2年半の週末移住、やめてから分かったこと
田舎の公園で、子どもたちが好きなだけ走り回っている。
虫を追いかけ、草の中に飛び込み、キラキラした顔でこちらを振り返る。
嬉しいはずなのに、私は少し胸が痛みました。
同じ週末、都内の公園はブランコも滑り台も順番待ち。
消毒、マスク、密を気にしながらの遊びに、親子ともどこか疲れ切っていました。
田舎と都内。
同じ「公園で遊ぶ」という時間なのに、子どもの表情がこんなに違うのか——
そう気づいたときが、私たちの2拠点生活の始まりでした。
心地よい場所を求めて、泳ぎ続ける
一つの場所に留まらず、仲間との関係を大切にしながら、状況に応じて進む方向を選び直す。
イルカには、そんなイメージがあります。
私が今回下した決断も、まさにそれでした。
前回の記事で書きましたが、海外移住を本気で考えていました。
でも、いきなり大陸を跨ぐのはハードルが高すぎます。
かといって、都内の家を手放して田舎に完全移住するのも違います。
仕事はフルリモートではないし、実家からも職場からも離れてしまえば、結局子どもと過ごす時間が減るという本末転倒な結果になりかねません。
一箇所に留まる必要はない。
心地良い場所は、複数あってもいい。
ならば「週末だけ」という第二の拠点を選びました。
これは妥協ではなく、イルカ的な戦略だったのだと、今なら思います。
きっかけは、あの数年間
すっかり過去のことのようになっていますが、コロナ禍で外出や人との接触が制限されていた、あの数年間のことです。
私たちの週末移住も、この時期から始まりました。
最初は工夫を凝らして乗り切ろうとしました。
家でうどんを打ち、パンをこね、流しそうめんも回転寿司もおもちゃで自作しました。
時間のかかる工作やレゴに没頭する日々。
政府のキャンペーンを使って、北海道から沖縄まで足を延ばしたこともありました。
けれど、キャンプ場でも温泉でも、大人は我慢できても子どもには窮屈な場面が多々ありました。
そして何より怖かったのは、
「これがスタンダードになってしまうかもしれない」という、先の見えない不安でした。
家族で過ごす時間が一番長いはずの幼少期に、太陽の光を浴びずに家にこもる。
マスク越しの人としか話さない。
集団生活の中でこそ育つ、みんなで何かを成し遂げる喜びや、思い通りにいかない葛藤。
それを経験せずに育つことで、子どもたちがどんな影響を受けるのか、私には想像がつきませんでした。
中止になった運動会は、先生方に相談しながら自分たちで企画し直し、感染対策をしながら実施しました。
ハロウィンもクリスマス会も、園や習い事で中止になった分は、公民館を借りて開催しました。
大人は対策して我慢すればいいのです。
でも、子どもの機会がまるごと消えてしまうことだけは、どうしても受け入れられませんでした。
週末移住先、実際に何を見て決めたか
都道府県をまたぐ移動が緩和されてきた頃、いくつかの候補地を実際に見て回りました。
決め手にしたのは、次のような項目です。
* 分譲ではなく賃貸であること
* 治安の良さ
* シロアリ・カビ・ゴキブリの進行状況
* 果樹がある場合、野生動物が寄ってこないか
* ご近所や町内会の雰囲気
* ゴミの捨て方
* 蛇や熊の出没情報
* 自宅から2時間程度で行けること(いざという時に本気を出せば歩いて行ける)
* 渋滞のひどさ
* 東京が被災したときに頼れるか(地盤の良さ、井戸や水源の近さ)
* スーパーや飲食店へのアクセス
* 近隣の子どもの遊び場の充実度
* 温泉の有無
* 病院の有無
* 退去時に求められるメンテナンス内容
* 大家さんの人柄
「災害時の避難先になり得るか」という項目は、一番大事な視点でした。
楽しむための拠点であると同時に、もしもの時の分散先でもある。
不安が多いからこそ準備し、分散する。
この考え方は、住まい選びにもそのまま表れていました。
住んでみて、良かったこと
実際に暮らし始めてから、想像以上のことがたくさんありました。
新鮮な野菜や美味しい店が、都内とは比べ物にならないほど安い。
町の人たちのやさしさには何度も助けられました。
野菜やジュースをもらい、近所の楽しい場所を教えてもらい、困った時には手を差し伸べてもらいました。
温泉は水質が違い、出てからも2時間は体が温かかったです。
公園も遊園地もほぼ貸し切り状態で、何をするにも並ばなくていい。
野生のキジやモグラに出会う驚きや感動
庭でのサウナ、虫取り、栗拾い、バーベキュー。
友人家族や同僚を呼んでのプチ旅行。
テレビなし、家電に頼らない暮らし。
月と星がきれいすぎて、月が絵のように見える——これは、どの国でも見たことのない景色でした。
そして何より、災害があったときに逃げ場所があるという安心感が、常に心のどこかにありました。
やめた理由も、正直に書いておきます
いいことばかりではありませんでした。
町内会費を払わないとゴミが出せない上、収集日と滞在日が合わないことも多い。
ハチの巣ができれば対策が必要ですし、5月から9月は毎月の草刈りが必須。
素人の草刈り機では追いつかず、外注することもありました。
野生動物への恐怖。
冬場の水道や井戸の凍結。
家賃と光熱費という固定費に加えて、毎週の移動費もかかります。
電波も悪い。
そして一番の決め手は、子どもたちが成長して忙しくなるにつれ、週末の予定がどんどん埋まり、通えなくなっていったことでした。
いまも、備えは残してあります
週末移住をやめてから何年も経ちますが、家族で年に数回は今も訪ねています。
またいつか始められるように。
向こうで使えるように。
そして、東京が被災したときに頼れるように。
安いトランクルームに、生活用品と備蓄を今も置いたままにしています。
やめた、で終わりにはしませんでした。
いつでも戻れる場所を、あえて残してあります。
2拠点生活をやめてみて分かったのは、
2つの場所を持つことより、「必要なら暮らし方を変えられる」と知っていることのほうが大きかった、ということです。
イルカは一つの場所に固執しません。
仲間と過ごしながら、心地よさを求めてまた泳ぎ出します。
2拠点生活も、海外移住も、今回は選びませんでした。
でも、これで終わりと決めたわけではありません。
暮らす場所は、今の家だけじゃない。
東京だけでもない。
日本だけでもない。
家族の状況が変われば、その時にまた考えればいい。
2年半の週末移住で得たのは、田舎の家だけではありませんでした。
暮らす場所を状況に応じて変えられるというノウハウ。
そして、家族で分け合ったあの数年間の記憶。
それらは、この先も色褪せることなく残っていきます。
