澱の中の選択ーー母としての祈りと、ビジネスの影
床を擦る「すたぺた」という覚束ない足音。
食事の途中で糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる、あの頼りない背中。テレビを見つめながら、無意識に爪を噛み続ける指先。
そのひとつひとつが、育児書の記述と残酷なまでに合致し、私の胸を静かに、けれど鋭く掻き乱す。
「この子のために、私は何をしてあげられるのだろう」
漢字が覚えられない、作文が綴れない。興味の対象にしか向けられない極端な集中力。
その「凸凹」を抱えた息子が、ついに「僕は頭が悪いんだ」と口にした。
「そんなことないよ」と抱きしめる腕の中で、私は、ついにここまで来てしまった、という絶望に近い不安の波に飲み込まれていた。
藁をも掴む思いで、連日SNSの海を漂う。
そこで目に飛び込んできた、あるセミナーの広告。
息子の不器用さも、感情の爆発も、すべてはこの広告が煽る「危機感」に起因しているのではないか——そう思わせる巧みな言葉が並んでいた。
しかし、足を踏み入れた先で待っていたのは、メールアドレスやLINE登録を促す、あまりに典型的な「セミナービジネス」の装置だった。
「母であるあなたが、子供のためにしてあげられること」
講師が繰り返すその聖域のような言葉の裏側に、緻密なシナリオを組んで微笑むマーケターの影が透けて見える。
その違和感が、私の喉元に苦く残る。
もう一つの候補も、結局はオンラインだ。
画面を前に息子を鼓舞し、やる気のない彼と対峙するのは、他でもない私自身。
その衝突を乗り越えるだけのメンタルが、今の私に残っているだろうか。
来月末に予約が取れたクリニック。公的な支援から繋がったものだ。それだけが今、唯一の、けれど不確かな「救い」に思える。
しかし、そこでも「グレー」と突き放されてしまったら…
「私では無理。プロに委ねたい」
それが、生活のすべてを支え続けてきた私の、剥き出しの本音だ。
提示された二つの選択肢は、どちらも結局「親が頑張ること」を前提としている。
「アーカイブ視聴も可能」という甘い誘惑。 効率的に見えるそのシステムを、疲弊した私たちが遂行できるのか…
「私がやらなければ、この子は変わらない」という重圧と、拭えない不信感。
その間で、心は揺れ動く。
これまでも、良かれと思う習い事やサプリ、支援の手に縋ってきた。
セミナーは「これをすれば、本質的な能力も底上げされる」と囁く。
今、この手綱を握り直すことが正解なのか。
それとも、また新たな「迷い」を買い足すだけなのか。
答えはまだ、深い暗闇の底にある。
