見出し画像

第35話 周囲の期待

実は、光洋のオープンに合わせて、本店の営業機能はすべて光洋に移され、本店は出前対応のみの体制となっていました。

もともと一心鮨は寿司と日本料理を提供するお店でした。
そのため、寿司部門とは別に、料理部門がありました。
職人は寿司を握るので、手が塞がり料理が作れなくなります。昔から父はそこの弱点を分かっていて、店内に料理部門を作り、寿司屋が出来ない本格料理を作り、提供していました。
寿司は父をはじめとする職人等が腕を振るい好評を得ており、また、料理部門では、料理長の味付けが非常に評判がよく、それらが「一心鮨らしさ」として多くのお客様に喜ばれていました。

この体制が全て、本店から光洋に移されていたのです。

本店の営業再開に伴い父は社長という立場で本店・光洋・一番星の3店舗の運営に挑んでいました。私が回転寿司の一番星で四苦八苦していたころ、各現場では、古くからの先輩達が店長として本店の出前部門、光洋を支えてくださっていました。

しかし、それでも料理長退職後には、「味が変わったね」と言われることも多くなり、料理への信頼が揺らぎ始めました。この課題を改善すべく、和食の技術に長けた職人を新しい料理長に据えて、厨房体制を刷新しました。しかし、当時の宮崎にはいわゆる「高級店」と呼ばれるお店がほとんどなく、外部から雇い入れた方々は居酒屋出身者や料理屋さんの出が多かったので、「日本料理」には及ばない。もっといえば一心鮨らしさなんて出せる状況ではありませんでした。
また、父は社長という立場で動くため、各店舗の運営・マネジメントなどは店長に任されていたのですが、前回もお話しした通り、光洋は規模拡大のために一斉採用を行った店舗。これまで本店で職人をしていた先輩方でも、多種多様な考えをもつ人達を相手に店をまとめるのは苦戦したそうです。
さらに、大型店舗を動かすには若手職人たちの技術力がまだ追いついておらず、オペレーションに乱れが出ていました。

課題山積のなか、多くの人が試行錯誤をしながら挑戦を続け、店を支えるものの状況は好転せずにいた時、一番星での結果を見た父が私を光洋に呼び戻すことを決断したのです。

最古参の方を含む諸先輩方から引き継いでの店長就任。
一番星を復活させた、という周りの期待。
さらに「長男である一洋なら」と任命してくれた父の想い。

どうにかして結果を出さなくては・・・!

と、より力が入ったのをよく覚えています。

しかし当時はまだ26歳。経験も浅く、年上でキャリアの長い職人たちとの関係づくりは大きな壁でした。
また、表には出ていませんでしたが
「店を復活させてくれるはず!」という純粋な期待と
「本当にアイツでやれるのか?」という疑いが
ないまぜになったような周囲の空気感。
光洋の店長就任は、回転寿司店「一番星」の店長になった時とは比べものにならないほどの、ハラハラとしたスタートでした。

いいなと思ったら応援しよう!