第3話:日本人に生まれたことには、意味があると思う
日本人に生まれてよかった──
そう素直に思えるようになったのは、
きっと最近のことだと思う。
子どものころは、
特別な誇りも違和感もなく、
“それが当たり前”として生きてきた。
でも、スピリチュアルな感性や言葉の響きに敏感である自分に気づき始めた頃、
ふと「これはもしかして、日本人としての何かが関係してるのかも…?」と
感じる瞬間があった。
たとえば、
“空気を読む”という感性。
“行間を読む”という文化。
“和を乱さない”という価値観。
どれも窮屈に感じることもあったけれど、
あるときふと気づいた。
これはすべて、目に見えないものを大切にする感性なんだと。
日本という国は、目に見えないものを信じてきた。
自然の中に神が宿る。
石にも、風にも、火にも、水にも、神がいる。
目に見えない気配に、手を合わせてきた民族。
八百万(やおよろず)の神々とともに生きてきた感性は、
“見えない存在”と“見えない影響”を信じられる心の下地を作ってくれた。
そしてもう一つ。
日本語の美しさ。
「いただきます」
「おつかれさまです」
「よろしくお願いします」
こうした言葉は、単なる挨拶や礼儀ではなく、
“つながり”を大切にする民族の音の習慣だと感じる。
ただ食べ物を食べるだけじゃなく、命に感謝する。
ただ仕事を終えるだけじゃなく、誰かの努力に敬意を払う。
言葉に祈りが宿る日本語は、それだけで“生きた文化”なんだと思う。
私はきっと、この国の感性と響きに守られながら育ってきた。
だから、言葉に反応する。
だから、祈りのように語る。
だから、癒しとしての“音”を信じていられる。
日本人であることは、偶然じゃない。
今はそう信じている。
それは、どこか遠くの神話や伝説の話ではなく、
**日々の言葉やふるまいに宿る、無意識の“祈りの遺伝子”**のこと。
この国に生まれたこと、
この言葉を話していること、
そのどれもが、魂の選択だったのだとしたら──
私たちはみんな、小さな巫女だったのかもしれない。
