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【40歳過ぎてシンガーソングライターに その4】|創作大賞|オールカテゴリ部門|ノンフィクション

【第四章|病気転じて歌となる】

40歳を過ぎて
「シンガーソングライターとして活動してます」というと
よく聞かれる質問があります

Q. 「長年、活動されているんですか?」

A. オリジナル曲は幼少期から頭の中で作っていましたが
楽器も弾けず、なかなかバンドも組めなかったので
40歳過ぎてから活動を始めました。
(歳の分だけ、しれっとベテラン感を醸し出してるかもですが(笑)
まだまだ活動し始めて数年の新参者です)

Q.  「じゃぁ、今まで何をしてたんですか?」

A.子育てと病気してました(笑)


病気はあたりまえのことへの有り難みや
感謝に気づかされる有難い経験でもありますが
体だけでなく心を蝕むこともあるので
重たい内容にもなりかねない

私こんなに大変だったの!と
病気自慢や不幸自慢をしたいわけじゃないけれど
どんな症状があって、どんなふうに辛かったのか
なるべく分かりやすく具体的に伝えたい

かと言って、綺麗事のように
いいことばかりを語ると嘘になってしまうし
強がっていると自分も苦しくなってしまう…

なので、そのことについて
どう書いたらいいか、ずっと悩んでいましたが
ありのまま書こうと思います

病気って、辛いものです 
もっと言うと、私にとって最も辛かったのは
症状や治療はもちろんですが
私の場合、お医者さまでも原因や治療法や
今後どうなっていくのか分からなかったことが多くて
その“分からない”ということが本当に不安で怖かったです

*****

私は大人になるまで元気な健康優良児でした

生まれつき病弱な姉が、いつも母に心配されて
「大丈夫?がんばってるね」と
努力を認められて、味方されて
褒めてもらっているのを見たり

姉は長期入院していたため
当時、流行ってた赤いダブルラジカセや
好きな本をたくさん買ってもらっているのを見て
いいなぁ、羨ましいなぁと思いながら育ったこともあって

そうか病気になると、かまってもらえるんだ!
可愛がってもらえるんだ!
と歪んだ認識をしてしまったんです

ところが私はとにかく健康
それは時に
風邪に憧れて、お風呂場で冷水を浴びても風邪ひかないし
怪我に憧れて、家の廊下でわざとこけてみても
擦り傷にもアザにもならず
(良い子も大人も真似しないでください‼︎)
眼鏡に憧れて、どれだけ暗いところで漫画を読んでも
視力はめちゃくちゃ良かったり
(今は老眼に悩むお年頃)

アホなことばかりしてましたね(笑)

「あんたはいいの、お姉ちゃんは体が弱いから大変なの」
と母から言われて
そのうち自分が本当に風邪をひいて熱が出ても、母から
「どうせ仮病だろう?」
と信じてもらえなくて

まるでイソップ童話の
オオカミ少年のような気持ちでしたが


私も母に、ただ
「大丈夫?」ってやさしくされてみたかったんだと思います
ただ、ヨシヨシって頭を撫でられたりしてみたかったんだと…
そんな些細なことを、ずっと夢にみて求めてしまってきました

*****

絵に描いたような健康優良児だった私が20歳を過ぎたある日
突然、左腕に猛烈な痛みがはしって
1週間ほどピクリとも動かせなくなったことがあって

20代後半で肩関節周囲炎になりました
いわゆる五十肩というやつです
(早くない?まだ二十代だったから「二十肩」?)
しかも関節に石灰化沈着という
レントゲンにも写る「白い骨」みたいなものが出来てしまい激痛

肩の痛みを堪えつつも、家事や仕事をしていました


その頃に、ふとママ友から勧められて
カラオケ大会に出てみたことをきっかけにして歌仲間が出来ました

私は昔から、すごく緊張しいで
マイクを持つ手や足などガクガクブルブル振るわせながら

最初は箸にも棒にも引っかからないような状態で
審査員の方々からも、普通に歌えて入るんだけど…
というくらいの評価しかいただけなかったですが

歌仲間と出会って
みんなで切磋琢磨しながらカラオケ喫茶を巡ったり
人前で歌う練習をして、場数を踏んだり
まるでオリンピックを目指すアスリートのような気持ちで
全国あちこちのカラオケ大会に出ては
歌唱力、表現方法、伝える力、見せ方などを
みんなから学ばせてもらい

1年後に、いくつかの大会で優勝させてもらえるようになったり
深夜の歌のオーディション番組に出たりもしましたが
それで、歌手デビューできるというわけではない
難しい世界なんですよね…

そして歌や表現力、パフォーマンスなどの実力も
プロとしての精神的な心持ちや覚悟や
応援してくれる方達のために…という想いなども
全然足りていなかったんだなと思っています

*****

30歳の頃に肩の痛みから、全身のあちこちに疼痛が広がって
うまく表現できないけど
痛みの強い箇所で爆発してるんじゃないかと思うほど
尋常じゃないほど痛くて
連日眠れないほどの激痛に襲われました

じっとしていても、寝ていても
腕を肩からもぎとって欲しいと思うほど
すごく痛くて痛くて…
そこから怒涛の病院めぐりが始まりました

どの病院でも、血液検査、レントゲン、MRI検査などしても
どこにも異常は見つからず、医師からは
「体に異常はないんだから、痛みに弱いんじゃないか?」
「気にしすぎて大袈裟なだけじゃないか?」
「そんなに気になるなら、精神科へ相談してください」
と言われたことも多々あり

この痛みが気のせいなら
目に見えてるものすべて幻や~!!と嘆いてました(泣)

今ならスマホで手軽にチャットGPTなどに相談も出来ますが
当時もパソコンなどはあるものの、調べ方もよく分からず
ただでさえ、いろんな症状で苦しんでる中で
自分だけでは、どうしたらいいか分からなくて

家族や誰かぁ!!
例えばどこの病院へ行ったらどうかな?・・・とか
症状からして、こんな病気じゃないかな?など
一緒に調べて~‼︎と心の中で叫んでました
ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

という他力本願な私のワガママは叶わず
家族からは「医者じゃないから、わかるわけがない」と見放され
家族なのに血も涙もないの?!
とチラリズムした怒りも哀しみと化していきました

お医者さんでも分からないとお手上げだったので
医者でもない人からしたら、確かにごもっとも
そりゃそうだよな…と今なら思えるけど

病気が治った数年後に
同じように原因不明の病気の方のドキュメンタリーなどが
テレビで放送されているのを観ていた家族が
この家族は、なんでもっと早くいろんな病院に連れて行ってやらないんだ⁉︎
と文句を言っていました
(え?私の時のことは⁇)と悔しい気持ちが込み上げてきました

テレビで、こういう再現VTRを観たり
他人のことだと、そう思えるんだよね、、、と
いろんな意味で涙がチラリ(~_~;)

見た目には、なんともないし
ポーカーフェイスなのか
平気そうに見えるって、なんだか損してる気がする…

*****

結局自分で調べて、あちこちの病院を半年くらいかけて
回りに回ること50件以上(もはや執念)
増えてく診察券はトランプのカードのようでした(笑)

そうして、たどり着いたとある整形外科で診断されたのが
【線維筋痛症】(せんいきんつうしょう)
聞きいたことありますでしょうか?

近年でこそ、歌手のレディガガさんや
元アナウンサーの八木亜希子さんも患い治療中だと
ニュースでも取り上げられたり
「線維筋痛症」について特集が組まれたりして
少しずつ認知されるようになって来ましたが

当時は医師の間でも知ってる方がほとんどいなかったほど
認知度の低い病気で
原因も治療法も不明
(現在では、症状によって難病にも指定されているそうです)

とにかく痛みを紛らわせるためにも
感覚を鈍らせたり、睡眠をとるためにと
抗うつ剤などの投与や
末期がんを患われている方と同じような薬も処方していただきましたが
ありとあらゆる薬を試すも、なかなか効かず
毎日増えていく膨大な薬が食事のようでした…

薬が効かないのはそれもそのはず
しっかりと解明はされていないようですが
どうやら線維筋痛症は痛みがある体の部位に
直接疾患や問題があるというよりは

「脳内で痛みを感じる伝達回路(シナプス)などに
問題があるのではないか?とも考えられているようです」と
医師から聞きました
それゆえ、いろんな検査をしても、体に異常は見受けられず
とにかく猛烈に痛みを感じてしまうらしいのです

気休めでしたが
当時は痛み専門外来のペインクリニックなどで
週に何度か痛み止めの点滴をしたり
全身のあちこちに麻酔注射に打ってもらっていました

全身に打つ麻酔注射で一番痛かったのが
足の裏!!!!
みなさん、足の裏に注射したことありますか??
あれは本当にめちゃくちゃ痛いんですよ!!
よかったら今度ぜひ、なんてオススメは絶対にしません(笑)

そして点滴をするために腕を縛るときの痛みも耐え難く
腕から点滴が難しくなり、鎖骨下あたりに
ポートと言われる、プラスチック製の小さな器具を埋め込む手術をして
そこから針を刺して点滴してもらっていました

当時、小学生だった娘がいつも私の通院に付き添ってくれて
待ち時間や治療中に、大人しく宿題などをしていました
たくさん心配かけて、通院に付き合わせてしまって
娘から、友だちと遊ぶ時間を奪ってしまった申し訳ない気持ちと
心やさしい子に育ってくれてありがたい気持ちが混在していました
親バカですが、今でも“宝物ちゃん”と呼びたくなるような
ホスピタリティーが高くて優しい
幾つになっても可愛い娘です(笑)

子育てについて
天真爛漫に見えても
子供は実は親の顔色を伺って
子共ながらに色々と考えている
ということを自分も経験してきたし

親としての母の心配や苦労の気持ちも
そばで見てきたから痛感していて
でも親の都合で怒られて
理不尽な思いもしてきたからゆえに

自分が子供を叱って
傷つけてしまわないか怖かったり
でもいけないことは教えなくてはと
その場でなかなか言えない思いを
抱えて溜め込んでは、時々爆発したように
怒鳴ってしまったり...

子育てに正解もマニュアルもないから
本当に難しい

子供を育てていくことは極論を言ってしまうと
やがては親の私がいなくなっても
生きていけるように
自立することにも繋げていくことが大切で
素直で純粋で繊細な心と向き合って
子ども1人が大人になるまで、お金もかかるし
本当に大変なこともたくさんで

その大変さからも、つい
育ててやってる...と
上から見下ろしてしまう方も
いらっしゃるかと思いますが

自己嫌悪、一人反省会しながらも

子どもに、あれこれ教えているようで
子どもから教わることが本当にたくさん

有り難く子育てさせてもらってるんだ
子供が私を母親にしてくれて
いっしょに成長させてもらっているんだな、ということを
いつも忘れないように心掛けるようにしています

*****

線維筋痛症の薬の副作用などで
どんどん痩せて体力が落ちて
一時は体重も40キロを切ってしまって
杖をついて歩いたり
外出先で痛みが酷いときには
車椅子を借りて使うこともありました

みんなに周知されていない病気は誰かと会う度に
「どうしたの?」と聞かれて
「線維筋痛症という病気でね…」と言っては
「なにそれ?どんな病気なの?」と聞かれて
症状や診断、治療に至るまで長々と説明しなくてはならず
「大変そうね」と
もちろん本当に心配してくれる友人もいましたが

当時もそんな私の支えは歌だったので
調子のいい時にがんばって歌っていると

「あの子って、痛い痛いって言いながらも
楽しそうに歌ってるよね?」とか
「本当は仮病なんじゃない?」とか
「大袈裟で面倒くさい子…」などと言われてたよと
人伝いに聞かされて
痛みは、どうしても目には見えないので
信じてもらえないことも多く
人と関わることへの怖さが生まれました

*****

こんなの嫌だ!
痛みのない世界へ行きたーい!!

なんて思っていたら
ある日、ふと気がづくと痛みが無くなっていたんです

でもそれは、治った?!!と喜べるものではなくて

気づいたら、痛みもない、、、けど
味覚もない
嗅覚もない
触覚?自分の体のどこを触っても何の感覚もない

洗濯物がまだ濡れてるのか乾いてるのか触っても
触れている感覚が全くないから
見た目で色が違う…とかじゃないと分からない

鞄の中から鍵や携帯電話を探そうとしても
手探りでは何にも触れてる感覚がないから
物を取り出すことができない

暑いのか?寒いのか?風が吹いているとかも感じられない

お風呂に入ってもあったかいのかも
体が濡れているのかも一切感じられない

口の中の感覚も無くて歯ブラシがどこに
どのくらいの強さで当たっているか分からない

視界も左右が欠けた感じで、両サイドから視野が狭くなって
全体的に見えている色のトーンというか明るさが何だか暗い

聴覚も一応聴こえてはいるけれど
隣の部屋で小さくラジオが流れてるかのような聞こえ方で
なんだか聴き取りづらい

温かいうどんを食べようとして、湯気が立ち上る
きっと熱々であろう…という、うどんの麺を唇にそっと当ててみても
熱いのか、冷めたのか感じられず

少し堅い物を食べた時に
なんか口が閉じないと思ったら
力加減が分からないから、よほど強く噛んでしまったのか
奥歯が欠けてしまったこともありました

歯医者へ行って麻酔を打ってもらったけれど
そんなことをしなくても
その時の私は痛みを全く感じられないので
既に全身麻酔が効いているような感じだったので
麻酔なんて無意味だなと思ったり

通常、歯医者で麻酔を打たれると
その辺の皮膚の感覚が一時的になくなって
手で触ると、麻酔が効いてる所と効いていない所の境目なども
くっきりと分かる感じがするけれど
顔や体、どこを触っても何にも触れている感覚が無かったです

これは昔、映画で見た
【ネバーエンディングストーリー】で最も恐れられていた
ファンタージェンの【虚無】というアレや~と思ったり

はたまた映画【パイレーツオブカリビアン】に出てくる
悪役「バルボッサ」にかけられた呪いが私にもかかってしまったんだ~
などと、こんなことが本当に現実に起こるんだ…と驚愕しました

“痛みのない世界に行きたい~”なんて
安易に願っちゃいけないですね、、、
痛みを感じないというのは、なんの手応えもなく虚しく
力加減なども分からず、本当に危険なんだなと
必要最低限の「痛み」を感じるということは大事なんだと痛感しました

むかし漫画「ドラえもん」で『ヘソガソリン』という話を読んだ時に
似たようなことが描かれていたのを思い出しました

*****

当時、線維筋痛症の新薬を処方してもらった時だったので
薬の副作用も疑い、薬剤師さんに相談して
「薬の副作用からの症状なら2週間ほどでおさまりますからね」と言われて
薬を一切止めてみることにしました

でも1か月、2か月経っても全然感覚が戻る気配もなかったです


さらに喋る言葉も時々、頭でイメージしてるのとは
違う発音になってしまったりして

当時、大好きなアーティストのコピーバンドを結成したばかりで
やっと念願のバンドで歌える!!と大喜びしていたのですが
リーダーと打ち合わせてをしている時にも
「なんか発音おかしいよね?」と言われて

長年慣れ親しんだ曲の歌詞を一行も覚えられなくなってしまったり
みんなとの練習の予定を組もうと連絡をしようとしても
何をどうしたら良いのやら、頭でうまく考えられなくなってしまい
今の状態ではみんなに迷惑をかけてしまうと判断して
「治療に専念します」と言って
活動中止せざるを得なくなってしまいました

また、私は昔から洋服が大好きで
カラフルで個性的な服を着るのが楽しみだったのですが
急に服の組み合わせ方がよく分からなくなってしまい

タンスを開けて自分の服を見ても
これ誰の服?これが私の服なの?と
どこか離人感のような感じがして

例えば白いシャツには
何を合わせたら良いのかさえ分からなくなってしまい
仲良かった友人に
私は普段どんな風に組み合わせて服を着ていたか?
聞いて教えてもらったりもしました

何も感じられない
何か食べたり飲んでも、味も重さも食感も分からず
満腹中枢も機能しなくなってしまったのか?
どれだけ食べても、お腹もいっぱいにならず、何も満たされない
まるで「生きながらの死」
もしかして、本当は自分が死んでしまっていて
「なにも感じられない」
こんな日々が永遠に続くことが
「地獄」なのか?と何度も思ったほど
「生きてる」という実感が無く
ただただ途方に暮れる長い長い日々でした

*****

全身の感覚が無くなって
もちろんすぐに病院に行きました

ここでもやはり異常は見つからなく
セカンドオピニオンで病院を変えたり
期間も少し開けて2回ほど脳のMRIも撮ってもらいましたが
どこにも異常は無くて
見た目には元気そうだからと

医師からは
「やはり気にし過ぎているだけなんじゃないのか?」
「精神的なものじゃないですか?」
「不便でしょうが、まぁ気をつけて過ごしてください」
と言われ見放された気持ちになり
家族からも「医師がそう言ってるんだから気のせいだろう」と言われてしまい

一体どうしたら
この感覚のないことを分かってもらえるのかな?
証明できるかな?と
誰にも分かってもらえない悔しさ、苦しさを抱えて
ただ絶望して虚しい時間が過ぎていきました


ありがたいことに優しい友達が
手作りのお弁当などを持ち寄って
みんなでカラオケに誘ってくれたこともあったんですが
歌は歌えても
「楽しい」という感覚も分からなくなってしまっていて

友だちが話す何気ない会話
「今日は寒いねー」
「いい匂い」
「美味しー」
「お腹いっぱい」
「楽しいねー」

そんな、ごくごく当たり前なはずの会話が当時の私には
どれも感じたくても感じられないことばかりで
他愛ない会話にすら交われないことが、またとても辛くて…

この症状が一体何なのか?
時間が経てば治るのか?
自分の身体がこれからどうなってしまうのか?
分からないことだらけで途方に暮れていました

そんな私の心境とはうらはらに
何かを食べた、水を一滴でも飲んだと感じたくて
あれこれ食べて飲んで

以前は薬のせいで痩せこけていた私が
端から見るとたくさん食べられるようになって
みるみる体重も増えて痛みもなくなって
杖なしでも歩けるようになったものだから

みんなから
「治ったんだ!」
「元気になったんだ!!」
「良かったね!」と喜ばれて
それはそれで複雑な思いでいっぱいでした

「ありがとう」と言いながら内心では
「全然良くないんだよ…
この体と変わってみる?? みんなはこんなの耐えられる?!」と
悔しくて苛立ったり
人との会話が辛くて
段々とみんなとの関わりから遠ざかってしまうようになりました

*****

絶望の中でも私は食べるんですよね(笑)

半年以上経った頃に一度
デタラメな味を薄く感じたことがあり

それは冬場にふと自販機で「おしるこの缶ジュース」を見つけて
飲みたくなって買ってみたら
うっすらと苦い味がした気がして

うわ、なんか苦い、まずい、でもそれを感じられた!
それがどんなにしあわせかなことか!!
と久しぶりの薄い味が嬉しくて、泣いて喜びました

そこから、時々気まぐれに
よーく研ぎ澄ますと
うっすらデタラメな味がしてる気がしたり、しなかったり
触覚も鈍~くお風呂のお湯があったかい気がする、、、かな?
やっぱりしなーい、なんてことを地道に繰り返して

そんなこんなで1年半~2年くらいかけて
少~しずつ、いろんな感覚や感情が戻ってきました

ありがたいことに、線維筋痛症の激痛も
それからは一時期に比べて、かなり軽減されるようになり
もう痛みで通院しなくても大丈夫な状態になっていきました

*****

色々と鈍っていた感覚も、徐々に良くなってきましたが
それでもまだ、歌う時に歌詞を覚えて歌う
ということが出来なかったので
(これは単に私の能力の問題なのか?(^◇^;)
リハビリを兼ねて
字幕を見ながらでも歌えるような
カラオケ大会などに出てみるようになりました

大会の主催者でもある作曲家、演歌歌手の泉俊輔先生と出会い
定例会などにも参加して、色々とお世話になり
先生をはじめ、心優しい人生の大先輩の皆さんから
ステージに立つ人としての心の持ち方や
おごり高ぶらず謙虚でいる大切さなど
いろいろと学ばせていただきました

とは言え、やっぱり心身ともに自分に余裕がないと
なかなか誰かのために動けなかったり、細かな配慮が出来なかったり
人生、まだまだ反省と学びの繰り返しです

そんなみなさんからの学びを経て
これから楽しもう!と思った私のもとへ
次にやってきたのは

盲腸。。。。

40歳を過ぎた大人になってからでもなるの⁉︎と驚き

最初は、まさか盲腸だとは思わず
夜中に、みぞおちの辺りが痛くて発熱もあり
やばい、胃腸風邪だと思い
胃腸薬を飲んでみるも痛みで眠れず

それでも出産も経験したり、普段から生理痛が酷かったり
線維筋痛症の激痛を味わってきたので
まだ大丈夫、まだ耐えられる。。。と我慢すること2日間

ちょうど週末で休日診療は高いだろうな…と思ったり
嘔吐や脱水して今すぐ処置が必要!
という緊急なわけでもないだろうからと素人判断

月曜日になってもまだ治らなかったら、病院へ行こうと思い
土曜、日曜とうずくまりながら痛みに耐えて
月曜の朝に痛みが右の下腹部に移動
相変わらずめちゃくちゃ痛いけど
タクシー代もケチって、バスで病院へ
(節約するところを間違えてる笑)

すぐに盲腸と診断、医師から
「なんでもっと早く来なかったんですか?!」
「救急車を呼んでも良かったのに‼︎」
「もう少し遅かったら死んでたかもしれないんですよ‼︎」
とお𠮟りを受け反省。。。

そのまますぐに手術をすることに…

「盲腸の手術って、一泊2日くらいですか?」と聞くと
「バカ言わないでください‼︎最低でも1週間はかかりますよ‼︎」
とさらに叱られて、また反省。。。

懲りないバカでスミマセンでしたε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘

会社に連絡して事情を説明するも
私があまりにも元気そうに?軽快に話しているから、と
退院して復帰するまで信じてもらえていなかったようで…(涙)

手術の付き添いのためにも家族に電話して来てもらいました

局所麻酔です
手術室ではオフコースの歌が流れてました
鎖骨下にポートを埋め込んだ時は
KinKi Kidsが流れてたなと思い出したり
先生たちの会話や、金属製の器具が
カチャカチャと音を立てているのを聴きながら
お腹の中を何やらグチャグチャと触られているような感覚を感じながら
淡々と手術は行われて数時間で終了



手術が終わって数日経っても
39℃を越す熱が続いて再度CTなどの検査をすることに…

どうやら痛みを我慢しすぎて、盲腸がお腹の中で破裂していたようで
散らかった破片が膿になって悪さして
今度は腹膜炎を起こしてしまい再度、緊急手術することに‼︎

数日前に切ったばかりのお腹の傷跡を止められていた
何個ものステープラー(ホッチキスのようなもの)
の芯を引っこ抜かれて、痛い!痛い!
熱にうなされていて、あまり記憶がないですが
確かクラッシックが流れていました
先生たちは集中力などにも関わるのか?
結構、手術中にかける音楽を気にしていることが多いみたいですね…(笑)

再手術も無事に終わり、数日で熱も下がり
バルーンと言われる、おしっこを排出するための風船状の器具も外れて
トイレへ行くと、お腹の傷口からまだ中に残っている膿を外へ出すために
ドレーンという太い管が2本生えているのを見て
半開きな状態の傷跡に別の痛さと怖さが…(笑)

結局、2週間ほど入院して「早く退院したいです!!」
と先生にお願いして
その間、ただベッドで寝ていただけだというのに
ビックリするくらい足腰が弱くなって全然歩けなくなってて
点滴をするためのゴロゴロと掴まって歩けるアレが外されたら
歩行器を取り上げられた赤ちゃんのように
ヨチヨチある気になってしまい
退院に向けてリハビリを兼ねて病院の中を手すりに掴まりながら
子鹿のように足をプルプルさせてウロウロと歩きました


お腹の管から、まだ膿が出ているため
しばらくは毎朝ガーゼ交換しに病院へ通うことを交換条件にして
ようやく退院させてもらい
朝イチで病院に通いながら仕事に復帰しました

病院から出て久しぶりに階段を使おうとすると
もう全然足が上がらなくて
登山でロープを使って「ファイトー一発‼︎」という感じで
手すりを掴んで、自分の体を引っ張り上げていました

悪くなった所を切って取り出すだけだと盲腸を完全に侮っていました…(反省)

昭和生まれ特有の「我慢こそ美徳」精神に従って
母からも「とにかく我慢しなさい!」
と教えられて育ったのですが
痛みは我慢しすぎちゃダメ…ということを何度学んでも
気づくと、またどうしても
まだ平気かな、もう少し我慢できるかもと
ついつい我慢しすぎちゃうんですよね・・・

みなさんも、痛みが強くなってきたら
無理せず早めに病院に行ってくださいね

*****

お次の“病気”というメンバー紹介をここで…

旅行に行った際に、いつもと違うベッドで寝たせいか?
背中を寝違えたような痛みがしばらく続いて
なかなか治らないから近所の接骨院へ行ったら
大きい病院を紹介してもらい
痛いのは「背中」なのに
なぜか「首」のMRI検査を受けて見つかったのが
頸椎椎間板ヘルニアさん

首のヘルニアです
ヘルニアって首もなるんですね?!
腰だけじゃなかった(´⊙ω⊙`)


続きまして…
両手の親指以外の8本の指の“第一関節”がものすごい激痛(汗)

こちらは、指の関節の骨が「骨棘」(コッキョク)と言って
棘のように変形して、神経に触れて痛みが出るという
更年期以降の女性などによく発症すると言われている
『へバーデン結節』さん

このままにしておくと指の関節がボコっと変形して
曲げにくくなるから

テーピングが効果的なので必ず毎日してください!!と言われて
まるでバレーボール選手のように指8本にテーピングをしていました

※ちなみに指の第二関節が痛んだり変形するのは
ブシャール結節というらしいです_φ(・_・)

へバーデン結節の痛みは個人差がありますが
私の場合、顔を洗う時に
指が少しでもピクっと動くだけでも
悲鳴をあげたくなるくらいの激痛で

仕事で書類を2つにも折れない
ペンを握って文字も書けない
パソコンで文字も打てないほどの痛み
使えるのは親指と手のひらと親指と人差し指の間の水かきで
それを使って工夫しながら生活していました

職場の方達がやさしくて
「出来ることを教えて、それを回すね」と言ってくれました
ありがたいですね

こんな状態で、みなさんと同様にお給料をいただくことに
申し訳なさを感じていました

変形が終わると痛みも治まると聞きましたが
どのくらいの期間で治るというのも個人差あり

痛いからと、患部を触ったり揉んだりしようとすると変形しやすくなるから
絶対に触らないで‼︎と言われて
指を温めるのと少し緩和されるという情報もいただきました


そしてそして、これまた上手く説明出来ないですが
なんだかパッと咄嗟に頭で理解したり判断しにくいような
なんとも言えないような
変な感じがして気になったので脳神経外科へ行ってみて

新たに仲間入りしたのが

脳挫傷さんと脳動脈瘤さん

頭蓋骨に小さな傷と出血した跡と
脳の血管に小さな小さなコブが…

盲腸や腹膜炎で手術をした翌年に

・頚椎椎間板ヘルニア
・へバーデン結節
・脳動脈瘤
・脳挫傷
(病名だけ並べると、何だか少し怖い感じがしますが笑)

これらが一気に見つかりまして
この病気一つ一つが
バンドメンバーだったらいいのにな…とかアホな妄想しながら
また病院通いな日々の始まりなのでした

*****

脳動脈瘤さんは
何度かMRI検査をしてもらい
まだ小さいので、今は年に一度の検診で大丈夫ということに♪

私の叔父2人が60代で
くも膜下出血で亡くなっているので
遺伝的なことも考えて少し慎重に診てもらっています

脳挫傷さんは、最近出来た傷というより
小さな傷と少し出血した“跡”があるとのことで
「以前どこかで頭を強くぶつけたことないですか?」と聞かれて
あれこれ思いめぐらせて…あ!と思い出したことが

「10年近く前に、パイプ式のロフトベッドで寝ていて
そこから板張りの床に落ちたことがありました」と話すと
「柵とか無かったんですか?」と聞かれて

また、あ!と思ったのが
当時、線維筋痛症の治療として毎日何十錠ものキツイ薬を飲んだり
一時はモルヒネと同じような薬も使っていて
かなり意識が朦朧としてたなぁ…と

当時の【虚無】体験
全身の感覚がない症状を細かく先生に伝えながら
(そうか、あの頃は薬の副作用か、いつも朦朧としていて
ベッドから落ちたことさえ忘れてたんだな)と…思い出しました

「今起きてる症状ではないので、100%の断言はできないけど
脳挫傷の傷跡がある脳の場所と症状もぴったり当てはまるので
おそらくその時に脳挫傷を起こしたのではないかと考えるのが妥当かと思いますよ」
と言われて

そうか、脳挫傷を起こしていたのかぁ…と

当時も脳のMRI検査をしたのに…?と思っていたら
先生のお話では、脳挫傷はMRIに
すぐには映らないこともあるんですよ、とのことでした

やっぱり、身体に異常があったんだ…と腑に落ちて
あの時は、なんの異常も見つからず
みんなから私の気のせいにされて悔しかった思いも
報われていくような気持ちでした

まるで症状と脳挫傷の箇所との
パズルを合わせていくような診察で
あの時の辛かった症状などを、やっと医師に信じてもらえたうれしさと
動脈瘤は、もしかしていつか破裂したら私も伯父たちのように
くも膜下出血を起こしてしまうのかな?と不安もありましたが
どちらも合わせて経過観察で良いとのことでした

*****

首のヘルニアさんは
私の首が元々、超ストレートネックで
負担がかかりやすいことも原因らしく
(ゆえに長年悩まされる首肩コリ)

ブロック注射と呼ばれる治療も受けてみましたが
私の場合は、あまり効果がなく改善できず
特に左腕から指先までの痛みと痺れが強く
仕事や車の運転にも支障が出て来たので
手術をすることになりました

首には白いコルセット
両手はテーピングだらけで
「まるで事故に遭って奇跡的に助かりました!というような装いだね」
と付き合いの長い友人に言われましたが(笑)
こういう時に、冗談言って一緒にに笑ってくれる友人がいるって
ほんとにありがたいな、と思いました


盲腸や腹膜炎も含めて、この時に見つかった病気すべて
すぐに診断がついたことや、対処方法も
定期健診、テーピング、手術…と
それぞれ今後どういうふうになるのか?
どうすれば良いか対処法や治療法も明確で

友人や知らない方に「どうしたの?」と聞かれても
病名ひとつの返事で済むことも多く
(これが本当にありがたい!!)

線維筋痛症や「虚無」な地獄の日々を思うと
精神的にはとても楽なのでした

そして首のヘルニアの手術は繊細な神経などを扱うことから
脳神経外科の先生が担当してくださったのですが
この先生も本当に良い方で…と思っていたら
脳挫傷などを見つけて下さった別の病院の脳神経外科の
先生の教え子だったということが発覚!∑(゚Д゚)!
医療界の横つながりもすごい!
信頼できる良い病院、先生たちとの出会いも本当に大切、感謝ですね

*****

さてさて首のヘルニア手術は
椎間板に治療したい箇所が2か所ほどあり
首を前側から切って椎間板を削ってそこへ
チタン製の小さなプレートを入れる
「前方固定術」というものと
もう一ヵ所には顕微鏡を使って「キーホール」と呼ばれる
小さな穴を開けるという手術を同時にしてもらうことになりました

手術前に説明を受けて誓約書みたいなのを渡され
すべて了承した上でサインをするのですが
首にはたくさんの神経が集中しているし
全身麻酔の手術ですからね
万が一のことが色々と書いてあるんですよね

その中でも、ちょっと躊躇したのが
【術後に声が枯れて出しにくくなるということがあり
通常は数日で治りますが、稀に慢性的に枯れてしまうこともあります】と…

きっと大丈夫なんだろうけど
万が一そうなってしまったら
もう歌えないかもしれないのかぁ…と
ちょっと考えてしまいました

はじめての全身麻酔
手術室で点滴から眠たくなる薬をいれられて
看護婦さんたちといっしょに数を数えているうちに

あ、寝ちゃった!と思って、慌てて目を開けると
もう手術は終わっていてHCUと呼ばれる
術後の患者さんが入る集中治療室のベッドの上でした

すごい、タイムリープしたかのような気分…

主治医の先生が来て
「無事に終わりましたよ、手術の時の体勢の反動などで
麻酔が切れると首肩コリが少し酷いような痛みが出ますが
あまり痛かったら痛み止めを点滴から注入しますからね」
と予告して立ち去った…

まるでルパン三世の予告通りのように
そろそろ麻酔が切れてきたかな?と思ったら
線維筋痛症にも負けず劣らずというほどの
猛烈な痛みが突然、首や肩に
ヒィぃぃぃ〜‼︎。・゜・(ノД`)・゜・。

看護婦さんに「痛いです」と言おうとしたら声が全然出ない
息しか出てないような状態でなんとか伝えて
点滴から痛み止めを入れてもらったけど
痛みは、ちっとも治まらない

看護婦さんが定期的にやって来ては
何度も寝返りをさせてくれる

首元からは、またもや太いドレーンの管が…
悪い血を排出するためらしいけど
位置が位置なだけに、それを下にして横向きになって寝るのが怖かった

両足には鬱血しないよう
電動式のポンプが取り付けられていて
それは気持ち良いのだけど、そのポンプを首と肩に欲しい

数時間後に、お水を飲んで良い許可が出て
ナースコールを押して「水をください」という声が
またカスカスで声にならない(笑)(涙)

そして看護婦さんに「吸いのみ」から少量のお水を口に運んで飲ませてもらい
ゴックンと飲み込んだ瞬間、首元にある太いドレーンの存在と
喉が焼けるような猛烈な痛みで
お水を飲みたいけど、飲むには、その激痛という
“関所”を越えなければいけないという拷問付き(汗)(泣)

そんなこんなで一睡も出来ず、朝になると
看護婦さんたちが、朝礼で「看護の誓いの言葉」みたいなのを
みんなで声に出して読み上げていて
毎日、命と向き合っているんだなと胸を打たれた

死にかけてたというほどでないけれど
生きてる
生かしてもらった
助けてもらったという気持ちがこみ上げてくる

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最近の術後はスパルタです
どんどん食べてどんどん動く

手術の翌日から
灼熱の痛みの喉でいきなり固形物を飲み込むことになったり
昨日手術したばかりだというのに
いきなり歩く練習をさせられる

どんどん食べて、歩いて、首や肩を動かしてくださいと言われた

手すりに掴まって、盲腸の術後の時のように、また生まれたての小鹿のように
足をガクガクブルブルさせながら歩く…歩く

結果、腕の痛みや痺れなど、かなり軽減されました

そうして順調に回復して3日目くらいに
やっと声が少し出るようになって
恐る恐る少しずつ喋ってみる

5日ほどで早くも退院

首の前側を7センチくらい横に切ったんですが
術後は、その傷を縫ったりせず
医療用ボンドと言われる液体ボンドのような物で
貼り合わせられていて

縫っていないので、抜糸もなく
シャワーを浴びた時に、そのボンドを
自分で少しずつ剥がしてくださいねと言われて
血が滲んだグロい傷跡を鏡で見ながら
切った皮膚は本当にくっついてる?と
それはそれで怖かったです(汗)

でも、主治医の先生が
「傷跡が目立ちにくいように
首の皺に合わせて切っておいたからねー」と言ってくれて
その配慮にまた感動
今でもパッと見、傷跡は全然分からないほど綺麗な仕上がりです
先生に心から感謝です

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入院中に
私も誰かの役に立てるようなことがしたいと強く思った
運転免許証以外に何の資格も持っていないけど
いろいろと経験してきた私だからこそ、できること…

でも私に何ができるだろう?と考える

今から勉強して心理カウンセラーとかになって
悩んでいる人の話を聞くとか???

でも勉強苦手だしな〜とか、ぐるぐると色々考える

かと言って、また途中で病気をしてしまったら…?

それでも出来ることはないか?

できるだけ、これからも長く続けられること…

そんな時、お見舞いに来てくれた友人に
「私も誰かのために何かしたいと思ってるんだけどね…」と話すと

「アンタが人の役に立ちたいなら、歌いなさい!」
とピシッと言われた

雷に打たれたような気持ちだった

歌…でいいの⁉︎

確かに、いろんなことがあって、たくさん病気もして
そんなときでもずっと出来た、たったひとつのこと
それが歌うことだった

有難いことに、退院してすぐにまた歌えた
唯一の個性でもあるホイッスルボイスも
術後は、埋め込んだチタン製のプレートが
口から飛び出て来ちゃったらどうしよう⁉︎と
おっかなびっくりだったけど、なんとか今までのように出せた

どうしようもなく私は、歌うことしかできない
でも歌うことが出来る
思いを曲にして歌うことが出来る

喉の使い方や歌う時の音程のコントロールなどに
最初は少し違和感があったけれど
筋トレのようにして、少しずつ鍛えていく

入院中には他にも書ききれないほど
ミラクルがいっぱい起きたのですが
こういう手術をすると
普段あたりまえにできてることが
「あたりまえじゃない」ということに気づかされたり
看護婦さんや先生をはじめ
色んな人への感謝で胸がいっぱいになる

毎日もっと感謝して大切に生きなきゃなって思うけど
人はどうにも忘れる生き物だから
すぐに忘れてしまう
でも、あたりまえじゃないと分かっていても
普段はそれを忘れて、生きているということこそが
しあわせなんだろうなと思った

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これまで私自身が音楽で救われてきたように
自分の経験や、出会ったみんなから教えてもらったことを
歌にして届けて、それが誰かにとって癒しや笑顔に繋がったら
そんなうれしいことは他にない

術後は、首肩凝りのような痛みがしばらく続いたり
まだ首が思うように曲げられなかったり
へバーデン結節で、相変わらず指がの痛かったけれど

よし、やろう!と決意

とは言え、自分の作ったオリジナル曲を
一緒にバンドを組んで
ライブしてくれる人になかなか巡り会えなくて

高校生の頃から
オリジナル曲でのバンドを組みたいと思って来たけれど
これがなかなか実現出来なくて
大人になると、みんな仕事や家庭など忙しくて、なおさら難しく

さらに私が作る楽曲は
ロック、バラード、ブルース、ジャズっぽい曲など
ジャンルの幅が広すぎて
ギターだけ、ピアノだけでは成立出来ない曲もあって
すべての曲に対応出来る人と巡り会えなかったり
色々と難しい問題があった

演奏してくれる人がいないなら一人でも
思いきって本格的に楽器を始めて弾き語りするか?!と考える

幼稚園の頃にエレクトーン教室に通っていたので
多少の音感はあるものの
黒鍵の少ない♪ドミソなど
コードで言うと、CとFとGくらいしか分からなかった

絶対音感はなく、相対音感なら多少ある気がしているけど
耳で聴いた曲を、キーボードで自分の弾きやすいコードに変換して
楽をして弾いてしまうという癖があったのだが

それならと
以前、買っただけで満足して挫折した
ウクレレを取り出して弾いてみる

指1本でもコードを抑えられるウクレレ
ただ、いかんせんへバーデン結節で指が痛くて使えない

指サックをつけたり、テーピングをぐるぐるに巻いて
痛い~!!痛~い!!と
悲鳴を上げながら弾いてみたり、弾かなかったり…

そんな時に
たまたま友人のライブを見に行って
ひょんなことから、またいろいろとミラクルが起きて 
急遽そのライブハウスでライブに出させてもらえることに!!
なんていうことが決まって
ライブまで1か月…

そこから猛練習して
ウクレレで5曲ほどオリジナル曲を作って
30分のステージを、拙い演奏をしながら
何とか弾き語りました(汗)

カラオケでマイクを手で持って歌うことには慣れていたけれど
楽器を弾きながら、マイクスタンドに近づこうとすると
距離感が掴めず、何度もマイクに歯をぶつけてしまったり
楽器を弾く手元を見ようとすれば
マイクから顔が離れて、声が聞こえなくなってしまったりしながら

そんなふうにして
シンガーソングライターとして活動しはじめるようになりました

歌いたい‼︎
そのためにも健康大事、と気づかされた貴重な体験となりました

もし同じような症状で悩んでいる方にとって
この体験談が少しでもお役立ちできたらうれしいです

自分の生い立ちや、母との問題、兄が他界したり
大人になってからも、次から次へと病気や手術することになって
なんで自分ばっかりこんな目に遭うんだろう…
自分はツイてない、可哀想だと思っていたこともあったけど
こうした経験は、同じような境遇や経験した方にとって
何かヒントや、きかっけになれるかもしれないから

渦中は本当に大変で辛かったけれど
そこから一歩外れて、その時のことを俯瞰できるようになれば
自分の捉え方、考え方次第で
そんな経験は「感謝」や「ギフト」にさえ
思えるようになることもあるのだと知りました


第五章へつづく

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