【旅日記】はじめての能登
7月20日(日)、金沢から日帰りで能登半島に行ってきました。
このnoteは、あくまで私的な旅の感想文ではありますが、「(ボランティア活動ではなく)能登に行きたい」「観光という形で、復興支援に協力したい」という思いを抱いている方々にとって、少しでも参考になれば嬉しく思います。
ひとつの記事は1,000字まで・それ以上は読まれないとされるnoteにおいては掟破りな1万字以上の長文ですが、観光ガイド的な部分だけでも、多くの方々にお読みいただければ幸いです。
はじめに~今回の行程と、利用した道路~
(1)仙台から金沢まで(東北自動車道~磐越自動車道~北陸自動車道)
現在、宮城県仙台市で暮らしている我々夫婦。今回、初めて石川県を訪れるにあたっての交通手段は、車(マイカー移動)にしました。
まずは、能登行きの前日、7月19日早朝に仙台市内の自宅を出発。
仙台市内から東北自動車道に乗り南下。福島県の郡山JCTで磐越自動車道に乗り換え新潟県に入り、新潟中央JCTで北陸自動車道へ。
初日の目的地・石川県金沢市には、夕方到着。
事前にNAVI TIMEで検索した際の所要時間は約7時間でしたが、我が家の場合、途中で食事休憩やSAでのお買い物など楽しみながらのんびりと移動したので、ホテル入りしたのは出発からおよそ9時間後でした。
(2)金沢から能登半島へ(のと里山海道)
金沢から能登半島の輪島市へは「のと里山海道」と呼ばれる自動車専用道路(全区間無料)を利用しました。
のと里山海道と能越自動車道は、昨年1月1日に発生した能登半島地震の影響で一部通行止めとなっていましたが、昨年9月10日から全区間で対面通行可能となっています。

金沢に泊まった翌朝、午前7時にホテルを出発。
途中の道路は、まだ完全復旧とは言えない状況ではありましたが(後述)、対面通行可能なおかげで渋滞することもなく、おおむね順調に走行することが出来ました。
最初の目的地に設定していた輪島市の観光案内所に到着したのは、グーグルマップに表示されたのと、ほぼ同時刻。
金沢からの所要時間は約2時間でした。
(3)輪島朝市方面から能登町の道の駅へ(国道249号)
当初は輪島市だけを訪れるつもりだったのですが、輪島市までの移動がスムーズだったことや、目的の買い物が早めに済んだこともあり、能登町にも立ち寄ることにしました。
輪島市から能登町への車での移動は、国道249号を利用。
この道も、昨年1月1日に発生した能登半島地震とその後の9月21日に発生した能登半島豪雨の影響で長く通行止めになっていましたが、私達が訪れる3日前の7月17日から全面通行可能になりました。
なお、通行可能とはいっても、この区間は現在、災害対策基本法に規定される「道路啓開区間」(緊急車両等の通行を優先するため、それらの車両の通行が確保されない場合には、支障となる一般車両等の移動を行う場合があるとされる区間のこと)になっています。
また、先述の「のと里山海道」のような対面通行ではなく、片側交互通行となっている箇所が複数ありました。
ここからは、訪れた場所と、買ったもの・食べたもののご報告です。
1.道の駅輪島(ふらっと訪夢)へ
(1)観光案内所
輪島塗などの伝統工芸で有名な輪島市は、能登半島の日本海側の町。
のと里山海道から輪島市に入り、最初に向かったのは、「道の駅輪島」。

こちらは、のと鉄道の旧輪島駅の跡地を利用して作られた道の駅とのこと。輪島市の観光案内所も、こちらの建物内に入っている。
まずは、観光案内所へ。
現時点での出張輪島朝市の営業状況や営業再開している輪島塗工房などを教えていただこうと入ったのですが、この観光案内所がすでに物産館。
心ときめくお土産物天国。
しかも、羽生結弦さんの姿も。

観光案内所では、輪島塗はもちろんのこと、お菓子や乾物など輪島のお土産物がたくさん販売されていた。
ですが、今回は輪島出張朝市でたくさん買い物をする予定だったので、乾物やお菓子等、特産品はそちらで買うことに。
ここでしか買えないものを、と選んだのは、復興支援グッズのTシャツ。

復興支援グッズじゃなくても即買いしてしまうであろう、このデザインに一目惚れ。
ちなみに夫はマジンガーZのTシャツを購入。
マジンガーZの作者である永井豪さんは、輪島市のご出身。輪島の朝市通りにあった記念館は残念ながら地震による火災で焼失してしまったけれど、市内あちこちで永井豪さんの作品のポスターやイラストを目にした。
夫の故郷・石巻市の人達にとっての石ノ森章太郎さんのように、永井豪さんの作品も、街の人達にとってのヒーローなんだと感じた。
架空のヒーローだからこそ、出来ることがある。
いろんな思いが込み上げて、胸がいっぱいになった。
でも、そんなふうに涙腺が緩みかけた直後、
カレーが目に留まり追加購入。

見つけたら買わざるを得ない
買い物の後、観光案内所の方に、出張輪島朝市の営業状況と営業再開している輪島塗工房を教えていただいた。
今はネットで事前に調べるのが当たり前とはいえ、日々状況が変わることもありえる場所。
こうした観光案内所の存在は大きく、とてもありがたかった。
(2)道の駅内の物産コーナーでの出来事
道の駅輪島には、観光案内所でのお土産物売り場とは別に、輪島の特産品を扱うお店もあった。
入ってみてすぐに、「がんばろう能登」のステッカーが貼られた塩あられを発見。
お値段も、ひとつ数百円とお手頃価格。職場へのお土産はこれにしようとまとめ買い。
他にもあれもこれもと手に取っていると、気付けば両手がいっぱいに。
レジのところにいた女性の店員さんが気付いて、買い物かごを持ってきてくださった。
恐縮しつつ御礼を言うと、「こちらこそ!たくさん、ありがとうございます!」と、笑顔で。その笑顔が嬉しく、地元の珈琲工房のドリップコーヒーや輪島産の岩海苔など次々と買い物かごへ。
レジに持っていくと、ちょうど夫もお土産用の品々のお会計をしているところだった。
どちらから?と訊ねられて宮城県からと答えると、とても驚かれ、そして喜ばれた。
「宮城からも、いろんな方が来てくださって、支援していただいて・・・」
とのお店の方の言葉に、
「お互い様ですから」
と、夫。
東日本大震災での被災のことを他人に話すことは稀な夫なのだが、この日は違った。
石巻の実家を津波で失ったこと、でも今は新たな家を建てて暮らしていることを話した後、
「大丈夫です。絶対、復興しますよ。すっかり元通りにはならないですけど、ちゃんと、復興しますから。」
夫は、そう言い切った。
普段は静かな口調の夫には珍しく、力強い言葉だった。
「私達と同じ経験をされた方って、言葉が、優しいんですよね。」
お店の方は、そう言って、夫に能登半島地震後の出来事を話してくださった。
それは、能登半島地震の後、様々な決断を迫られていた時期に、東日本大震災で被災した地域で暮らすご友人のもとを訪れた際のことだった。
プライベートなお話なので、会話の詳細をここに書くことは控えたい。
けれど、その時、ご友人もまた、今回、夫が口にしたのと同じような言葉をくれたのだという。
時間は戻らないし、何もかもがすっかり元通りにはならない。
その辛さや悲しさを知っているからこそ、「それでも、大丈夫」と言い切ることが出来るのかもしれない。
それは、あの震災を体験していない私には、言えない言葉だった。
だからこそ、夫とお店の人との会話が胸にしみた。
「また来ますね!」
「はい!また是非!」
夫婦で御礼を言って、お店を後に。
この時点でもう、輪島再訪確定。
夫と二人、ここに必ずまた来ようと決めた。
2.出張輪島朝市
道の駅輪島から車を走らせること数分。
「出張輪島朝市」は、ワイプラザ輪島店という商業施設の1階で開催されていた。先に訪れた観光案内所で「飲食店は無いけれど、買ったお惣菜などをその場で食べることの出来るフードコートはあります」とお伺いしていたので、遅い朝食をここで取ることに。
広い駐車場に車を停めて店内に入ると、「出張輪島朝市」のオレンジ色の幟がすぐに目に入った。


敷地面積的には、デパートでよく開催される「大〇〇展」的なスペース。
被災前の輪島朝市をご存知の方々にとっては、これでも少ない出店数かもしれない。けれど、初めて訪れる我々にとっては、輪島の特産品を「安いよ!」「美味しいよ!」と地元の方々がにぎやかに販売している光景を見られるだけで、もうすでに大感激。
ひとまず、全体をぐるりと回ってチェック。
そして、庶民に出来る範囲で最大限の爆買いスタート。
なお、ここからのお店の人の描写は、すべて懐かしの「みのもんたさん風」表現で統一させていただきます。
(1)日本酒
「能登のお酒だよー!」との元気なお嬢さんの声のするほうを見ると、仙台市内の酒店で買い求めたことのある「能登の酒を止めるな」シリーズのお酒が。
まず最初に吸い寄せられたのがこちら。一番重たいものを一番最初に買ってしまうのが我々酒好き夫婦である。
「これ、仙台でも売ってて飲んだんですよ。美味しかったです!」
お会計しながら夫が言うと、「仙台でも?!え?仙台から来たの?!」とお店のお嬢さんに驚かれた。
「これ、ここのお酒なの!輪島の!美味しいから!」
訛りは東北とは違うはずなのに、元気な口調と笑顔が石巻の義母そっくり。港町の女性が元気で明るいのは全国共通なんだろうか。買い物しているだけで、元気のお裾分けをいただいた気がした。
(2)輪島塗の箸置きと草履
輪島塗といえば高級品のイメージだったけれど、輪島朝市では、お土産に手ごろな価格帯のお箸や箸置きなどを販売しているお店もあった。
金箔等の飾りが無いとはいえ、漆塗りにしてはありえないお買い得価格。
後で輪島塗の工房にも行く予定ではあったけれど、あまりの安さにここでも購入。
「それ、可愛いでしょう?手作りなの!」
お店のお嬢さんにニッコリ笑顔でおススメされて、箸置きに加えて手作りの草鞋の飾りも買い求めた。

こういう手作りの民芸品大好き
(3)乾物(ホタルいかとかタコわさかまぼことか)
輪島といえば、海の幸。先ほどの道の駅でもすでに岩海苔を買っていたのだけれど、こちらでは名物のホタルいかの珍味を購入。
ホタルいかだけのつもりだったのだが、夫の視線がその横に並んでいた「タコわさかまぼこ」に向けられている。
「これも美味しいんだよぉ!試食どうぞ!」
と、こちらも元気なお嬢さんが手に乗せてくれたのは、試食というレベルではない手のひらいっぱいのタコわさかまぼこ。
これだけで日本酒一合イケる量。
車で来ていることを悔やみつつ、むしゃむしゃっと口に入れれば、
「うんまぁぁぁぁぁ~い!」
「でしょう?美味しいの!」
「これもください!」
結果、両方購入。
とはいえ、お値段は市価より圧倒的に安かった。良い買い物が出来た。

(4)珠州焼
ここまでで、お土産物関係のお買い物はほぼクリア。
あとは、朝食用のパンを買うだけだったのだが、まさかここで買えるとは思っていなかったものを見つけて衝動買い。
それが、珠洲焼(すずやき)。
珠洲焼は、古墳時代中期の須恵器(すえき)の流れを汲んだ焼き物と言われている焼き物。平安時代末期から室町時代後期にかけて珠洲市を中心とした能登半島で生産されていたのですが、何故かその生産は途絶えてしまい、復活したのは近年とのこと。
実のところ、私にとっては、能登半島地震をきっかけに様々な特産品を調べていた中で初めて知った焼き物だったのだけれど、古代史好きにはたまらない由来とその落ち着いた質感との両方が魅力的で、いつか手に入れられたらと思っていた焼き物だった。
「朝市で珠洲焼を扱ってるのは、うちだけです。」
こちらの店員さんは、お嬢さんではなく、若い男性だった。
二十代?いや、もしかしたら、十代だろうか。
「おじいちゃんが珠洲焼を作っていて、(地震の後)もう止めようって言ってたんです。けど、おじいちゃんがせっかく作ってきたものを失くしたくなくて、僕が続けることにしたんです。」
はきはきとした、力強い口調。
もともと興味があった上に、そんな話を聞いたら、買わずにいられるはずも無い。
素敵な器がたくさんあった中、私が一目惚れしたのは、大きめの片口だった。
水やお酒を注ぐ本来の使い方だけでなく、煮物やサラダなどを盛りつける器としても使えそうな手頃な大きさ。注ぎ口のやわらかい曲線が美しく、何より、釉薬なしに鈍く光るその土とも鉄ともつかない独特の質感が、たまらなく魅力的。
まずこちらの片口を買うことにし、他の品々も見てみる。器の他に置き物などもたくさん並べられていたのだけれど、そんな中で目に留まったのは、お守り袋と小さなお地蔵様のセットだった。
「そのお地蔵様は、地震の前に作ったやつです。坂本冬美さんも、たくさん買って行ってくれました。」
「坂本冬美さん?!・・・あ!そうか!紅白!」
「はい、紅白の時、大晦日の前の日からいらしてて、こちらに来てくださったんです。」
そう言って嬉しそうに指差してくれたのは、お店の暖簾。
そこには、美しく達筆な文字で「能登はいらんかいね」の言葉とともに、坂本冬美さんのサインがあった。
見れば、我々宮城県民にはお馴染みのサンド伊達さんのサインをはじめ、どのお店の暖簾にも、芸能人のサインがたくさん。
テレビに映っていてもいなくても、能登に足を運んでいる人がたくさんいる。
一般人の我々ではあるけれど、そんな「能登に実際に足を運んで、買い物を楽しんだ人」の仲間入りが出来たことが、嬉しかった。
先ほどの片口とともに、お地蔵様も、義母へのお土産に購入。「坂本冬美さんとお揃いですよ!」と伝えたら、喜んでくれるに違いない。
良い買い物が出来た。
(5)イカの塩辛パンに感激し、焼きそばパンで超満腹に
車中でおやつとコーヒーは口にしていたものの、朝食抜きで金沢から輪島に来た我々夫婦。さすがに腹ぺこだったので、ここで朝食にした。
買ったのは、出張輪島朝市の「ニューフルカワ」さんのパン。こちらは地元の方からも美味しくてボリュームが凄いと情報をいただいたパン屋さん。
私は焼きそばパン、夫はイカの塩辛パンで朝食。

ボリュームたっぷり!
赤いウインナーとゆで卵も嬉しく、濃い目の味付けの焼きそばが最高!

今度は洋菓子も食べてみたい

(写真を撮る前に完食してしまったのでパッケージのみ)
どちらも美味しかったのだけれど、イカの塩辛パンが想像の数十倍美味しくてビックリ!
軽く火が通ったイカの塩辛とチーズがたっぷり入っているのだけれど、イカとチーズの相性が抜群。塩辛がアンチョビのような味わいになって、高級なピザを食べているような味わいなのだ。
ほんのり甘いパンもそれ自体が美味しく、このパン屋さんが近所にあったら毎週通いたいと思ってしまうくらい大満足の朝食になった。
3.輪島塗工房「山元清巧堂」へ
出張輪島朝市でお買い物と朝食を楽しんだ後は、先ほど観光協会で教えていただいた輪島塗のお店へ向かった。
現在、輪島市内で再開されている輪島塗工房の中で、観光案内所からほど近く見学も可能な工房としてご紹介されたのが、今回訪れた「山元清巧堂」さんだった。

工房と併設の店舗は省スペースながら、工房側へと続く廊下にはたくさんの作品が展示されていて、ちょっとした博物館のような趣。
そう、「商品」というより「作品」と呼びたくなる品々がたくさん。
これだけの技術を集めた作品であれば当然そうだろう、というお値段設定ではあったのだけれど、今回、7月生まれの私の誕生祝いに、と夫が夫婦箸を買ってくれた。
鉄線の花が施された美しいもの。
大切な日に使いたいと思う。
帰り際、お店の方とも少しお話し出来て、嬉しかった。
4.石川県輪島漆芸美術館が凄かった
今回、輪島朝市とともに、夫婦で必ず行こうと決めていたもうひとつの場所が、石川県輪島漆芸美術館だった。

こちらの博物館の名物ともなっている、直径1メートルの輪島塗大型地球儀「夜の地球 Earth at Night」は、現在開催中の大阪・関西万博に貸し出し中ということは知っていた。
けれど、あの地球儀以外にもたくさんの輪島塗の作品が展示されているとのこと。せっかく輪島を訪れるなら、ここを見ない理由は無い。
初めて訪れた輪島漆芸美術館には、駐車場の横に、仮設の新たな輪島塗工房も出来ていた。
そして、
「しーちゃん!上!上!」
入り口へと歩いている時、夫が叫んだ。
「なんかいる!」
・・・いた。

輪島市のキャラクター「わんじま」
表情が無いがゆえのインパクトが凄い。
入る前から和んでしまったが、中に入ると、まずグランドピアノに圧倒される。

このグランドピアノを見られただけでも来た価値があるのだけれど、各展示室の作品も素晴らしかった。
もちろん、展示されているのは芸術作品だけでなく、輪島塗の工程を詳細に紹介するコーナーも。
ひとつの器が誕生するまでにどれほどの手間がかかっているのかをあらためて知ると、先ほど見て来た輪島塗の価格にも納得。いや、むしろ安すぎるのでは、と思うほど。
次は輪島塗の器を買いにこようねと夫と話しながら、展示コーナーをゆっくりと見学させていただいた。
その後、先ほど2階にもいらしたキャラクターの「わんじま」くんの特別展も見学。
ミュージアムショップで、わんじまくんグッズも購入。

ここも、再訪確定。次は、万博終了後に地球儀を見に来たいと思う。
5.能登空港(のと里山空港)の道の駅
輪島漆芸美術館の見学を終えた時点で、まだお昼前。
この日の宿は前夜と同じく金沢市内のビジネスホテルだったのだが、「これは、能登町に寄っても夕方までに金沢に戻れるのでは?」と、夫婦で意見が一致。
急遽、能登町に向かうことにした。
その途中、食事に立ち寄ったのが、「のと里山空港」。
こちらは道の駅も兼ねており、空港利用者以外でも無料で駐車場を利用することが出来る上、建物内のお土産物コーナーやレストランも充実していた。




ちなみに夫は岩海苔うどんをオーダー こちらも美味しかったとのこと

空港ロビーの大型ビジョンでは、能登半島地震からこれまでの復興の歩みを伝える映像も見ることが出来た。
以前、仙台空港で見た東日本大震災からの復興の歩みを伝える映像と重なるところもあった。けれど、地震によって地形そのものが変化してしまった上に、復旧をすすめる途中で豪雨災害に襲われてしまったという、今回の能登の災害の特殊性をあらためて認識することにもなった。
こういう映像を全国ニュースで流してくれたらいいのに、と思った。
災害を政争の具にする報道ではなく、現状を正しく伝える報道が増えて欲しい。
あらためて、そんなことを感じた。

6.能登町「イカの駅つくもーる」のイカキング
国道249号を1時間ほど走り、能登半島の内湾側にある町・能登町へ入ったのは午後2時頃だった。
「そろそろかなぁ?」
「看板見えてきた。もうすぐだ・・・あっ!」
「いた?」
「いた!見える!」
「あっ!いたぁぁぁぁっ!!!」
車中で歓喜する夫婦。
お目当ては、こちらである。

「イカの駅つくモール」の愛称で知られる能登町の観光物産施設「のと九十九湾観光交流センター」は、九十九湾沿いにあった。
広い建物の中には観光案内所と物産館、飲食ブースが入っており、この日も家族連れや観光客の姿があった。


イカ釣り漁船がたくさん!


位置関係が分かりやすくて嬉しい

「おいしく食べてよ、人間くん。」のキャッチコピーが素敵
観光振興に加えて地元漁師を励そうとの願いも込めて、能登町のこの地に巨大なイカのモニュメントが設置されたのは、2021年3月。
税金の無駄遣いだとの批判もあったけれど、大きな話題となったことで全国各地から観光客も集まり、何よりも遊具として地元の子供たちに親しまれるようになった「イカキング」。
さらに、昨年の能登半島地震の際には、津波を受けながらも目立った被害が無かったこともあり、今では復興のシンボルともなっている。
ニュース等では度々目にしていたが、リアルに目の前で見ると、そのインパクトは強烈。
本当にデカい。まさに、イカキング。

ここで白状してしまうけれど、このイカキングが「(新型コロナウイルス感染症対応の)臨時交付金の目的とは違う」、「税金の無駄だ」等々メディアで大々的に批判されていた時は、私もどちらかといえば、批判する側に賛同していた気がする。
けれど、その土地で暮らす人の思いを、事情を知らない外野が語ることほど愚かしいことはない。
まして、メディアの受け売りでしかない知識で批判するなんて、地元の方々に対してあまりに失礼だ。
当時のことを、今は深く反省している。
今回、実際に足を運び、津波を乗り越えたイカキングを目の前にして、ここに来られた嬉しさと申し訳なさとで、ちょっと泣きそうになった。
でも、
泣きそうになったすぐ後で、涙を忘れて笑顔でアホ写真を夫に撮らせる妻54歳。



遊んでいる人の中に大人はいませんでした(^^;
こちらでも、職場へのお土産物や自宅用のおやつなど購入。
そして、ソフトクリームでひと休み。

夫がイカスミソフト
このソフトクリームがまた美味しかった!
牛乳そのものの美味しさを味わえるミルクソフト。さっぱりとした美味しさのイカスミソフト。どちらも美味しく、さらにワッフルコーンの美味しさも加わり大満足。
能登町、行って良かった。
まだまだ見たいもの・行きたい場所はたくさんあったけれど、今回の能登半島旅はここで終了。
この日も前日と同じく金沢宿泊だったので、国道249号とのと里山海道を抜け、約2時間半かけて金沢に戻った。
途中に立ち寄った道の駅に鮮魚コーナーがあり、ホテルでの晩酌用にお刺身を購入。
さらに、お惣菜コーナーで魚の煮付を見つけて購入。
結果、その日の部屋飲みは、ちょっとした居酒屋レベルの豪華さとなった。




海の幸との相性抜群
ちなみにミニサイズのお醤油もお刺身と一緒に買ってきました
能登半島、旅人に至れり尽くせりでホント嬉しい
おわりに~能登と石巻~
こうして振り返っても、今回の能登半島の旅は、本当に嬉しいこと・楽しいことの連続だった。
金沢からの日帰りという短時間でもこんなに楽しかったのだから、能登で2、3泊出来たなら、もっと楽しかっただろうと思う。
今回は通過するだけになってしまった七尾市や穴水町、行くことが出来なかった珠洲市にも、いつか必ず行こうとの思いを新たにした。
その一方で、自分自身で訪れたからこそ初めて知った、厳しい現状もあった。
ここまで、敢えて楽しいことだけ書いてきたけれど、辛い景色も、たくさん目にした。
被害の大きかった国道249号では、いまだに多くの段差もあれば、片側交互通行というよりもこれは車1台通るのもギリギリでは、という箇所も、いくつかあった。
対面通行可能となっている「のと里山海道」でも、路面が波打ったようにうねっている場所があった。
何より、のと里山海道を金沢方面から輪島市方面へと走っている時、七尾市や穴水町に差し掛かったところで見た景色を、言葉で表現するのは難しい。
道路の片側が、ぱっくりと消えた道。
くにゃりと曲がって、落ちたその先が全く見えないガードレール。
そこにあったのは、「崩落(崩れ落ちた)」というよりも、山そのものが「割れて落ちた」というような状況だった。
そんな状況を目の当たりにして、今回の災害の特殊性を再認識した。
輪島の道の駅の物産コーナーで出会った方は、私達が金沢からのと里山海道を通ってきたと言うと、
「じゃあ、穴水とか七尾のところ、ご覧になられたんですね。」
と、本当に辛そうな表情を見せた。
「こちら側(輪島市を含む、能登半島の日本海側)は、土地が隆起したから、まだマシだったんです。津波の被害も無くて。でも、内湾側の七尾や穴水は、津波もあって、まだ本当に大変で・・・」
その言葉に、石巻の義母や親族がよく口にする言葉が重なった。
うちは、まだマシなほうだから。
それは、宮城に移住してきてから、これまでに何度も何度も聞いてきた言葉だった。
家は無くなったけれど、命が助かったから。
助からなかったけど、見つかったから。
まだマシなほうだから、の比較対象は、そんな、あまりにも酷い現実ばかりだった。
でも
輪島市だって、本当に本当に、大変なのだ。
街中では、崩れた家をいくつも目にした。
まだ通行止めのままの小さな橋もあった。
通行可能な橋の歩道には、仮設の水道本管が設置されていた。その復旧作業に携わっていたはずの顔見知りの水道局の職員さんの顔が浮かんで、危うく涙腺が緩みそうにもなった。
やっと、水道が戻った。
やっと、道路が通れるようになった。
けれど、もとの暮らしには、まだ程遠い状況のはずなのだ。
それでも、自分よりも辛い人たちがいる、と、他の誰かを思いやる。
それが、能登の人達なのだろう。
日本海側と、太平洋側。
遠く離れていても、能登と石巻は、似ていると思った。
「能登の復興が進んでいない」とは、全く思わなかった。
現地を見て心に沸き上がったのは、むしろ「この状況で、よくぞここまで復旧させた」との驚きと、畏敬の念だった。
そして、何よりも強く印象に残ったのは、能登の人達の優しさと、明るさだった。
今も復旧にあたられている方々に、心から敬意と感謝を。
忘れてませんよ、能登。
忘れませんよ、これからも。
お会いしたすべての方々、ありがとうございました。
能登、また行きます。
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