「幸せだね!」母が焼いた祈りのパン
いただきものの高級食パンを切ったとき、栗ペーストが練り込まれた美しいマーブル模様が目に入りました。 その瞬間、居間のテーブルで生地を投げ飛ばしながらパンをこねていた母の姿が鮮やかに蘇ったのです。
けれど今はもう、その手でパンを焼くことはできません。なぜなのか――理由を語るとき、記憶は温かさと切なさを同時に呼び覚まし、胸の奥に涙を誘う物語となっていきます。
本稿は、母のパン作りの記憶を綴ったものです。
同じシリーズとして、母と家族の風景を描いた記事もあります。↓
大家さんからの贈り物
大家さんからいただいたのは、栗ペーストが練り込まれた高級食パンでした。切り分けた瞬間、マーブル模様が目に飛び込み、ただの贈り物以上の意味を帯びて見えました。
その美しい断面は、居間のテーブルでパン生地を投げ飛ばしながらこねていた母の姿を呼び覚まします。何時間もかけて作ったのに、食べるのは一瞬――「もっと有難く食べてほしい」と笑いながらも、その有難みを噛みしめて願うような母の表情が浮かびます。
今はもう焼けなくなったその手を思うと、胸の奥に静かな痛みが広がり、贈り物のパンは過去と現在をつなぐ扉となって物語の始まりを告げていました。
居間のテーブルでの重労働

小柄な母が居間の木のテーブルでパン生地を両手で持ち上げ、
力いっぱい投げ飛ばす。
テーブルが揺れ、家の中に響く迫力ある瞬間。
母は小柄で、力も強い方ではありませんでした。華奢な体で居間のテーブルに向かい、大きなパン生地を両手で持ち上げてはドスンと投げ飛ばす。その音が家中に響き、テーブルが揺れるたびに「こんなに力を要するものなのか」と子ども心に驚いたものです。ガス抜きの作業は延々と続き、母は汗をにじませながら黙々と手を動かしていました。
やがて重労働に耐えかねてニーダーを購入し、少しだけ楽になったものの、あの力強い音と母の姿は今も鮮やかに記憶に残っています。
そして今では、母は手のしびれに悩まされ、寒い朝には箸さえうまく持てず、私が食べさせることもあります。デイサービスから戻ると少し動かせるようになるものの、日常生活に困難があることに変わりはありません。かつてパン生地を投げ飛ばしていたあの手の記憶と、現在の姿が重なり合うとき、胸の奥に静かな痛みが広がります。
こたつでの発酵
冬の寒さが厳しい頃、我が家には発酵機などありませんでした。母は知恵を絞り、居間のこたつをパンの発酵機代わりにしていました。
未使用の大きなゴミ袋にパン生地を入れ、その端には二つだったか四つだったか、マグカップに熱いお湯を張って並べていました。こたつ布団に包まれたその即席の空間は、じんわりと温かく、パン生地がゆっくりと膨らんでいく「小さな秘密の部屋」でした。
けれどその間、私たちは「こたつに足を入れてはダメ!今、発酵中だから」と母に言われ、寒さをこらえて過ごさなければなりません。子どもにとっては不満もありましたが、やがて焼き上がる香ばしい匂いが漂うと、すべてが報われるように感じました。こたつはただの暖房器具ではなく、母の工夫と愛情が宿るパンのゆりかごだったのです。
母の言葉と笑い

しかし、その背後には、発酵のために使われたこたつが、少しだけユーモラスに写っている。
「何時間もかけて作ったのに食べるのは一瞬」という母の言葉を想起させる。
パン作りに何時間もかけた母は、焼き上がったパンを前にしてよく笑っていました。「何時間もかけて作ったのに…食べるのは一瞬…もっと有難く食べてほしいわね」と冗談めかして言うのです。その言葉には、家族に美味しく食べてもらいたいという願いと、労力を惜しまない母の誇りがにじんでいました。
私たちはその笑いに救われ、少し照れながらもパンを頬張りました。母の笑い声は、重労働の疲れを包み込み、食卓を温かい空気で満たしてくれました。今思えば、その笑いは「大切にしてほしい」という祈りのようでもあり、記憶の中でいつまでも響き続けています。
ランチパンと甘食の思い出
母のパン作りの中で、特に心に残っているのがランチパンと甘食でした。ランチパンにはポテトサラダが具材として包まれ、表面にはアップルパイのような網目模様が施されていました。
焼き上がると香ばしい匂いが漂い、細長い形は子どもでも持ちやすく、食べやすい工夫がされていました。何よりお腹にしっかり溜まり、素朴ながらも格別に美味しいパンだったのです。
一方、甘食は一次発酵だけで作れる手軽さがあり、母がよく焼いてくれました。生地の「おやま」の部分にフォークで小さく穴をあけ、焼き上がると上部がふんわり膨らみ、自然に割れている姿が愛らしく見えました。
子どもの頃、私はその名前をうまく言えず「おやまのパン」と呼んでいました。ほんのり甘く、素朴で優しい味わいは、母の魔法のおやつのように感じられ、繰り返し作ってくれたその記憶は今も温かく胸に息づいています。
病気の時の祈りを込めたパン
私が病気で寝込んでいるとき、母は薬だけに頼るのではなく、祈りを込めたパンを焼いてくれました。とげぬき地蔵の「飲むお札」御影(おみかげ)を小さく折りたたみ、パンの中に忍ばせて食べさせてくれたのです。紙のお札はそのままでは食べづらいので、母は甘いメロンパンの中に入れていたように記憶しています。上部の甘さがあるからこそ、子どもでも抵抗なく口にできると考えたのでしょう。
ただ、メロンパンは作るのが大変で、私が好きだったにもかかわらず、あまり頻繁には焼いてもらえませんでした。上部の小さな四角がたくさん並んだ部分と、下のふんわりした部分を別々に作り、最後に重ね合わせて一つに仕上げていたように思います。焼き上がった後にはグラニュー糖を振りかけ、表面がきらりと輝いていました。その甘さと香ばしさは、病気の不安を和らげる母の魔法のようでした。
今振り返れば、御影を忍ばせたパンは迷信ではなく、母なりの精一杯の祈りと愛情の形だったのだと思います。あのメロンパンの甘い香りと、祈りを込めた母の手の記憶は、今も胸の奥で静かに灯り続けています。
現在との重なり

車椅子に座る母が、痛みを抱えながらも笑顔で『幸せだね!ありがとう!』と言っている場面。
温かく切ない雰囲気。
今、母は車椅子での生活を余儀なくされ、思うように動けません。かつて家族のために身を粉にして尽くしてきたその手は、今では寒い朝に箸さえうまく持てず、私が食べさせることもあります。それでも母は、ほんの小さな出来事に「幸せだね!」と笑顔を見せるのです。病院へ行くときも、通りすがりの人に「おはよう!」「ありがとう!」と声をかけ、周囲を温かく照らしていました。
そしてある日、仕事から疲れて帰った私の顔を見て、母は「そんな顔しないの!ス・マ・イ・ル」と笑いました。その瞬間、胸の奥に張りつめていたものが崩れ、涙がどっとあふれました。パン生地を投げ飛ばしていた力強い姿も、祈りを込めて焼いてくれたメロンパンも、すべてがこの言葉に重なり合い、母の人生そのものが私の心に押し寄せてきたのです。
母はもうパンを焼くことはできません。しかし、笑顔と優しい言葉で、今もなお私たちの心を支え続けています。その姿こそが、かけがえのない「祈りを込めたパン」の記憶と同じように、永遠に私の中で生き続けるのです。
後書き
母は今、変形性膝関節症や腰部脊柱管狭窄症を患い、幾度も手術を繰り返し、両膝には人工関節が入っています。背中や腰、手のしびれに苦しみ、思うように動けない日々。それでも母は、筑前煮を食べて「美味しいね、ああ幸せだね!」と笑い、トイレでリハビリパンツを取り換えると「幸せだね!ありがとう!」と声をかけます。ベッドから体を起こしただけでも「幸せだね!」と繰り返すのです。
その言葉を聞くたびに、私は胸が締めつけられます。かつて居間のテーブルでパン生地を投げ飛ばし、こたつで発酵させ、祈りを込めてメロンパンを焼いてくれた母。その力強い姿はもうありません。けれど今、母は小さな日常の一瞬に「幸せ」を見いだし、感謝を惜しまず伝え続けています。
「そんなことで幸せなの?」と思うような場面でも、母は笑顔で「幸せだね!ありがとう!」と言う。その声に触れると、涙がどっとあふれ、私は気づかされます。母の人生は、パンの香りと同じように、幸せを分け与える温もりそのものだったのだと。パンはもう焼けなくても、母の言葉と笑顔は、私の心に永遠に焼きついています。
母のパン作りの記憶と現在の姿を重ねて書きました。
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