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すべての日本人が救われるという、一つの仮定

※この記事は、特定の教派や信仰形態を社会に強制することを目的とするものではありません。日本においてキリストの復活を信じるという在り方について考えてみる試みです。信教・思想・良心の自由を最大限に尊重した上でお読みください。

復活派としての一つの思い

もし、日本において理想的な信仰の変革が起こり得るとするならば、それはどのような姿をしているのでしょうか。
日本は、歴史的に外圧によって国の在り方が変えられてきた側面を持つ国だとも言われます。しかし、もし信仰の転換が起こるとするならば、それは外国人の力や制度によるものではなく、日本人一人ひとりの内面から生まれるものであってほしいように感じます。

仮に、すべての日本人がキリストの復活を信じ、創造主の前に義とされるという出来事が起こるとするならば、それは暴力や強制を伴うものではなく、名誉革命のような、一人一人の意識の変化によって実現されるのが望ましいのではないでしょうか。
血が流れず、誰かが排除されることもなく、ただ人々の理解と受容が少しずつ深まっていくようなかたちです。

ここで、キリスト信仰の基本的な論理を、あらためて整理してみます。
キリストの復活は事実と伝えられる。そして、このことを信じ告白する者は、創造主によって義とされる。
では、もしすべての人がキリストの復活を信じ告白するならば、すべての人が義とされ、救われることになるとも考えられるのではないでしょうか。

これは現実的とは言い難い、夢のような話であるようにも感じられます。
しかし、もしもそうであるとするならば、これ以上に穏やかで、これ以上に希望に満ちた結末はないのではないかとも思われます。

もちろん、これはあくまで仮定の話です。
ただ、「もしそれが真理であるならば、どのようなかたちで社会に現れるのが最も望ましいのか」と考えること自体は、決して無意味ではないのではないでしょうか。

すべての日本人が救われる世界。それは断定ではなく、一つの願望として、そっと心に置いておきたい思想であるようにも思われます。


あとがき

いい日時にいい感じの記事を投稿できたので、この記事の後、このアカウントにおいては記事を書くことをお休みしたいと思います。「復活派」とでも呼べるようなスタイルに関して、試しに多くの記事を書いたので、興味があれば、これまでの記事もご覧になってみて下さい。有難うございました。


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