「TODAY IS YOUR DAY!」
不思議な夢をみた。
暗い映画館らしきところに、
誰かと2人で座ってスクリーンを観ている。
他に観客はいない。
観ているうちに、ふと気づく。
スクリーンに映し出されている映画。
「これは私の人生だ」
「先程、終えてきたばかりの人生だ」と。
途中まではそれなりに
いろんな色彩をまとっている映画だ。
出逢いや別れ、関わってきた仕事。
いろんな経験と共に、場面が展開する。
でもある時を境に。
急に様変わりしているのに気づく。
イメージは、昔何かで観た映画だろうか。
ズドンとひたすらまっすぐな道だ。
車に乗っている。
周りは360度、見渡す限り、
土ぼこりの大地が広がるだけだ。
ほぼ何もない。
5分走っても、10分走っても
なんなら1時間走っても
まったく同じ風景にしか見えない。
時間の感覚が麻痺してくる。
例えていうなら
そんな風景を彷彿とさせる、
私の人生のある季節が、延々
スクリーンに映し出されている。
「⋯⋯⋯」
私は黙っている。
「⋯⋯⋯」
隣の誰かも黙っている。
語るべきものが、何もスクリーンに
映し出されていないからである。
【消化試合】。
そんな言葉が思い浮かぶ。
居心地が悪い。立つ瀬がない。
隣の誰かの気配が痛い。
何一つ、特別なことが起こらない、
何一つ、観るに値するものが映っていない
「お前の人生」というこの怠惰な映画。
隣の誰かが、それでも律儀に、
スクリーンを観続けている。
観終わるまでが義務、と思っているからか。
✫✫✫
6年程前、親の介護のため、帰郷した。
東京で勤務していた。
父を看取った後、すぐ母の介護が始まった。
半年程前にほぼ私の手を離れ、
ケアすべき範囲が激減した。
一息ついたものの、何もする気が起きない。
自分のどこかに、穴があいたみたいだ。
最低限するべきことだけはする。
親が置いていったシニア猫2匹の
お世話だとか。
母へ毎週の差し入れだとか。
手つかずだった、家の片付けだとか、
そんな日々の暮らしのあれこれを。
そして、それだけだ。
【消化試合】
そうとしか言いようのないような
変わりばえしない風景が、
まだスクリーンに映っている。
「あ、これ」
「このままいくとまずい」
「あちらへ帰った時、こんな退屈な人生を
隣の誰かと延々振り返り続けるはめになる」
と思い至る。
これ、隣の誰かって、いわゆるガイド?
私の「教官」、もしくは「担任」ってやつ?
え、すると、私は「ドジでのろまな亀」?
いや、あちらは精一杯努力されてたでしょ。
一緒にしたら失礼だ。
✫✫✫
「人生時計」というサイトを見つけた。
人の一生を24時間に換算するなら、
自分の人生は今、何時頃?というものだ。
生年月日を入れてみる。
「ただいま15時37分」と出た。
なんだか絶妙に、微妙な時間なような。
夏なら、まだまだこれからだけど、
冬ならもう日が暮れ始める時間?
考えようによっては
もう何を始めるのにも
中途半端な時間だ、と焦りも来るし、
ポジティブにとれば
まだまだ午後のティータイム?
「人生、楽しまなくちゃ。
夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。
脚を伸ばして、のんびりするのさ」
(土屋政雄訳)早川書房
そう言ったのは
カズオ・イシグロの作品
「日の名残り」の終盤で、
老執事スティーブンスが
暮れゆく桟橋で出会った老人だったか。
人生の夕暮れ時を迎えた老執事が
過去に失った機会、
手に入っていたかもしれない愛、
過ぎ去った日々の名残りに涙した時に、
老人が言った言葉だ。
「夕暮れは1日で一番いい時間」
ほんとか?
ほんとだったらいいな。
ほんとであることを切に願う。
ただいま、時刻は
「午後3時37分」。
さあ、これからどうするか。
✫✫✫
父を看取った後、つかの間
東京勤務の頃に暮らしていた横浜に戻り、
大桟橋で風に吹かれていた時。
「書きたい」
「書いて生きていきたい」
そう思った。
何を?何を書くのか?
わからない。まだ何もわからない。
でも書いてみたい。
とにかく何かを書き始めたなら
そこから新しい何かが続いていくかも
しれないじゃないか?
扉を開けようとする時。
まずは
取っ手を握る。取っ手を回す。
扉を開く。
最初に入ってきた景色に目を細める。
そのあたりから、始めたらどうだろうか。
人生で一番美しい時間は
きっと、本当にこれからなのだから。
「TODAY IS YOUR DAY!」
横浜で暮らしていた頃、
新港埠頭近くのビルだったかの
入り口にかかっていたプレートの言葉だ。
「TODAY IS YOUR DAY」
「TODAY IS YOUR DAY」
きっとまだまだ。
きっとまだまだ、これからだ。
