「自分でコントロールできることに集中すべき」なのか
昔から、よく「自分でコントロールできることに集中せよ」と言われます。筆者はどうにもこの言葉に納得できなかったのですが、その理由が少し言語化できたような気がしてきました。
自分でコントロールできれば生産的
自分でコントロールできることに集中するというのは、極めて合理的な姿勢です。どうにもならないことを嘆いても仕方ない、そんなことをしている暇があったら目の前のことに集中した方がよほど生産的というのは、ぐうの音も出ない正論です。自分でコントロールできることをしている限り、自己効力感が高く幸せに暮らせます。何らかの結果が得られるので、成長実感にも繋がります。ですから、基本的に良いことが多いと思います。
全員が自分の守備範囲から出ないとチームプレーにならない
ではなぜ、筆者はこの言葉に違和感を覚えるのでしょう。
ひとつには、チームプレーが不安になるからです。
同じプロジェクトのメンバー全員が、自分のコントロールできることから一歩も出なかったとしましょう。そうすると、できるか分からないタスクは全て自分が引き受けないといけません。同僚たちは黙々と生産性高く仕事する一方で、自分は人の説得などやってみないと分からないタスクや、失敗時の責任の大きい仕事ばかりを引き受けて消耗することになります。そうなったら、チームの成功を願う気持ちは抑え、自分もコントロールできる仕事のみ引き受けて、結果は上司任せにするしかなくなるでしょう。
守備範囲から出ないとテイカーになっていく
自分でコントロールできることに集中しているプロジェクトメンバーを信頼できるか、という問いでもあります。その人の守備範囲内なら信頼できます。しかし、プロジェクトの成功のために必要な手を打ってくれるかという観点では怪しいでしょう。
別の言い方をすれば、自分でコントロールできることだけを引き受けつつチームの結果を期待する人は、テイカーなのではないでしょうか。
テイカーに囲まれると、テイカーはより警戒してテイカー気質を強めますし、損得のバランスを取るマッチャーはテイカー風に振る舞います。ギバーも一方的に食い物にされないためには最低限マッチャーとして振る舞わないといけません。つまり、メンバー全員がセコくなってしまうのです。
メンバー全員が利己的に振る舞い、お互いを信頼できないときには、決めごとを増やす必要があります。計画、役割といったものをガチガチに固めたうえで、コミュニケーションを最低限にして各々の役割に集中します。お互いが自分を守りつつ、最低限の結果を出すにはこれしかありません。こうしてウォーターフォールが採用されるのでしょう。
他人を変えられると思うのは傲慢なのか
コントロールできることに集中せよと言うとき、念頭にあるコントロールできないものとは、景気、法制度など様々でしょう。そのなかでも代表のひとつは他人の心です。「他人を変えられると思うのは傲慢だ」というのもよく聞く台詞です。
他人の思想信条を自由自在に変えられるというのは傲慢そのものです。どんなに強大な権力を持っていようと、行動を強制しようと、心の中までは変えられません。
この考えをベースにすると、他人の行動を変えるためには金銭や名誉などを与えるのが良いというアイデアに行き着きます。いわゆる外発的動機付けです。外発的動機付けは、打ち切るとすぐに効果がなくなるとか、同じ水準だと段々と効果が弱まるとかの欠点はあるものの、確かに人間の行動を変える効果があります。
しかし、他人の心を「自由自在に」変えることはできなくても「少しだけ」影響を与えることはできるのではないか、あるいはもともと持っていた気持ちを取り戻すことはできるのではないかという考え方もあります。全員は無理でも、一部の人に影響を与えることは可能かもしれないと思う人もいるでしょう。
こういう変化を仕掛ける人々は、他人をコントロールできるとは思っていません。希望を持っているだけです。ですから、「自分でコントロールできることに集中せよ」と言われても、それでは目的を達成できないと感じますし、「他人を変えられると思うのは傲慢だ」と言われても、自分がそれほど傲慢という意識はないので不思議な気持ちになります。
人の気持ちだけではなく、企業や社会の変革を志す人も同じだと思います。思い通りに支配しようとしているなら傲慢だと思いますが、少しでもいい方向に向かってほしいと活動する人は、コントロールできるとも思っていませんし、傲慢だとも感じません。無力感と理想に挟まれ、モチベーションを奮い立たせているのだろうと想像しています。
自分でコントロールできることに集中しなくても、幸せになる方法はある
こうして考えてみると、「自分でコントロールできることに集中せよ」というのは、理想的な姿というより、諦めの先にある老成した態度なのかもしれません。自己効力感や成長といった前向きな良さもあるでしょうが、他人や社会に期待することをやめ、自分を守ろうとする方法というようにも見えます。
スティーブ・ジョブズは、ペプシコ社長のジョン・スカリーをAppleのCEOに誘うときに「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?」と聞いたといいます。もし自分でコントロールできることに集中したいなら、きっと砂糖水を売ることを選択するでしょう。守破離でいうなら、自分でコントロールできることに集中したいなら守を続けると思います。新しいものを見ても、すぐには手を出さず最後まで抵抗するかもしれません。
自分でコントロールできることに集中するのは、決して悪いことではありません。足るを知り、ほんの少しずつ成長するというのは、幸せな人生を送る有力な方法だと思います。
しかしその一方で、世界をより良くするために奔走することも、幸せな人生を送る別の方法なのだと思います。スタートアップなど一部の会社では「野心的な変革目標 (Massive Transformative Purpose, MTP)」を掲げ、共感する人を集めて精力的に活動します。老成した人から見れば、子供じみた無謀な試みでしょう。イノベーションやDXはそちら側に属します。筆者が覚えた、コントロールできることに集中することへの違和感は、そういう違いに由来するのかもしれません。
