「帷」:【シロクマ文芸部】夜桜と
夜桜といつも一緒に居たこの場所。
その短くも尊い時間は。
小学生の頃、僕はよく家族の目を盗んで深夜に外に出かけていた。
なにか悪さをしようとか、そういうつもりは全くなかった。
ただ、夜布団の中に入っても息苦しく感じられて寝付けなかったから。
明日が来るのが怖かったのだろうと今になって思う。
家族も本当は気付いて居たんじゃないかと思う、でも彼らは僕に興味のない人たちだったから。
田舎だったから深夜にやっている店もなかったし、あったとしても警察に通報されて補導されるのが目に見えている。
だからいつも行き先は決まっていた。
家の裏にある公園だ。
ここなら人目に付かなかったし、万が一大人に見つかっても家まで走って帰ればいい。
僕はいつもこの桜の木の下で月を見るのが好きだった。
辺り一面静まり返った空間。
どうしようもない静寂に包まれたその空間が、何故かとても好きだった。
「いつもここにいるのね」
その日もいつも通り桜の木の下で休んでいたら、突然声を掛けられて飛び上がりそうになった。
「そんなに驚かなくても」
声がした方へ振り返ると、そこには僕と同じくらいの女の子が立っていた。
「きみはだれ?」
「さあ?だれだと思う?」
女の子は楽しそうに笑いながら答えた。
もしかして、からかってるのか?
「そんな怖い顔しないでよ」
「別に怖い顔なんか…君の名前は?」
「さあね」
そう言いながら、その子はどこかへ走り去ってしまった。
その日から、毎日その子が僕の前に現れるようになった。
いつも同じ時間、いつも同じ場所で。
彼女はいつも、どこからともなく現れて、どこからともなく去って行っていた。
名前を聞いてもいつもはぐらかされるので、僕は彼女を『夜桜』と呼ぶことにした。
夜桜は「いい名前ね」と、喜んでくれた。
夜桜は僕の話を聞きたがっていた。
だから、僕はいつも会うたびに学校のこと、家族のこと、友達のことを話して聞かせた。
夜桜はいつも僕の話をニコニコと聞いてくれていた。
僕もいつしか、夜桜と会うことが楽しみになってきていた。
ある日のの夕方、下校時に公園の前を通った。
公園の入口には立入禁止のテープが張り巡らされ、看板が立て掛けられていた。
『〇〇公園リノベーション計画工事』
どうやら、公園設備を新しくする工事が始まるらしい。
だけど、夜桜はどうするんだろう。
その日の深夜、僕はこっそり公園に忍び込んだ。
「来たの」
「…来たよ」
「もう会えないの」
「どうして?」
夜桜は黙り込んでしまった。
いつもそうだ。
僕が聞くことに何も答えないんだ。
僕は無性に腹が立ってきた。
「なんでいつも答えてくれないんだ?僕のことは聞きたがるくせに」
夜桜は悲しそうな顔をするばかり。
「もういい!」
僕はそう言ってそのまま走って家に帰った。
自分の部屋の布団に潜り込んでみたけど、やっぱり寝付けなかった。
翌日のいつもの時間。
昨日のことを夜桜に謝ろうと、いつもの場所へ行った。
しかし、夜桜は現れなかった。
次の日も、次の日も、次の日も…。
とうとう公園の工事が本格化してきて、忍び込むことができなくなってしまった。
半年後、公園の工事が終わり、久しぶりに夕方に公園に立ち寄った。
中はすっかりきれいになり、前の公園の姿は見る影もなかった。
夜桜といつも待ち合わせていた、あの桜の木もなくなっていた。
そのときやっと、僕はあのときの夜桜の言葉の意味を理解した。
