むなしさから一歩踏み出す?
以前は「介護ブログ」に「こんなに大変なことがあった」とか「こんなことが頭にきた」とか日々起こっていたことを中心にたまに更新していたがもうそのブログに書くこともない。介護が終わったので。
けれどこの一年半の間に思うことや気づいたこともたくさんあって、それは介護終了までの私とは違うものだったりする。
それを整理するためにまた何かに記していこうとやっと思えたのでnoteという形で行動に移そうと思う。
介護という義務的な長い時間が終わり一人ポンと投げ出されてる戸惑いつつでも生きなきゃという女のnote.
もちろんさっさと脳みそも体も動かしていたつもりなのだけど
何かを見て自分の細胞がそれを咀嚼し心を動かすということが出来ていなかった。ちゃんとその時の素直な自分として感じることは難しかった。
では今はできているのかと言えば心もとないが、状況に押しつぶされるような感覚は過ぎていったと思うのでやっとこさ。
介護が終わりましたというと世間的には「お疲れ様、これからは自分のことを考えないとねモード」になる。
しかし共に時間を過ごしてきた命がなくなるというのは今までの日常がなくなるということ。
私の時間は続いていくのだけれど今までの生活感覚をすべて強引に切り換えないといけないということだ
家族が亡くなると、特に同居していた身内が亡くなるとやらなければならないこと考えなければいけないことや感じなればならないことがたくさん出てくる。
それは「ちょっと待って、一息入れてからどうにかするね」というわけにはいかずまさにその時から強制的にシフトをチェンジしなければならないこと。
特に私の場合は他に家族もなく(遠方に身内有り)自分の機嫌もとりながら経済的な問題もクリアしながら生活スタイルを変えるというのはなかなかしんどい
で、そうこうしているうちに一年半経ちやっと心にちょっとだけ本当にちょっとだけスペースができた気がするのだ(直後に最愛の猫も逝ってしまったせいもある)
母が亡くなった事実がしんどくてというよりも自分の20年あまりにわたる『介護生活のむなしさ』みたいなものに占領されていたスペースにちょっと隙間ができた感じ
20年は長いです。浦島太郎。20年前に出来たことが出来なくなってるし時代も変わっている。なので「やっと自分の時間だね」なんていうのとは違う。
どうしたらいいんどろうという戸惑いの方が大きい。投げ出された感じ。
ほぼ母がらみだった今までの人間関係は全てリセット。
この歳で新しい関係をゼロから構築しろと??とか。
泣き言をいう時間さえないもうこんな年なので(なってしまったので)新しい人生に向かってとかいう気持ちではなく
情報過多の時代これから先の自分に過剰な入力ばかりではなくいろんな事を反芻して取捨選択しながら自分なりのバランスをとってできるだけ不愉快でない日常をおくっていきたい、それが出来れば最高なのかもしれない。
