成功した無謀、成立した失敗──その一歩の代償を、誰が払うのか
左サイドで、サイドバックが前へ出た。
その前でボールを受けたウイングが、中へ仕掛ける。
一人目を外しかけたところで、相手のセンターバックとボランチに挟まれた。
ボールを失う。
次の瞬間、相手は迷わず、こちらの左サイドの背後へボールを出した。
サイドバックが上がったあとに残った場所だった。
広い。
こちらの最終ラインは、
そのまま後ろへ走らされる。
こういうとき、たいてい目はボールを失った選手へ向く。
持ちすぎた。無理に行った。
そこで勝負する必要はなかった。
実際、そのウイング自身も、天を仰いでいた。
でも私は、その選手を見ていなかった。
見ていたのは、その後ろだった。
サイドバックが出たあと、誰がそこを埋めたのか。誰が相手のカウンターを見ていたのか。
誰もいなかった。
私は、残っていた最終ラインの三人へ声を飛ばした。
「お前ら、何ボーっと立ってる! 左が前に出て仕掛けてんだから、サイドバックが行ったところ、しっかりケアしとけよ」
◆ 「優位を生む」という場所
スペインで指導者として育つなかで、
「atrevimiento(アトレビミエント)」
という言葉には、何度も触れてきた。
臆せず行く。
大胆にやる。
相手に向かっていく。
私自身、最初の頃は「スペインでは、思い切って相手と勝負するプレーを大事にするんだな」くらいに受け取っていた。
バレンシアCFの育成年代で使われていた指導指針にも、この言葉は出てくる。
Generamos VENTAJAS desde el atrevimiento.
atrevimientoから、優位を生み出す。
いま見ると、気になるのはatrevimientoそのものより、その言葉が置かれている場所だ。
そこには、
No regalamos la pelota.
ボールを贈らない。
Sabemos para qué hacemos cada acción.
一つひとつのプレーを、何のためにやっているのか知っている。
という言葉も並んでいる。
大胆にやれ、というだけなら、
少し妙な並びである。
思い切って仕掛けろと言いながら、ボールは簡単に贈るなと言う。しかも、自分が何のためにそのプレーをしたのかまで求めている。
そこでは、前へ行ったこと自体に価値が置かれているわけではない。
相手を抜くことだけでもない。
何かを動かすために行く。
相手を引きつける。配置をずらす。
こちらに、それまでなかったものをつくる。
その指針では、
Generar ventajas──優位を生み出すこと
Aprovechar ventajas──すでにある優位を利用すること
も分けて置かれていた。
この違いは大きい。
空いているから、そこへ行く。
数的優位があるから、使う。
それもサッカーである。
けれど、ゲームの中には、まだ優位とは呼べない状態から、一人のアクションで相手が動く瞬間がある。その反応のあとに、初めて道ができる。
行ける場所を見つけたから行くのではなく、
行ったことで、行ける場所が生まれる。
資料の中でatrevimientoが置かれていたのは、Aprovecharではなく、Generarの側だった。
だからこの言葉を、一人の選手の「大胆さ」だけで受け取ると、たぶん半分しか残らない。
◆ 仕掛けは、ドリブルだけではない
atrevimientoを「仕掛ける」と受け取ると、
どうしても一対一のドリブルが先に浮かぶ。
けれど、この言葉はパスにもある。
たとえば、センターバックやボランチがボールを持っている。外のサイドバックへ出せば、簡単には失わない。味方も受けやすい。
その一方で、相手のプレッシャーラインを越えた先、狭いライン間には味方がいる。
そこへ一本入れば、相手の何人かを一度に越えられる。
当然、引っかかる可能性もある。
中央で失えば、そのままカウンターを受けることもある。
だから外へ出す。
それ自体は間違いではない。
ただ、配置によってライン間に道をつくり、そこに受け手がいたとしても、最後にボールを持った選手がその道を使わなければ、その優位は生きない。
パスコースをつくることと、そこへ実際に通すことは、同じではない。
受ける側がどんな身体の向きをつくっているか。強いボールが入っても、次へつなげられるか。
出し手は、そこまで含めてボールを入れる。
受け手の準備がなければ、同じ一本は、途端に無謀なパスになる。
だからこれは、一人だけで危険を冒しているプレーではない。出し手と受け手の関係まで含めて、その一本が成立している。
逆に、前へ行かないatrevimientoもある。
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