『落ちない』と書きたいものが出てこないという話
ちょっと自分の頭を整理したくて、そしてかつ表題の状態になりたくてこの文章を書き始めましょう。
詩とか、ちょっとした短文の物語とか。
自身として書きたいものがたくさんあります。なので書いています。
こう思いついたものを書くとどうにもこうにもすっきりして、
それでいて自分のその時の気持ちを落とし込めたことに喜びを感じるのです。
誰にも見られなくていい、それは本当にその通りだと思っています。
私自身ずっと誰も読めない場所に物を描いていました。
ただその場所が閉鎖されたのでこのnoteを利用することにしました。
今も自分が見返す場所になればいいと思ってこのnoteに投稿をします。
表題の話に戻りましょう。
書き始めるとき、何か自分の感情か人の感情かわからなくなることがあります。
私はその瞬間を『落ちている時』と捉えるようになりました。
落ちている時にあふれていくものが、気持ちの悪いけど心地のいい何かが。
そうして零れ落ちて、書く瞬間につながるのだと思います。
なので、どうにもこうにも、
『落ちてない時』には全く書くことができないという問題があります。
前は『落ちている時』というのが、俗にいう鬱な時だと思っている時もありました。
でも改めてよくよく考えると、前まで自身の感情が落ちている時が『落ちている時』だっただけで、『落ちている時』というのは感情が落ち込んでいる時ではない。ということに気づきました。
先に『落ちている時』はどんな時かを整理します。
・懐かしい曲を聴いている時
・感傷に浸るとき
・懐かしい誰かを思い出すとき
・誰かを思うとき
など様々です。俗にいうエモい時というのが多いでしょうか。
あとは誰かとリンクしたときというのもあります。
物語を読んで感情移入するときです。
なので、自分の感情が動いたときにしか書けないので、
出てくる言葉は全部自分の言葉ですね。勝手に出てくるものではない。
よく小説を書く人は、勝手に動いてくれるなどといわれますが、
私の場合、動くのはたくさんいる『自分自身』であって全員自分なのです。
落ちなければ、書けないのであれば落ちるしかない。
落ちると戻るまでに時間がかかります。
書き上げれば戻ってくることもあれば、
そのまま落ち続けることがある。
いつか戻ってこれなくなるかもしれない。
でも落ちていれば書き続けられる。
書くことが幸せなのであれば、それは一番の幸せでしょう。
何のために書くのか、なぜ書いているのか。
それをもう一度考えてもいいでしょう。
それすら、『落ちること』につながるのでしょう。
(何かを書くものの話。
何かに捕らわれ、それを幸せと呼ぶ。
あまりにも不幸な呪い。)
