山岡鉄次物語 父母編6-3
《ふたりして3》結婚
☆頼正と珠恵は結ばれる。
まだ肌寒い春先に、珠恵の胸の内には熱いものが込み上げて来ていた。
珠恵は塩川駅北側の待ち合いで頼正に結婚を申し込まれたのだ。
頼正と乗った蒼蓮湖のボートで、大事な話があると言われてから、珠恵は多分結婚の事だろうと思っていた。
しばらく経ったある日、珠恵は頼正に塩川駅で待つように言われたのだ。
頼正から一緒になって下さいと言われた珠恵は、覚悟を決めた顔つきで答えた。
『はい、お願いします。』
珠恵は、自分には両親が揃っていないという引け目があり、それに2つ歳上だということもあったが、頼正の求婚を受け入れる事にした。
珠恵の姉や従姉妹や友人たちは、頼正さんならと、皆賛成してくれていた。
昭和22年4月、珠恵はたった一人で頼正のもとへ嫁いで行く。珠恵24歳の春だった。
普段もんぺ履きの珠恵は結婚する日ぐらいはと、着物を借りる為に親戚の家を訪ねた。
『私、今日お嫁に行くんです。』
嫁入りは実家からが良いという姉たちの言葉に、珠恵は八千代の家の仏壇に向かって、父母と兄に報告の祈りをした。
珠恵は親戚で借りた着物を、姉芳江の介添えで着飾った。
芳江と八千代は後で支度してから向かうとのこと、珠恵は一人で実家を後にした。
珠恵は新生活への期待と不安で胸がいっぱいだった。珠恵はお嫁に行く自分の姿を、父と母に見せたかった、喜んでもらいたかった、そんな思いで涙が溢れて困った。
そして一人っきりの門出は心細かった。
たしか頼正は向嶽寺で待っているはずだと珠恵は歩みを進めた。
頼正の家の菩提寺は塩川市にある禅寺で臨済宗向嶽寺派大本山の立派な寺院である。
向嶽寺辺りまで一人で歩いて来ると、迎えに出ていた頼正の姿を見つけて、ほっとする珠恵だった。
当時は人生の節目となる、出産、結婚式、葬式は自宅で行われていた。
結婚式は嫁ぎ先の新郎の実家で行うのが一般的だった。
頼正の実家は、頼正が少年時代に奉公した後半3年分の給金を元に父浪頼が手に入れた家屋敷だったのだ。
余談になるが、年老いた頼正が山岡鉄次に話した事がある。
浪頼が頼正の前半3年分の給金をどうしたのか?家族は誰も解らなかったらしい。
頼正の実家は、幸い戦争での焼失をまぬがれていた。
終戦後の混乱期、結婚式と云っても物の無い時、もちろん現在の様な結婚式ではなかった。
それでも、頼正の両親、浪頼と花子は物のあまり無い中でも、結婚の宴の為に料理の材料をかき集め、準備を整えてくれた。酒は葡萄酒だった。
頼正の弟妹たちは、兄は戦死しているのと、末っ子はまだ生まれてないので、妹6人弟2人がいたが、みんな兄頼正の結婚を喜んでいた。
弟は正実、忠司、妹は八須子、みね子、ひろ子、みさ子、ひとみ、秋江と云う。
正実ら年長の弟妹数人は宴の準備を手伝ってくれていた。
頼正の家には後から珠恵の姉の清子と芳江、従姉妹の八千代が駆けつけて来ていた。
頼正の名付け親をした工場主松本の仲人で、簡素ながら結婚式が始まった。
仲人の号令で、床の間の前で頼正と珠恵は三三九度の杯を酌み交わし、親族の固めの杯を行った。
仲人の挨拶の後は、質素だが賑やかに祝宴を行った。
ささやかな「ふたりして」の人生は、こうして始まる。
