オデッセイではないけれど

自動車税が今年から高くなった。
納税額の変更については昨年の納税通知書にすでに記載されていたので覚悟しており、金額も把握していたのでショックは無かったが、金額変更後の納税通知書を目にした際にはこの車を購入してからもうそんなに経ったのかとやや感傷的な思いが湧いてきた
2009年の暮れに新車で購入した愛車のホンダライフは、10年ほど前の北海道内での転勤と2年前の宮城県移住で2度ナンバーを変え、今は3枚目のナンバープレートを掲げながら毎日の通勤や買い物の際の大切な相棒となっている。
現在は通勤での利用が主だが、北海道在住時はオホーツク海側の街から実家のある街まで片道300キロ近い距離をこの車で頻繁に往復していた。宮城移住後も、長距離移動の際にはパンデミックを考慮して公共交通機関より車を使う機会が圧倒的に多かった。
結果、現在の走行距離は約12万キロに達している。
10万キロを超えた際にタイミングベルトは交換済である。しかし塗装の小さな剥がれや傷は車体のあちらこちらに見られるし、最近ではつぎはぎのアスファルト路面の段差を走行する際のクッションの振動が以前より大きくなっているのを感じている。
車の買い替え時期の相場は7~8年らしい。ネットで中古車市場の相場を検索しても、10年を超えた車は買取価格が大幅に下がっているのが分かる。
走行距離を考えても、そろそろ買い替えた方が良いのだろう。そう思い、昨年5月に今年からの納税変更に気付いて以降、ずっと買い替えを考えている。
なのに、検討ばかりでさっぱり先に進まない。
安くない買い物だから時間をかけて検討しなければ。そう思っているのはもちろんなのだが、それだけではない。どこかで、自分自身に堂々巡りを強いている。そう自覚してもいる。
正直に言えば、買い替えたくないのだ。
すでに中古車としての価値すら無くなりつつあるのを頭では理解しつつも、今、私の目の前にある車は愛着ある初めての新車なのだ。どんなに細かな傷があろうとも、そこにはこの車で出かけたたくさんの場所の思い出や乗せた人の記憶も詰まっている。
いっそどこか故障でもして乗れなくなったら諦めもつくのだろうが、購入以来、故障させてなるものかとオイル交換の際にはエレメントも必ず交換し半年ごとの点検も欠かさぬよう心掛けてきたおかげで、今日も愛車は特に故障の気配を感じさせぬまま私の足であり続けている。
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北海道にいた頃、ライブハウスには車を運転して行くことが多かった。
自分自身が出演する際はギターや電子ピアノを運ぶためにやむを得ないところもあったが、観客として行く時でも車で出かけることが多かったのは経済的な理由が大きかった。車で行けば、必然的に飲酒が出来ない。1杯500円のビールでも、飲み始めてしまえば1杯で終わるはずもなく、ツマミなど頼んでしまえば数千円になる。ならば、車で行ったほうが駐車場代を考慮しても安上がりである。特に、年に数回しか北海道に来ないプロミュージシャンのライブを見に行く時などは、その場でしか買えないCDの購入に散財するのがはじめから分かっているので、とてもじゃないが飲み代まで出す余裕は無かった。
そんなふうに車で出かけた好きなミュージシャンのライブで、思いがけず、大好きなミュージシャンを宿泊先まで車で送ったことがある。
2012年7月のこと。
そのライブハウスは、日頃はアマチュアミュージシャンのジョイントライブをほぼ毎日開催している場所で、私も月に何度かその店でのライブに出演していた。そして、全国各地の小規模ライブハウスをツアーでまわっているメジャーシーンのミュージシャンも年に何度かそこにライブに訪れていて、その日のライブはそんな有名ミュージシャンのソロライブだった。
ここでは、名前を伏せて、Mさんとさせていただく。
私がMさんの音楽と出会ったのは2000年。大阪での大きなフェスで見たステージだった。それ以来、地元のライブハウスでライブが開催される際には度々足を運んでいた。
その日のライブも、素晴らしかった。前年にも同じ場所でライブを見ていたのだが、その時の激しさや鋭さ、迫力はそのままなのに、ステージからの空気がどこか柔らかく感じられた。有名曲のひりひりとするような言葉にさえも、鋭さだけでない温かさが含まれているように感じられて、緊張感とリラックスした空気とが大理石柄のように混じり合っていたように思う。
そんなライブの終演後、帰ろうとすると、店のマスターから声をかけられた。
Mさんを、宿まで送ってあげて欲しい、という。
本当はマスターが送迎する予定だったのだが、遅くまで飲みたいという客が多く、急遽営業時間を延長しなければならなくなってしまったという。自分につき合わせてMさんを遅くまでここで待たせるのも申し訳ないので、先に送ってあげてもらえないだろうか。マスターから、そうお願いされた。
Mさんがお酒を全く飲まない人であることを、私はこの時初めて知った。
当時の私はまだ地下鉄で通勤しており車を運転するのは実家に帰る時と馴染みの場所に出かける時だけだった。市内の交通事情に詳しくもなく運転に自信があるほうでもなかったので初めはその依頼に躊躇したのだが、宿泊先を聞けば、ライブハウスから車で10分ほどの分かりやすい場所にあるビジネスホテルだった。ちょうど自宅へ帰る途中の場所だったこともあり、安心した私は快諾して近くの駐車場に車を取りに向かった。
しかし、駐車場から車を出し、ライブハウス前に戻ってきた時、ふと不安がよぎった。
何を話せば良いのだろう、と。
Mさんのファンの多くがかつてバンドで活動していた頃からの熱心な古参客であるのに対し、私はソロ活動になってからのMさんしか知らなかった。その音楽を10年ほど愛聴してはいたものの、ファンといってもおっかけをするほど熱狂的でもなく、その時点では直接話したことも過去のライブ終演後にCDにサインをいただく際に一言二言お話ししたことがあったかどうか。
そんな私ごときが、Mさんを隣に乗せて良いのだろうか。
急に不安になってライブハウスのドアの前でうろたえていると、ドアが開いてマスターとMさんが出てきた。
Mさんは、店に残る多くのファンに笑顔で手を振った後、「ありがとねぇ」と言って後部座席にギターと荷物を手際よく積み込み、助手席に座った。
*********
緊張しすぎて何を話したかほとんど覚えていないその日の会話の中で、それでも、はっきりと覚えていることがある。
それは、その日のライブを振り返る会話の中で、Mさんが小さく、呟くように口にした「震災の後は、お客さん増えたなぁ。」という言葉だった。
続けて、
「増えちゃったんですよ」
と、深く息を吐きながらそう付け加えた時のMさんの表情は、笑顔では無かった。
Mさんの故郷は、福島県だった。
前を見て運転していたので、真正面からの表情は分からない。
でも、あの横顔は、忘れない。
険しくもなく、寂しげでもなく、けれど、決して笑顔ではなく。
あの時のMさんの表情を伝える言葉を、私はいまだに持っていない。
ホテル前に着くと、Mさんは「ありがとね!またね!」と笑顔で言って、車を降りていった。
「お疲れ様でしたっ!こちらこそ、ありがとうございますっっ!!」
そう元気に答えて車を再び走らせ始めてからあらためて、憧れのミュージシャンと二人きりで会話したのだという感激が込み上げて来た。
しかし、先述のとおり会話の具体的な内容を断片的にしか覚えていないのが悔やまれる。
真冬の凍結路面や大雪のでこぼこ算盤路面、あるいは雨天の高速道路等、緊張しながら運転した経験はいくつもあるが、生涯で一番緊張しながら運転したのは、あの夜、私の車の助手席にMさんが座ってからの10分間だった気がする。
その後も私はMさんのライブに何度か足を運び、時には宿泊先までお送りすることがあった。しかし、私が遠くの街に転居してからは、そのライブハウスやMさんのライブに足を運ぶことも無くなってしまった。後になって、私がその街を離れた少し後にMさんが難病でライブ活動を休止されたことを知った。Mさんは、一時は回復されて活動を再開したものの、今度はガンに侵され、闘病の末、2019年の春に帰らぬ人となった。
あの時の言葉の裏にあった思いを、Mさんに聞くことは、もう出来ない。
私のライフの助手席にMさんが乗ることは、もう、無い。
*********
北海道から宮城に移住した年の夏、山形県の米沢でライブをさせていただく機会があった。
ライブを終え米沢に宿泊した翌日、宮城に戻るには内陸側を通った方が近いのは分かっていたのだが、福島経由でぐるりと大きく回り道をして、浜通り側を通って帰ることにした。
まっすぐ帰れば2時間少々で着くところをたっぷり半日かけて走ったのだから、寄り道あるいは回り道というレベルの距離では無い。北海道から移住してきてまだ間もなく慣れない道ばかりの自分には無謀なことと思いながらも、そんな冷静な判断よりも、どうしてもこの車で走りたいという思いが上回った。
良く晴れた日だった。Mさんの故郷の二本松市を抜け、楢葉町、富岡町、そしてMさんが歌にしていた浪江町を通って宮城へと向かいながら、あの日の助手席のMさんの表情を思い出していた。
国道6号線沿いにはまだ立ち入りを制限するバリケードが残っている場所もあった。けれど、その数年前に同じ場所を通った時とは違う景色があった。新しい商業施設や人の賑わいがそこにはあった。
休憩にいくつかの道の駅に車を停めると、どこも駐車場には福島県内だけでなく他県のナンバーの車も多く停まっているのが分かった。中に入れば地元でとれた新鮮な野菜や海の幸が並んでいて、それを求めに来ている多くの人の姿もあった。
Mさんに、今のこの景色を見て欲しかった、と、そう思いかけたのだが、それがあまりに傲慢で不遜な思いだと気付いて自分を恥じた。
「○○が生きていたら、必ずこうしただろう」
「○○ならきっとこう言うに違いない」
そんなふうに故人を都合よく利用する人々に、私はうんざりしていたのでは無かったか。
感傷的になりすぎて危うく同じ轍を踏みそうになっている自分に気付き、私は再び車を走らせた。
福島から宮城へと向かう国道の右手には、相馬の海が見えた。
思いを確かめることは、もう出来ない。
ならば、推測も詮索もせず、ただ、ずっと忘れずにいよう。
どこまでも広くてきれいな相馬の海を右手に見ながら、私は、そう思った。
*********
ドライブが趣味と言えるほどの運転技術も無く、車好きと言うには車の知識に疎くメンテナンスも整備士の方々に任せっきりでしかないのを自覚している私だが、それでも自分の車を大切に思い丁寧に扱い続けていられるのは、たくさんの思い出のおかげかもしれない。
車を乱暴に扱うことは、これまでの思い出を乱暴に扱うこと。
そう思うと、ハンドルを握る手に自然と力が入るような気がする。
思い出だけでは辛すぎる、という歌が昔あった。それは確かにそうなのだろうが、ひとにぎりの思い出のおかげで生きていけることもあるのではないだろうか。思い出を振り返る日々の積み重ねが新しい思い出になるのなら、それはそれで幸せなことだと私は思う。
思い出のたくさん詰まった車で、私は今日も仕事に向かい、家路をたどり、新しい思い出を増やしながら暮らしている。
その相棒である車の名前が「ライフ」というのも、私がこの車を手放せずにいる理由のひとつなのかもしれない。

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