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山岡鉄次物語 父母編5-5

《人生刻んで5》占領

☆日本は米国の占領下にあった。

昭和20年8月、日本が連合国に降伏してからは混乱の世となっていた。

庶民は合法的に配給された食料だけで生活して行くのは困難であった。焼け跡には闇市が立ち並んでいた。
戦後、裁判官山口良忠は闇取引、つまり食管法違反を裁いていた。
彼自身は闇市の米を食べずに、配給品だけを食べて栄養失調で餓死した。
何とか食べて生きてもいいと思うが、順法精神には頭が下がる出来事だった。

多くの人は闇の食料を苦労して手に入れ、厳しい時を生き延びていたのだ。

戦争が終結し、ポツダム宣言の執行のため連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が東京日比谷の接収された第一生命のビルに置かれて、日本の占領統治を始めた。

当初は現在の横浜税関に置かれたが、後に皇居と東京駅に挟まれた丸の内地区一帯のオフィスビルはその多くが駐留する連合国軍によって接収されたのだ。

最高司令官ダグラス・マッカーサーが5年8カ月の間務め、「堀端天皇」とか「鬼より怖いマッカーサー」と恐れられていた。

占領軍の日本の統治は日本の政治機構をそのまま利用し、直接日本国民に命令を発するのではなく、最高司令官が日本政府に対し指令を出し、日本政府や自治体がそれを施行する方式がとられた。
その命令は断固とした強制力を持っていた。

連合国軍といっても最大の占領軍を派遣し、最高司令官を出した米国による占領という状態だった。

日本はまず軍事機構と国家警察が解体され、戦争指導者(戦犯)が検挙された。

昭和21年から23年、市ヶ谷に設置された極東国際軍事法廷により、東条元首相を始めとする、日本の指導者が裁かれた。

平和に対する罪(A級犯罪)で有罪になった被告人は23名、通常の戦争犯罪行為(B級犯罪)で有罪になった被告人は7名、人道に対する罪(C級犯罪)で有罪となった被告人はいない。
25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。

日本のBC級戦犯は、GHQにより横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。被告人は約5,700人で約1,000人が死刑判決を受けた。

GHQの要人は軍事裁判の判事に、この裁判は歴史上最悪の偽善で、日本が置かれたような状況では、米国も日本と同じように戦争をしていただろう、と述べた。

GHQは続いて政治の民主化と政教の分離、財閥の解体を行った。
そして農地改革により大地主は強制的に土地を買い上げられ小作人に分配された。

農地改革は小作農家にとっては、またとない占領政策であった。


あまり知られていないが、GHQは当初、日本から漢字と仮名を無くそうとしていた。
ローマ字を使用することによって識字率が向上し、民主主義が促進されると考えたのだ。

一億玉砕などの軍国主義を煽った漢字の言葉がマイナスの印象を与えていたからだ。

しかし日本全国を対象に行われた漢字テストの結果、識字率は極めて高く、地方の農民や高齢者も漢字を読むことができたことで、GHQも漢字を廃止することができなかった。

GHQはさかんに民主化と言ったが、日本国民に言論の自由はなかった。

昭和27年4月のサンフランシスコ講和条約が発効し、日本の主権が回復したことにより、GHQは活動を終了し、解体された。

同時に、日本は米国や英国などと2か国間協定を結び、米国とは日米安全保障条約に調印して、米軍の継続した国内駐留と治外法権などの特権を認めた。

そして米軍の上陸作戦による、悲惨な体験を強いられた沖縄は昭和45年の返還まで、米国の一地域として扱われる。

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