うまくいかない人の悪習慣/うまくいく人の良い習慣の違いとは?
先日、会社の若手から副業のことで話しかけられました。(僕が兼業で仕事をしてうまくいってることが職場の一部の人たちに知れ渡っている…)
話を聞くと彼はメルカリ物販やったり生成AI使ってみたり色々トライ&エラーを繰り返しているようで、特に物販に関してはけっこうガチでやって家にひと部屋倉庫作ったり、外注さんを使ったりしているんだとか。
僕はまったく知識がない分野なので「ほーん、ガッツがあってええやん!」という感じのスタンスで、廊下やトイレで会ったときには「最近は調子どうよ?」と近況を聞いたりいます。
彼が成功するかどうかはさておき、「やっぱりこういう『稼ぎたい』という気持ちが強い貪欲な人の方がそうでない人よりもうまくいく可能性があるよな」ということを改めて思いました。
「欲しい」と強く願わなければ手に入らない
当たり前のようで見落としがちなんだけど、手に入れたいものは「欲しい」と強く願わなければ手に入りません。
たとえば「稼ぎたい」という気持ちが強い貪欲な人はこんな風に考えています。
「とにかく今よりも収入を増やしたい」
「稼げるなら多少のリスクを背負っても構わない」
「なにか良い稼ぎ方がないかしょっちゅう考えてる」
「なんか卑しく見えるな」という人もいるかもしれませんが、実際に欲しいものを手に入れるための方法を考えて実践しているのでこういう人の方が稼げます。
逆にそうでない人というのはこういう考え方の人。
「そこそこ稼げてれば別にいい」
「お金があるに越したことはないけど、リスクは背負いたくない」
「金儲けのことばっかり考えてるなんて卑しいこと」
ごく一般的な人の思考に見えますよね。僕が勤めている会社のほとんどの人はこっちのスタンスです。でも残念ながらこういう考え方の人は給料以上の大金は稼げないんですよね。
なぜなら、この考え方では「リスクを背負ってトライ&エラーを繰り返した先でうまくいくやり方を見つけ出す」というところまで辿り着けないからです。
本当は「もっと給料を増やしたい!」「もっとおこづかいがほしい!」と思っているけど、その一方で「お金儲けのことばかり考えるのは卑しい」とか「どうせ自分にはできない」と思ってしまう人も少なくないと思います。
これは別に稼ぎとかお金にかぎったことではなくて、「欲しいものを手に入れる」「なりたい自分になる」という目標達成までのプロセスにおいては「現状の欠点を受け入れた上で、目標に向かって試行錯誤する」というのが必須であり、それをしていない時点で目標は達成できないことは決まってしまいます。
すっぱい葡萄
イソップ寓話の「すっぱい葡萄(ぶどう)」という話をご存じでしょうか?
お腹を空かせたキツネは、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、どれも木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことはなく、キツネは怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱいに決まっている。こんな不味そうな葡萄なんか誰が食べてやるものか!」と負け惜しみの言葉を吐き捨てると別の食べ物を探しに去っていった。
自分の能力の低さを正当化したり自己防衛のために対象を貶めるルーザーを描いた、子ども向けの人生訓話にしてはすっぱいどころかだいぶエグみの強い寓話です。笑
でもこれってかなり真理というか、今まで生きてきた中でこういうネガティブな感情を抱いてしまったことって誰しもあるんじゃないでしょうか。
たとえば学歴コンプレックスがある人が「東大卒の人はお勉強が得意なだけの頭でっかちじゃないか」と思っていたり、容姿にコンプレックスがある人は「結局ビジュがいい人は親ガチャに成功した恵まれた人間か、整形してるかのどちらかだ」と皮肉を言ったりするのも似た話だと思います。
人間というのは得てして自分には足りないもの(意識/無意識に関わらずコンプレックスに感じていること)に対して、自己防衛のために「そもそも自分にはそんなもの必要ない」というふうに負け惜しみを言ってしまう、というところがあります。
イソップ童話は大昔の古代ギリシャの頃から語り継がれているものなので、こういう感情って時代も国も越えた普遍的なものなんですね。
うまくいかない人がやりがちな悪習慣とは
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