ふぉとんにっき|映画『旅と日々』を観たこと。
映画『旅と日々』を観に行ってきた。
最近、友達とこんな話をしていた。
僕はたまに無性に「山歩き」をしたくなる。
何か日常の外に行きたくなるのだ。
昔、人にとって「自然」は不安や恐怖の対象で果てしない外の世界だった。
しだいに、都市に住み「自然」から離れるようになった。
すると「他者」が残された外の世界になる。
けれども、「他者」とも程々の距離をとって交通事故が起きないようになったとき。
人はどこに向かって外の世界を見出すのか。
そんな話をしていた時に、友達がこの映画を教えてくれたのだ。
そういうとき、きっと人は「日々」から「旅」に向けて出ていこうとするのだ。



主人公の脚本家がこんな事を言っていた。
「世界が言葉にすぐ追いつかれてしまう」
そうなんだと思った。
僕もわかる気がする。
映画のなかにもう一つの劇中劇映画が登場する。
つげ義春の原作から主人公が脚本を手掛けた作品だ。
上映会後の質問に答えて主人公は言う。
「自分には才能がないなと思いました」
上映会を鑑賞していた批評家の先生だろうか。
佐野史郎さん演じる初老の男が感想を語った。
この作品には「エロティックな感じがする」と
スーザン・ソンタグが『反解釈』で書いている。
いま重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ。われわれはもっと多くを見、もっと多くを聞き、もっと多くを感じるようにならなければならない。
解釈学の代わりに、われわれは芸術の官能美学(エロティックス)を必要としている。
本当に良い映画っていうのは「旅」と同じようなものだ。
それは「自然」の美に圧倒されるようなものだし。
人に出会って心を奪われるようなものだ。
一切の説明を必要としない「写真」のようなものだ。
たぶん「旅」とは、言葉が追いつかない瞬間に立ち会いに行くことなんだ。
ただ目に映る光景に圧倒されて、言葉を忘れて。
意味を失ってしまうことなんだろう。
僕にも、その感覚がうっすら分かる気がした。
