自分の感動を重視するということ
自分の感動を重視する。
これは、ただ好きなことをするという意味ではない。
自己満足とも少し違う。
自分が本当に感動しているか。
自分の内側で、確かに何かが震えているか。
その感覚を、作品の最初の判断基準にするということだ。
他人の評価も大事だ。
市場の反応も大事だ。
流通、価格、タイミング、プロモーションももちろん大事だ。
けれど、それらはすべて二番目以降に来るものだと思う。
最初にあるべきなのは、自分がその作品に感動しているかどうか。
自分が感動していないものを、誰かに本気で差し出すことはできない。
自分が心から信じていないものを、世界に問うことはできない。
だから私は、まず自分が感動していることを重視する。
それは、創作における主権だと思う。
主権とは、他人の評価を無視することではない。
誰にも耳を貸さないことでもない。
主権とは、自分の感動を最後まで裏切らないことだ。
「もう十分ではないか」
「ここまでやったのだからいいではないか」
「これ以上やると時間もお金もかかる」
「他の人は気にしないかもしれない」
そういう声は、いつでも外側からも内側からも聞こえてくる。
けれど、その声に従って、自分の感動がまだ届いていない地点で作品を手放してしまったら、そこには言い訳が残る。
作品は言い訳を聞いてくれない。
音も、盤も、ジャケットも、時間も、言い訳を聞いてくれない。
だから、ふとした一瞬でも、私にとっては言い訳のできない瞬間になる。
誰かにとっては、偶然立ち会った数分かもしれない。
何気なく聴いた一曲かもしれない。
けれど私にとっては、そこに至るまでの時間、判断、迷い、やり直し、費やしたお金、身体、生活、すべてが重なっている。
その瞬間に、自分が感動していないものを差し出すことはできない。
私は、自分が感動したものだけを世に問いたい。
それは傲慢ではなく、むしろ作品への責任だと思う。
自分の感動を信じることは、自分だけを見ることではない。
本当に深く感動したものだからこそ、他者にも届く可能性が生まれる。
主権は、失うものではない。
覆われるものだ。
不安、比較、評価、期待、恐れ。
そうしたものに覆われて、自分が本当は何に感動していたのかが見えなくなる。
だから毎日、身体を動かし、耳を澄ませ、作品を聴き直し、自分の感覚を確認する。
自分は本当にこれに感動しているのか。
これは本当に、自分が世界に差し出すべきものなのか。
その問いに、何度でも戻る。
自分の感動を重視すること。
それは、創作における主権であり、人生における主権でもある。
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