芸術は必須ではない。けれど、人間に必要なもの。
人種や国が違えば、話す言葉も、育った文化も、大切にしている価値観も違います。
同じ出来事を見ても、「正しい」と感じる基準は異なります。
けれど、笑っている顔、涙をこらえている表情、怒りや喜びがあふれる瞬間、そうした喜怒哀楽の表情は、言葉が通じなくても、なんとなく伝わりますよね。
何かを「美しい」と思う心も、きっとどこかでつながっているのではないでしょうか。
その小さな共通点が、世界のやさしさにつながっていくといいなと思います。
世界がひとつになる瞬間
オリンピックを見ていると、国境を越えて拍手が起こる瞬間があります。
言葉は分からなくても、感動は同じ方向を向いているように感じます。
音楽やアート、エンターテインメントの世界でもそうです。
一つのメロディーに胸が震えたり、一枚の絵の前で立ち止まったり、舞台に心を奪われたり。
そのとき、私たちは、人種や立場を超えて「人間」という同じくくりに戻るのだと思います。
コロナ禍で気づいたこと
COVID-19が広がったとき、世界は大きく変わりました。
生命の存続に直接必要なもの以外は、自粛となりました。
舞台も、美術館も、ライブも。
芸術は「必須」ではありませんでした。
生きるために、今すぐ必要なものではないからです。
でも、その静かな時間の中で、さみしさを感じた人も多いのではないでしょうか。
音楽のない空間。
灯りの消えた劇場。
人の集まらない展示室。
命は守られても、心がどこか痩せていくように感じました。
芸術は、人間を思い出させてくれる
芸術は、酸素や水のように生きるために欠かせないものではないかもしれません。
けれど、誰かが何かを美しいと思い、それを形にして、それを受け取った誰かの心が動く。
そのやり取りは、争いではなく、つながりを選んでいく世界平和への小さな一歩のように感じます。
言葉が違っても、肌の色が違っても、美しいと感じる心がある。
物語に涙する心がある。
そこに、共通するものがあると感じます。
書を書く者として
私は書を書いています。
漢字は特定の文化の中で育った文字ですが、線の強さや、余白の静けさは、国を越えて何かを伝えることがあると思います。
言葉が読めなくても、「きれいだな」「力強いな」と感じる瞬間がある。
それは理屈ではなく、人間の感覚なのだと思います。
芸術は、必須ではありません。
けれど、私たちが「人間という同じくくり」であることを思い出させてくれるものだと感じます。
そのことが、少しでも世界のやさしさにつながればいいなと思います。
