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決断:ハサミを置く前の、一年

2人目の子どもが生まれてから、自分の価値観が変わった。34歳になったばかりの頃だった。それまでは「今日をどう乗り切るか」だけで頭がいっぱいだったのに、いつの間にか「この子たちが大きくなる頃、自分はどうなっているんだろう」と考えるようになっていた。

美容師の仕事は好きだった。お客様を施術して、その場で結果が返ってくる仕事に誇りもあった。でも同時に、体一つが資本の仕事でもある。朝は9時から仕事が始まり、終わるのも21時過ぎ。ミーティングでもあれば終電になる。この先ずっと同じペースで働き続けられるのか。もし体を壊したら、家族の生活はどうなるのか。子どもができる前は考えもしなかった不安が、急に現実味を帯びてきた。

何より美容師は基本土日が休めない。今は働き方も変わってきているが、当時の私にその選択肢はなかった。保育園の運動会などのイベントも、なんとかお店にお願いして参加させてもらい、終わったらすぐに仕事に向かう。子どもが頑張ったあとのご褒美の回転寿司へ、我が家が行くことは一度もなかった。上の子が小学生に上がるまでには、なんとしても環境を変えておきたかった。この「小学生になるまでに」という期限がなければ、きっと行動できないまま先延ばしにしていたと思う。

「場所にとらわれない生き方」という言葉に惹かれた

ある夜、将来のことをノートに書き出してみた。自分にとっての幸せな生活をするために何が必要か。行き着いた答えの一つが「パソコンひとつで完結する新しい技術を身につけること」だった。パソコン一つでどこでも働ける生き方は、自分の状況にちょうどよく思えた。自宅でも仕事ができれば、子どもの成長をそばで見ていられる。場所にとらわれない働き方というのは、当時の自分にとって、かなり眩しい言葉だった。

独学で少しずつ学ぶ道もあったけれど、時間がかかりすぎる気がした。中途半端に手を出して詰まるより、思い切って環境ごと変えてしまった方が早い。そう腹をくくった。

動き出してから、1年

将来のことをノートに書き出したあと、転職エージェントに登録した。実際に今の会社の話が固まるまでには、そこから1年ほどかかっている。水面下でエージェントとやり取りしながら情報を集め、少しずつ現実的な選択肢として固めていった時期だった。

そんな矢先、あのコロナによる緊急事態宣言が発令された。世の中の多くの店が休業する中、美容室は対象外だった。自粛ムードが漂う街で、変わらず店を開け続ける。お客様が来てくれれば売上になるが、来なければただ店にいるだけで、収入にはつながらない。先の見えない不安の中、それでも普段通りにお店に立ち続ける日々だった。周りが自粛している空気の中で夜遅くまでミーティングが行われることもあり、正直、店や会社に対して不信感を覚えることも増えていた。スタッフの安全より営業を優先しているように感じられて、自分の中で何かが静かに醒めていくのがわかった。皮肉なことに、この時期の出来事が、環境を変えるという決断をより後押しすることになった。

迷いを抱えたままでも、進むしかなかった

一番気が重かったのは、会社に伝えることではなかった。何年も通ってくれていたお客さんに、この話をすることだった。話が正式に決まってから、思い切って転職の話を切り出した。

その中の何人かには、いつも将来のことを気にかけてもらっていた。転職の話をした時、残念そうな表情を見せながらも、前向きに挑戦する姿勢を褒めてくれた。「応援してるよ」と言ってもらえたのが、何より嬉しかった。長く通ってくれていた人だからこそ、あの一言はしばらく胸に残っていた。

正直、決断した瞬間に迷いが消えたわけではない。畑違いの世界で、本当にやっていけるのだろうか。手に職だった自分が、その職を手放していいのだろうか。そんな不安は、決めたあとも消えずに残っていた。それでも今でも、あの時のお客さんの「応援してるよ」という一言を思い出すことがある。あの言葉に押し出されるようにして、ここまで来られた部分も大きい。

好きな仕事を手放す痛みと、家族の将来を守りたいという気持ち。どちらか一方を選ぶというより、両方を抱えたまま前に進むしかなかった。自分の確固たる決心と背中を押してくれる人がいたことが、この後始まる会社員生活の出発点を支えてくれていたのだと思う。

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