境界安定理論: 宇宙人とアブダクション 板前編 第七話
宇宙人から見た板前
第七話「自由と責任」
宇宙船。
大きなモニターの前に、板前と新人が座っている。
モニターには、見慣れた店の厨房が映っている。
今回は、板前が一日どんな事をしているのかを板前と一緒に観察する事が目的である。
朝7時。
板前が店に入ってくる。
板前「……これ、ワイやな」
新人「はい」
板前「これ、いつ撮ったんですか?」
新人「昨日です」
板前「昨日!?」
新人「地球でも、このぐらいの技術はそろそろできますよ」
板前「そろそろって……」
副長「地球も進歩しとるな」
艦長「おーん」
モニターの中で、板前が仕込みを始める。
新人「今日は、板前さんの一日を見ていきます」
板前「一日?」
新人「はい」
板前「何するん?」
新人「調査です」
板前「何の?」
新人「責任の調査です」
板前「……」
副長「まあ、見とけ」
⸻
朝7時、モニター。
仕込み。
野菜を切る。
魚をおろす。
出汁を取る。
新人「これは板前さんの仕事ですね?」
板前「はい」
新人「責任も板前さん?」
板前「はい」
新人「じゃあ、これは?」
モニターに料理長が入ってくる。
料理長「これ、今日中にやっといて」
板前「はい」
新人「これは?」
板前「ワイの仕事です」
新人「責任も?」
板前「……はい」
新人「なんでですか?」
板前「なんでって……」
板前、少し考える。
板前「言われたから?」
新人「なるほど」
モニター。
料理長が別の仕事を頼む。
料理長「これも頼むわ」
板前「はい」
さらに。
料理長「これも」
板前「はい」
新人「全部、板前さんの責任ですか?」
板前「……」
副長「どうや?」
板前「……分からん」
新人「では、次です」
昼営業
モニター。
忙しい厨房。
料理長が指示を出す。
先輩が料理を作る。
板前も動く。
新人「これは?」
板前「仕事です」
新人「板前さんの責任?」
板前「はい」
新人「これは?」
料理長が別の仕事を板前に渡す。
板前「はい」
新人「これも?」
板前「はい」
新人「これも?」
板前「はい」
新人「……全部?」
板前「……はい」
副長「お前、よう返事するな」
板前「え?」
副長「何でも『はい』や」
板前「……」
営業中
モニター。
料理長と先輩が酒を飲み始める。
料理長「お前も飲めよ」
板前「はい……」
板前も少し飲みながら仕事をする。
新人「これは?」
板前「……」
新人「板前さんの責任ですか?」
板前「いや……料理長に言われたから……」
新人「じゃあ料理長の責任?」
板前「……」
新人「それとも店?」
板前「……」
新人「分かりません?」
板前「……分からん」
副長「せやろな」
夜21時
モニター。
営業終了。
料理長が帰る。
料理長「お疲れさん」
板前「お疲れ様です」
料理長、帰る。
21時30分。
先輩が帰る。
先輩「お疲れ」
板前「お疲れ様です」
店に板前一人。
新人「ここからは?」
板前「……見られたらあかん仕事です」
新人「誰の仕事ですか?」
板前「ワイがやらな終わらんから」
新人「じゃあ板前さんの責任?」
板前「……はい」
新人「店の責任では?」
板前「……」
新人「料理長の責任では?」
板前「……」
板前、答えられない。
副長「そこや」
板前「……」
副長「お前、責任を全部『自分がやること』に変換しとるやろ」
板前「……」
副長「責任ってな」
少し間。
副長「背負うもんちゃうぞ」
板前が顔を上げる。
副長「線引くもんや」
モニターが止まる。
新人が操作する。
モニターが分割される。
【板前】
仕込み
調理
盛り付け
自分の判断
【料理長】
店の判断
人員配置
指示
【店】
営業時間
勤務体制
給与
休日
新人「こうやって分けたらどうです?」
板前「……」
新人「全部、板前さんの責任ですか?」
板前「……ちゃうな」
新人「ですよね」
板前「……」
新人「じゃあ、板前さん自身の責任は?」
板前「自分の仕事……」
新人「だけ?」
板前「……」
新人「自分の人生は?」
板前が黙る。
副長「お前が責任背負ったら、迷惑がかかるぞ」
板前「!?」
板前、振り返る。
板前「……なんで?」
副長「意味わからんやろ?」
板前「わかりません」
副長「新人、モニター」
新人「はい」
モニター。
板前が朝から晩まで働いている。
新人「板前さんが全部やってます」
副長「せやな」
新人「だから店は回ってます」
副長「一見な」
モニター。
板前の動きが少しずつ遅くなる。
新人「疲れてますね」
副長「せや」
モニター。
判断が遅れる。
包丁を置く。
一瞬、手が止まる。
そして、ミス。
料理長「なんやこれ」
板前「すみません」
モニターが変わる。
別の日。
板前が体調を崩す。
店が慌てる。
新人「……」
副長「全部背負った結果や」
新人「でも、板前さんが頑張ってるから……」
副長「それで?」
新人「……」
副長「板前が全部やる」
「他の奴は?」
新人「……やらなくてもいい?」
副長「せや」
モニター。
【板前がやる】
↓
【他の人がやらなくなる】
↓
【板前がいないと回らない】
↓
【さらに板前が背負う】
新人「……循環してますね」
副長「悪い循環や」
板前は黙ってモニターを見る。
副長「お前が全部背負うことで」
「他人が自分の責任を引き受ける機会まで奪ってるんや」
板前「……」
副長「それが迷惑や」
板前「……」
副長「お前が人のためにやってるつもりでもな」
「相手の責任まで奪ったら、相手も困る」
板前は何も言えない。
新人「……じゃあ」
副長「ん?」
新人「やらないことも、必要なんですか?」
副長「せや」
新人「でも、困る人が出ますよ?」
副長「そら出る」
新人「助けなくていいんですか?」
副長「助けるかどうかも、選択や」
新人「……」
副長「何でも助けるんが優しさちゃう」
「何でもやるんが責任でもない」
新人「……」
副長「相手が自分でやるべきことまで奪わんことや」
新人「……」
新人はモニターを見る。
そして、少し考える。
新人「これが……」
「戦略的非介入?」
副長「せや」
新人「何もしないってことですか?」
副長「ちゃう」
「必要なところでは介入する」
「でも、必要以上には介入せん」
新人「……」
副長「相手の責任を奪わん」
「相手の選択も奪わん」
新人「……」
新人の顔が少し明るくなる。
新人「じゃあ……自由にも関係ありますね」
副長「お」
新人「全部やってあげたら、その人は選べない」
副長「せや」
新人「自分でやることがなくなるから」
副長「そういうことや」
新人「……」
副長「新人、だいぶ分かってきたな」
新人「……!」
新人、少し嬉しそうにする。
艦長「おーん」
新人「艦長も褒めてください」
艦長「おーん」
新人「……」
副長「それが艦長の最大級の褒め言葉や」
新人「そうなんですか?」
艦長「おーん」
新人「板前さん」
板前「はい」
新人「自由って、何やと思います?」
板前「自由?」
新人「はい」
板前「何でもできること……ですかね」
新人「じゃあ、今の板前さん」
板前を見る。
新人「何でもできますよ」
板前「……」
新人「旅行もできます」
モニターに旅行。
新人「ゲームもできます」
ゲーム。
新人「映画も見られます」
映画。
新人「仕事もできます」
店。
新人「辞めることもできます」
板前「……」
新人「休むこともできます」
板前はモニターを見る。
新人「でも、今まで選んでました?」
板前「……」
新人「仕事する」
板前「……」
新人「我慢する」
板前「……」
新人「役に立つ」
板前「……」
新人「他にありました?」
板前「……なかった」
新人「じゃあ」
少し間。
新人「何でもできるのに、選択肢は一個だったんですね」
板前「……」
板前はモニターを見る。
自分が働いている。
朝から晩まで。
毎日。
板前「自由って……」
新人「はい」
板前「何でもできることやなくて……」
「選べることなんかな」
副長「せやな」
板前「……」
副長「責任の線引きができたら、自分の範囲が分かる」
「自分の範囲が分かったら、選べるようになる」
「選べるようになったら、自由になる」
板前「……」
新人「じゃあ、板前さん」
板前「はい」
新人「何を選びたいですか?」
板前「……」
板前は考える。
すき焼き。
旅行。
ゲーム。
映画。
ライブ。
漫画。
そして――
自分の店。
板前「……店」
新人「店?」
板前「自分の店、やってみたい」
新人「……!」
板前「なんか……」
「自分で決めてみたい」
新人「何を?」
板前「全部」
少し間。
板前「……いや」
「全部やなくてええな」
新人「?」
板前「自分がやることを、自分で決めたい」
副長「……」
新人「それが自由?」
板前「……たぶん」
新人はモニターを見る。
【自分で決める】
という文字が表示される。
副長「ほんなら、もうええな」
板前「え?」
副長「帰るか」
板前「まだ話したいことが……」
副長「それは自分で考えろ」
板前「……」
新人「副長」
副長「なんや」
新人「何も教えなくていいんですか?」
副長「もう教えたやろ」
新人「でも、板前さんがこれからどうするか……」
副長「それは板前の人生や」
新人「……」
副長「ワイらが決めたら、また同じことになる」
新人「……!」
副長「選択肢を渡す」
「線を引く」
「後は本人に返す」
新人「……」
板前はモニターに映る自分の店を見る。
板前「……ワイ」
新人「はい」
板前「選んでたんじゃなくて……」
少し間。
板前「選ばされてたんかな」
新人は答えない。
副長も答えない。
艦長だけが、モニターを見ながら、
艦長「おーん」と。
副長「新人」
新人「はい」
副長「最後に一個だけ頼むわ」
新人「はい」
副長「板前が帰る前に、頭脳最適化かけとけ」
新人「了解です」
板前「……なんですか、それ?」
新人「おもてなしのお土産です」
板前「お土産?」
新人「はい」
板前「何もろたん?」
新人「秘密です」
板前「また秘密かいな」
副長「まあ、帰ってからのお楽しみや」
板前「……?」
新人がモニターを操作する。
【頭脳最適化】
開始。
板前「……?」
画面いっぱいに光が広がる。
地球
翌朝。
6時。
目覚まし。
板前「……眠い」
いつも通り起きる。
店へ向かう。
7時。
仕込み開始。
包丁を持つ。
魚を見る。
野菜を見る。
出汁を見る。
板前「……」
手が動く。
一つ。
また一つ。
次の工程へ。
考えるより先に、身体が動く。
時計を見る。
9時。
板前「……あれ?」
もう仕込みの大半が終わっている。
板前「……?」
10時。
営業準備終了。
板前は時計を見る。
板前「……早ない?」
以前なら、まだまだ終わっていない時間。
なのに、身体は妙に軽い。
頭も冴えている。
そして――
何かを思い出そうとする。
板前「……」
何も出てこない。
宇宙船。
新人。
副長。
すき焼き。
自由。
責任。
全部、何も思い出せない。
ただ、何かが違う。
そんな感覚だけが残っている。
宇宙船。
モニター。
新人「ちゃんと残ってますね」
副長「せやな」
新人「頭脳最適化」
副長「お前がやったんやで」
新人「……!」
新人、嬉しそうにモニターを見る。
地球。
板前が仕事をしている。
以前の半分ほどの時間で仕込みが終わる。
新人「でも、板前さんは何も覚えてないんですよね」
副長「せや」
新人「ちょっと寂しいですね」
副長「ええねん」
新人「え?」
副長「覚えてなくても、本人は残っとる」
新人「……」
副長「記憶は消えても」
「能力は消えへん」
「選択肢も消えへん」
「きっかけを使うかどうかも、本人次第や」
新人「……」
艦長「おーん」
地球。
昼休み。
板前がスマホを見る。
旅行の広告。
指が止まる。
板前「……」
しばらく画面を見る。
そして、
「……旅行でも行こかな」
その声を、本人だけが聞いている。
宇宙船のモニター。
新人「……!」
副長「ほらな」
新人「はい!」
艦長「おーん」
モニターの中で、板前が小さく笑う。
その笑顔は、
今まで誰かに必要とされるための笑顔ではなかった。
自分が何をしたいのかを、
まだ完全には分からない。
それでも、
自分で選んでみようとする顔だった。
――宇宙船。
副長「ええ土産やったな」
新人「はい」
艦長「おーん」
最終話へ
