(伝道)ではないでしょうか。

教会の一致や対話は、あくまでそのための土台であり手段です。むしろこの地において、私たちが福音の核心に立ち返ることによって、霊的に世界をリードしていく可能性すらあると、私は信じています。


結びに──すべての人を一つに

キリストは祈られました。

「すべての人が一つとなるためです」

ヨハネによる福音書17章21節

この祈りは今も、キリストを信じるすべての者に向けられているのではないでしょうか。私たちが本当に「福音」に立つ者であるなら、そこには分断ではなく、一致と希望への道が開かれているはずです。

教派を越え、福音に根ざして、共に歩む──その小さな一歩が、キリストにある新しい教会の出発点となるのではないでしょうか。

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