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キリスト信仰の伝道において思うこと(ショート記事)
※信教・思想・良心の自由を尊重しつつ、一つの視点としてお読みいただければ幸いです。
日本においては、信仰を持つ人について、「何か不幸があったのではないか」と思われることがあります。
あるいは「心が弱っている人」「かわいそうな境遇にある人」という見方をされることも少なくないように思われます。
確かに、人生の苦しみや悲しみの中で、キリストを信じるようになる人は多いと思います。
それは否定をすることではなく、自然なことだとも思います。
人は弱さの中で救いを求め、キリストの教えに出会うことがあるからです。
しかし、もしもキリストが本当に人であり神であり、信じるに値する存在であるとするならば、その信仰は「不幸な人のためだけのもの」ではないはずです。
平穏な生活を送っている人、幸せな人、豊かな人にとっても、キリストを信じることは道理にかなった、正しい選択と言えることでしょう。
だからこそ、信仰について書くことにしています。
信仰は、悲しみの時だけに必要なものではないと考えています。
普通の時にも、人生の意味を考える時にも、キリストを知る機会が与えられていると考えるのです。
このような姿勢は、教会にとっても望ましいものだと思っています。
信仰は「困った時の神頼み」ではなく、すべての時にキリストを知り、親しむことから始まると思われるからです。
