A36_電話を取らない同僚にイラついて、AIに相談したら、変わったのは自分だった
誰も電話を取らない
電話が鳴っている。近くに人はいる。でも、誰も取らない。
遠くの席にいる自分が立ち上がる。
正直、イライラしていました。
職員室での話です。電話の近くにいる人が取れば、それで済んだはずでした。自分の作業は中断し、歩く時間もかかる。
一度気になり出すと、鳴るたびに反応するようになります。「今度は取るだろうか」と身構える。取らなければ、また立つ。
腹が立っていたのは、自分の手間だけの話ではありません。全体で見れば、明らかに無駄な時間が積み上がっている。そこが引っかかっていました。
でも、わざわざ注意するほどのことでもありません。言えば角が立つ。言わなければ、こちらが疲れる。
AIに相談したら、相手の側の事情が返ってきた
行動経済学アドバイザー——そんな名前のGPTsを自分で作って使っています。仕事で気になったことを、そのまま投げる相手です。
この電話の件も、そこへ流し込みました。
返ってきたのは、対処法よりも先に、相手の側の話でした。
人が電話を取らないのは、怠けではない。そう書かれていました。理由として挙がっていたのは、こんなことです。
自分の仕事の領域はどこまでか、という境界線
作業を中断することへの抵抗
誰かが取るだろう、という責任の分散
そのときの疲労や気分
仕組みの提案ももらいました。電話に近い席は一次対応にする。取ってくれた人には短く礼を言う。人は意志ではなく環境で動くのだから、環境のほうを整えればいい、という話です。
でも、実際に効いたのは、そちらではありませんでした。
職場には、何も仕掛けていない
結局、ルールは作っていません。誰にも何も言っていません。
変わったのは、自分の見方だけでした。
電話が鳴る。誰も取らない。自分が立つ。
そこまでは前と同じです。違うのは、そのときに何も感じなくなったことでした。相手には相手の事情がある。それが分かってしまうと、気にならなくなりました。
自分は「鳴ったら取る」が自然にできる側の人間です。だから、できない人がいることが理解できていませんでした。能力でも意欲でもなく、見えている景色が違っていただけです。
青信号なのに、前の車がなかなか発進しない。イラッとした瞬間、リアガラスの初心者マークが目に入る。
それだけで、苛立ちがすっと引きます。相手は、何も変えていないのに。
イライラは、相手を変えなくても消えることがあります。
職場の誰かの動かなさに、イラっとしたことはありませんか。そのとき、その人の側の事情を、一つでも思い浮かべましたか。
一度は、AIに決めてもらうのもありだと思っていた
一時期、こんな使い方もありかと思っていました。
「今日、何をすれば自分の人生にとって最も効果的か」をAIに聞く。AIが計画し、自分が実行する。
合理的です。実際、こうしている人もいます。最終的に手を動かすのは人間だから、これは「Human in the Loop」——人間が輪の中にいる状態だと、自分でも思っていました。
ただ、どこかで引っかかっていました。
自分はAIを使っているのか。それとも、AIの最適化ループの中で動いているのか。
Tech on tap, never on top
その引っかかりに名前がついたのは、オードリー・タンの考え方に触れたときでした。
Tech on tap, never on top
技術は、蛇口のように必要なときに使うもの。人間の上に立つものではない。
そしてもう一つ。
AI in the loop of communities, not human in the loop of AI
人間をAIのループに入れるのではなく、人間同士の関係の中にAIを入れる。

さきほどの「Human in the Loop」が、ここで反転します。AIが目的と速度を決め、人間がその提案に反応し続ける。輪の中心にいたのは、自分ではなくAIでした。
読んだとき、電話の件を思い出しました。
あのとき自分がやっていたのは、AIに答えを出させることではありません。同僚と自分のあいだにAIを置いて、相手の側を翻訳してもらっていた。
AIに判断してもらうことと、AIを通して人を理解することは、違います。
頭では「AI駆動で生きるのもあり」と考えていたのに、実際の行動はとっくに別のことをしていた。考えが変わったというより、自分がすでにやっていたことに、名前がつきました。
AIの出力が微妙なとき、私は再生成しない
では具体的に、どこへ線を引いているのか。
普段の使い方はこうです。まず、自分の中で構想を練ります。思いついたことは全部渡す。音声入力アプリを使っているので、喋りながら、考えながら、そのまま流し込みます。
決まっていないところだけ、「おすすめの選択肢をください」と聞く。設計の8割は自分、2割をAIに聞く。内容によっては半々になります。
そこまでやると、返ってくる出力は8〜9割そのまま使えるものになります。というより、そうなるように最初の設計へ時間をかけています。
問題は、それでもイメージと違うものが出てきたときです。
ここで再生成しません。プロンプトを少し変えて、もう一回。まだ違う、もう一回——このループには入らないようにしています。
オードリー・タンは、この状態をスロットマシンに近いものとして警戒しています。「もっと良くできそう」で回し続けると、AIの速度に人間が合わせ続けることになる。
出力が思っていたものと違うとき、原因は出力のほうにありません。渡した設計が甘い。だから、設計に戻ります。
レバーを引き直すのではなく、台を降りて、もう一度図面を引く。
Coreは、知識のことではなかった
前回、学びをこう整理しました。
Coreは残す。Mapはつなぐ。Pointsは流す。
Coreは自分のOSにするもの。Mapは知識をつなぐもの。Points(Radar)は世界を広げる点。
あのときのCoreは、知識の話でした。何度も繰り返して、身につけるもの。
でも今回のことを通すと、Coreはもう少し広い。
何を大切にするのか。何に好奇心を持つのか。誰と何を作りたいのか。どんな責任を引き受けるのか。
知識も文章力も記憶も、かなりの部分をAIの側へ置けるようになりました。置けるものは、置いていい。置けないものだけが残ります。
自分とは、能力の集合ではなく、関係と価値観の交差点である。
オードリー・タンの考え方ですが、これはAI時代だからこそ見えてきた話だと思っています。能力を外に出せるようになって、逆に「何が自分なのか」が絞り込まれました。
Coreを磨くためにAIを使うのは、いい。Coreそのものを預けるのは、違う。
それでも、使い倒す
AIを控えめに使おう、という話ではありません。むしろ、これからもかなり使います。仕事にも、学びにも、制作にも。自分では気づけないことを見つけるためにも使います。
決めているのは、順番だけです。
自分の目的と、人との関係が先。AIはそのあと。AIの速度に合わせて自分の予定を組むのではなく、自分の予定にAIを合わせる。
答えが完成している必要はありません。技術も自分も変わっていきます。
ただ、「AIと自分は、どういう関係でいたいのか」だけは、自分の側に持っておく。
電話が鳴って、誰も取らない。あの場面は、これからも起きます。
今日AIに投げた質問の先に、誰かの顔は浮かんでいましたか。
人生の限りある時間を大切に。シンパクト和 でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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