僕がマン太郎レーサーだったころ
君は地面を転がる一万個の銀玉を見たことがあるか。
私は大学時代、1年半ほどパチンコ屋でアルバイトをしていた。
入店直後に、「自然な笑顔が作れない」という接客を業とする者として致命的な弱点を抱えていることが判明し、店長とマンツーマンで笑顔で「いらっしゃいませ」という練習をひたすら繰り返すなど、その前途を不安視された私だが、その後は順調にパチンコ店員としての技能と経験を積み上げ、入店後半年が経過するころには、『エースバイト』の称号を得ていた。
私がその地位を確立し得たのは、若さにものを言わせた機動力と無尽蔵のスタミナによるところが大きい。
私は勤務時間中、次々と点灯する呼び出しランプを目掛けて走り回る猟犬と化していた。
当時、私が勤めていたパチンコ店では「マン太郎」と呼ばれるでっかいドル箱が稼働していた。
漢字で書けば万太郎かもしれないし、満太郎かもしれない。
どちらであってもしっくりくる巨大な容貌であった。
半透明のピンク色のプラスチック製のボデーにキャスターが4つ。
通常のドル箱4〜5箱分のパチンコ玉が一箱に収まってしまうというモンスターである。
お客さんが席の後ろにドル箱を10箱くらい積んだ時、それはマン太郎出番の合図である。
お客さんに声をかけて、ドル箱のパチンコ玉をマン太郎に移し替えるのだ。
お客さんにとって、マン太郎いっぱいにパチンコ玉を満たすことは目標の一つになっていたから、その申し出が断られたことは一度もなかった。
マン太郎は巨大だ。
遊技機が並ぶ通路にそのまま放置していると通行を著しく妨げる。
そこで、お客さんの承諾を得た上で、そのマン太郎をカウンター前の広い通路に移動させるのだ。
この申し出には難色を示すお客さんが一定数いた。
自分の目の届かないところに出玉を持っていかれることに不安を感じるようだ。
しかし、マン太郎はカウンター前で預かられている間、万全の体制で監視されている。
万に一つも出玉が盗難等の被害に遭うようなことはないのである。
マン太郎は超重量兵器でもあるので、抱えて長距離を移動することは至難の業だ。
そこで、マン太郎を移動させる際には、雑巾掛けの要領でマン太郎を後ろから押し、キャスターの機能を最大限に利用して運搬することになる。
私は、マン太郎を押して移動するスピードは、他の誰にも負けない自信があった。
店舗ナンバーワン、マン太郎レーサーである。
そのナンバーワンマン太郎レーサーが、一度だけ大クラッシュ事故を起こしたことがある。
メイン通路をトップスピードで駆け抜け、カウンター前に向かって、スピードを維持したままコーナーに突入する。
普段であれば、キャスターを回転させながら靴裏を滑らせて高速でコーナーを突破するところだ。
しかし、その時悲劇が起こってしまった。
私の超絶技巧のコーナリングにマン太郎のキャスターが悲鳴を上げたのである。
弾け飛ぶキャスター。
バランスを崩すマン太郎。
マン太郎と共にひっくり返るマン太郎レーサー。
そして、
自由を得た約1万個の銀玉がフロア内に解き放たれていった。
それぞれの銀玉がまるで意思を持ったように、真っ直ぐに突き進んでいく。
その光景は圧巻であった。
パチンコ玉以外の時間が止まった。
ザ・ワールド。
近くにいた従業員も、ただその場に居合わせただけのお客さんも、一様に足を止め、ただその様子を眺めていた。
下手に動けばパチンコ玉を踏んづけて転んでしまうからだ。
私は、倒れたままその光景をただ呆然と見ていた。
不謹慎だが「うわぁ面白え!」と思った。
しかし、すぐに自分が起こした事故の重大性に気がつき、青ざめて、このまま意識を失ってしまいたいと思った。
私は立ち上がり、足元に倒れ込んだマン太郎を見下ろした。
四隅のキャスターのうちのひとつが完全に折れてしまっている。
予後不良…
嫌な言葉が私の脳裏を過った。
フロアに目を向けると、それまで強烈な運動を続けていたパチンコ玉はそこかしこにぶつかり、その勢いを失いつつあった。
すぐさま私の元に主任や他の従業員が駆け寄って来た。
怒られることも覚悟していたがみんなが爆笑していた。
それからは手分けして、ホールのあちこちに潜むパチンコ玉を拾い集める作業である。
約20分の作業を経て、目につくパチンコ玉は集め尽くしたが、マン太郎内のパチンコ玉はどう見ても当初の8割くらいの量に減っていた。
すべては思い上がったマン太郎レーサーの仕業である。
こういった事故のことも想定して、お客さんはマン太郎を預けることを躊躇していたのかもしれない。
その危機感は正しかったと言わざるを得ない。
結局そのお客さんには、店が紛失した分の出玉を補償するという形で決着が図られたのだったと思う。
私はパチンコを打たなくなって久しいが、現在のホールにはマン太郎も、出玉補償も存在していないらしい。
時の移ろいを感じる。
時の移ろいといえばもうひとつ。
大学を卒業し、就職をしてから一度だけ、そのパチンコ屋を、客として訪れたことがある。
そこには、当時一緒に働いていた学生バイトの先輩「マルコスさん」がまだ働いていた。
その額は大きく後退していた。
