夢を語ることは、贅沢ではなく希望のサバイバルだ
金があっても心がワクワクしなければ、人生はただの消化試合です。戦後の焼け野原から人々が立ち上がれたのは、明日への「夢」があったから。現代の混迷の中で、私たちはもう一度「夢」を見直す時かもしれません。
「夢」という言葉の再定義
「夢」と聞くと、どこか子どもっぽく、非現実的なイメージがつきまといます。ですが私はあえて、この言葉を使いたいと思います。ここでの「夢」とは、未来に対する希望のこと。
「昨日より今日、今日より明日」と、少しずつでも前へ進んでいるという実感。それがあるだけで、人は生きることに前向きになれます。
「人生にワクワクを与えるものは金じゃない」と言うと、反論もあるかもしれません。確かに、お金がなければ生きていけません。でも、お金があっても希望がなければ、生きる意味は感じられない。私はそう思います。
焼け野原から始まった「夢の国」
第二次世界大戦後、日本はすべてを失いました。都市は焼け野原、経済も壊滅。1952年のサンフランシスコ講和条約までは、主権すらない国でした。ゼロではなくマイナスからの再出発です。
でも、考え方によっては「もう失うものはない」とも言えます。 今日、なんとか食べ物を見つけた。明日は温かい飲み物があるかもしれない。甘いものが手に入るかもしれない。そうやって人々は、生きるために必要なものを少しずつ取り戻していったのです。
高度経済成長の記憶と「未来は明るい」という確信
私が生まれた1960年代、日本は高度経済成長の真っただ中でした。首都高速道路や新幹線の開通、東京オリンピック。テレビ、洗濯機、冷蔵庫が家庭に普及し、「大きいことは良いことだ」というキャッチフレーズが流行しました。
今から思えば、当時の暮らしが豊かだったとは言えないかもしれません。でも、確かに人々は前に進んでいた。「がんばれば、未来は明るくなる」と、社会全体が信じていました。
彼らの瞳が輝いていたのは、もちろん、明るい未来を信じていたこともありますが、もうひとつ、社会を構成するひとりひとりが心の中に持っていたものがあったのです。
「尊厳」が人を輝かせる
物質的な豊かさだけでは、人は幸せになれません。人が生きていくうえで本当に必要なのは、「尊厳」や「尊重」です。つまり、自分の存在が認められ、大切にされていると感じること。
戦後の日本では、貧しくても笑顔で働く人がたくさんいました。お互いを尊敬し、同じチームの仲間として支え合っていたからこそ、夢と希望を胸にがんばれたのです。これは経済では説明できない情緒的な豊かさです。
反対に、どれほど物質的に豊かでも、他者から尊重されず、社会に必要とされていないと感じたとたん、人の心は崩れていきます。そして今、私たちはその危機に直面しています。
分断の時代に必要なのは、ヴィジョンとしての夢
21世紀。グローバル化とIT化が急速に進み、一部の人たちは莫大な富を得ました。一方で、多くの人が取り残され、「アップデートできなかった人」として、冷たく線引きされるようになりました。しかも、成功した人たちは、できなかった人に対して「それはあなたが努力しなかったからだ」と言下し、ただでさえ傷つき辛い人々に追い打ちをかけました。
その結果、「尊厳を奪われた人」が増えています。この分断は、世界中で起こっており、一たび「負け組」側に入ってしまうと、分断の線を越えることは、そう容易なことではありません。
では、どうすれば誰もが「ここにいていい」と思える社会がつくれるのでしょうか?それぞれが役割を持ち、「誰かのために働いている」と感じられる社会をどう築けばいいのか?
私は、その答えこそ「夢」にあると思うのです。ビジネススクール的に言えば、「ヴィジョン」。貧と富、デジタルとアナログ、保守とリベラル、東と西、若者と高齢者──そんな旧来の区分けを超えて、すべての人が尊厳を持ち、支え合い、感謝し合える社会。たとえそれが理想論だと言われても、私はそういうストーリーを作りたい。信じたいのです。
「夢」は大きくなくてもいい
ここで少し強調しておきたいのは、「夢」というのは決して大きなことばかりではないということです。
「世界を変えたい」とか、「億万長者になりたい」といった、壮大で派手な夢ももちろん素晴らしい。でも、そうじゃないと夢じゃない、というわけではありません。
たとえば、「好きな人と笑顔で暮らしたい」とか、「自分の子どもに勉強を教えたい」、「心から好きだと思える仕事に出会いたい」──それも立派な夢です。
大きさではなく、自分の心が動くかどうか。明日の朝、目が覚めたときに「今日もこの一日を大事に生きたい」と思えるかどうか。それが大切なのだと思います。そしてできることなら、その夢は自分のことだけでなく、他人を幸せにしたいと思って欲しい。社会という器は、あなただけで入るのではなく、たくさんの人が一緒に入っている。あなただけが幸せでも、実際は幸せを感じられない。それが、ひとりでは生きられない人間の性です。
若者たちへ。就活は「配属」ではなく「使命探し」
今、就職活動をしている大学生の皆さんに伝えたいことがあります。
よく「自分のやりたいことが分からない」と言われます。でもそれは当たり前のことです。まだ社会に出たこともないのに、「一生を捧げる何か」なんて、見つからなくて当然です。
だからこそ、今の時点で完璧な答えを出そうとせずに、「これは誰の役に立つのか?」「自分はどんな時に心が動くのか?」という視点で動いてみてください。
仕事は単なる「配属」ではありません。それは、自分なりの「使命」を探す旅でもあります。働くことは、生きること。収入を得る手段であるだけでなく、「誰かの夢を手伝うこと」でもあります。
「広告」は、夢を届ける装置である
私は長年、広告の仕事に携わってきました。広告とは、モノを売るための道具だと考える人も多いでしょう。確かにそうです。ビジネスである以上、クライアントから確かな成果が求められます。
でも、それだけではありません。広告とは、人の心に火を灯すものです。「こんな未来があるかもしれない」「こんな風になったらいいな」と、そっと背中を押す言葉を探すのが、私たちの仕事です。
広告が「夢を売る」ものであるならば、その夢が嘘であってはいけない。そして、叶うかどうかは分からなくても、希望にあふれた夢でなければいけないと、私は思います。
誰かに希望を届けるためには、自分自身が希望を信じていなければならない。だから私は、自分の中にある「夢」を、いつまでも失わずにいたいのです。
絶望ではなく、再び夢を見る社会へ
私たちは今、さまざまな不安の中に生きています。戦争、格差、気候変動、テクノロジーの暴走。ニュースを見るだけで、息が詰まりそうになることもある。
でも、それでも私は思うのです。「人間には、夢を描く力がある」と。
たとえ現実がどれだけ厳しくても、そこに「明日が少し良くなるかもしれない」と思える種がある限り、社会は変わることができます。夢は、空想ではなく、未来への一歩を踏み出す力です。
そしてそれは、誰か特別な人だけが持つものではありません。あなたにも、私にも、そしてこの星に生きるすべての人に、その力は宿っているのです。
娘と未来と、言葉の力
私には18歳の娘がいます。これから大学へ進学し、自分の人生を歩み出すところです。彼女は私の未来であり、社会の未来でもあります。だから私は、彼女が希望を持てる社会を遺したい。
怒りや妬みに支配されず、美しく誠実に生きる。違う考えの人とも尊重し合う。そういう未来を、私は心から夢見ています。
先述した通り、私は広告を書く仕事をしています。広告は、もちろんクライアントの意図に沿って書きますが、言葉には書き手の意志がどうしてもにじみ出ます。
だから私は、ポジティブな夢を持ち続けたい。昨日より今日、今日より明日が良くなると、心から信じています。そして、そういう物語を、書き続けていきたいのです。
たとえ明日、地球が終わるとしても、私は永遠に続くような希望のストーリーを紡ぎたい。それは、AIにはきっとできない、人間だけの力だと思うのです。
