クラシック由来のメロディ
子どもの保育園の発表会。
面白かったのは『グーチョキパーでなにつくろう』。
これは手遊び歌で、
右手はパーで左手もパーで蝶々
右手はグーで左手はチョキでカタツムリ 右手はグーで左手はグーでドラえもん
と、いろいろとバリエーションがあって楽しい。わが子どもも歌っていた。
そう言えば、この歌はマーラーの交響曲「巨人」のフレーズに似ている。交響曲の替え歌かなと首を傾げる。小さな子どもがマーラーの巨人を歌っているぞ。将来が恐ろしいと思ったものだ。
ポピュラーな音楽がクラシック音楽のメロディに似ているということはしばしば経験する。
①クラシックを原曲としたことを明言したものもあるし、②さりげなく使っているのもある。なかには、③たまたま似たように思える曲になったというのもあるだろう。
昔、ザ・ピーナッツが歌った『情熱の花』(1959)は、『エリーゼのために』を原曲としている。調べれば、1957年のアメリカのグループ、ザ・フラタニティ・ブラザーズの『Passion Flower』(ベートーヴェン作曲、編曲歌)がもとで、フランスではカサリーナ・ヴァレンテが『Tout L'Amour』(1959)として歌った。
ザ・フォーク・クルセダーズの『水虫の唄』は、さりげなくイントロにベートーヴェンの田園第1楽章を入れている。サビの「せつなくうずく水虫は」のところは、メンデルスゾーンの『春の歌』を思わせる。楽譜で確かめたくなった。
田園と水虫の唄のイントロはこれ。確かに同じだ。

♪せつなくうずく水虫は~のところはこんな感じ。調を同じにしてみてみると確かに似ている。これは『春の歌』の発展的活用だなと感心する。つまり、主従の関係を崩さずに、クラシックの名曲をさりげなく?入れている。

クラシックを活用したのか、たまたま似てしまったのか、素人には分からない例も多い。1オクターブ12音の組み合わせだし、和音はさらに数限りがある。たくさんある曲、似ていても不思議ではない。
その例1、『老人と子供のポルカ』の「やめてけれ やめてけれ」と歌うところと『セビリアの理髪師』序曲がどうも似ている。
その例2、早稲田大学の応援歌『紺碧の空』の「こんぺきのそら」と歌う所とシューベールの交響曲第8番(ザ・グレート)の第1楽章の出だしでホルンが奏でるメロディが似ている。楽譜で見てみる。やはり似ている。

似ていると思ったら、シューベルト交響曲第8番を聞くたびに、「こんぺきの〜そら」という歌詞が浮かび上がってきてしまう。
では、さっきの『グーチョキパーでなにつくろう』と『マーラー交響曲1番巨人』第3楽章の相似性は?

マーラーの方は短調で奏でられるので、印象は違うが、やはり似ている。交響曲から日本の童謡に、はてどうなっているのだろう。
『グーチョキパーでなにつくろう』のメロディは、世界中に広まっていて、フランス語『フレール・ジャック』(Frère Jacques)、英語の『アーユースリーピング』(Are you sleeping?)などがある。起源はヨーロッパの民謡らしい(フランス語『フレール・ジャック』だと言い切れるか自信なし)。マーラーが取り入れたようだ。
『クラリネットをこわしちゃった』という楽しい童謡の中で、「とってもだいじにしてたのに こわれてでない音がある」の部分が、どうもハイドンの弦楽四重奏曲 第17番「セレナーデ」 第2楽章に似ている気がしていた。今、楽譜を見るとほとんど同じだ。

『クラリネットをこわしちゃった』の原曲は、フランスの童謡『J'ai perdu le do de ma clarinette』(クラリネットのドが出ない)で、後半の「パキャラド パキャラド(Au pas camarade, au pas camarade)」の部分は、フランス第一共和政(1792 - 1804)の軍歌「La chanson de l'oignon(玉ねぎの歌)」であり、かなり古いものだ。
なお、この『セレナーデ』は実際にはロマン・ホフシュテッター(Roman Hoffstetter,1742~1815)による偽作らしい。ハイドンの名前を語った作品ということか。こんな名曲なら、堂々と自分で発表すればよいのにと思うが、どうゆう状況からこうなったのだろうか。ウィキペディアを見るとホフシュテッターはハイドンの信奉者だった。思うに、彼はハイドンを信奉するうちに、ハイドンになりたいの一心で、ついにハイドンの魂がのりうつってしまい、作品までもハイドン風になりきったのだろうか。
ホフシュテッターが作曲した『セレナーデ』、フランスの童謡『J'ai perdu le do de ma clarinette』(クラリネットのドが出ない)、フランス第一共和制の軍歌『玉ねぎの歌』の3つがあるわけだが、どれが先なのだろう。
フランスの童謡『J'ai perdu le do de ma clarinette』には、『セレナーデ』と『玉ねぎの歌』の両方のメロディが入っている。童謡が先か、セレナーデが先か悩ましい。
ドレミのはじまりは、中世イタリア修道院のグイード・ダレッツオ修道士が聖ヨハネ讃歌にドレミをつけたともいわれ、初めはドはUtだった。今でもフランスでは、Utが使われているから、『J'ai perdu le do de ma clarinette』のdoの理由が分からなくなった。なぜUtでないのか。クラリネットは1770年頃に作られたようだ。だからといって『J'ai perdu le do de ma clarinette』が古いとも言えず悩ましい。童謡が先か、セレナーデが先かの詮索はあきらめよう。
他の似ている曲に話を移すと、
古賀政男の『東京ラプソディ』は、ユーチューブで『スペインの花』というマンドリン曲を聴いたら、同じメロディに聞こえた。偶然とはいえない一致度。どうしてか? 秀逸な作曲家なら、一度どこかで耳にした曲が記憶されて、ある日、無意識のうちに蘇り、譜面に落とす、本人はオリジナルと確信している、なんてこともあるかも知れない。
このほかにも、似ている曲はあるだろう。ふと流れてくるメロディに昔聴いた過去のクラシック名曲のフレーズがよみがえって来るのも楽しい。最近は、クラシックの名曲を歌謡曲風にアレンジして歌う例もあるようだ。いろいろなジャンルの音楽が仲良く手を取り合って、わたしたちを楽しませてくれるのはいいことだと思える。
