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あなたの人生の90%は「建物の中」で起きている

その数字を、知ってほしかった

いまあなたに伝えたいことがあります。

建築士として、ずっと伝えたかったけれど、うまく言葉にできなかったこと。でも「建築士の目で日常を見る」というシリーズを書き続ける中で、ようやく一つの文章にまとまりました。

それは、こういうことです。

あなたは人生の約90%を建物の中で過ごしています。

朝、目が覚める。ベッドの上。建物の中です。朝食を食べる。ダイニング。建物の中です。通勤する。駅。建物の中です。電車。建物と同じ構造体の中です。職場に着く。オフィス。建物の中です。ランチを食べる。レストラン。建物の中です。仕事を終える。また電車。また駅。家に帰る。リビング。寝室。建物の中。

一日のうち、本当の意味で「屋外」にいる時間はどれくらいありますか。通勤の徒歩部分、ほんの数分。昼休みに外に出たとして、十数分。合計しても、一日の5〜10%程度。

残りの90%以上、あなたは建物の中にいます。

この数字を、建築士以外の人はほとんど意識していません。

空間は「空気のように」効いている

90%を過ごす建物の中で、あなたの体と心に何が起きているか。

このシリーズでずっとお話ししてきたことです。

カフェの天井が高いと、思考が広がる。コンビニの照明が明るいと、行動が速くなる。図書館の吸音設計が、あなたを静かにさせる。映画館の暗闇が、感情を増幅する。ホテルの廊下が、日常から非日常へモードを切り替える。

これらはすべて、建物があなたに対してやっていることです。あなたは気づいていません。気づいていないのに、確実に影響を受けている。

空気のようなものです。空気は見えないし、匂いもない。でも空気がなければ生きていけない。空気の質が悪ければ体調を崩す。空間も同じです。見えないし、意識しない。でも空間の質は、あなたの気分、集中力、創造性、人間関係、睡眠の質、そして幸福感に、確実に影響を与えています。

天井の低いオフィスで働いている人は、天井が高いオフィスで働いている人より、創造的な発想が出にくいという研究があります。窓のない部屋で長時間過ごす人は、窓のある部屋の人より、ストレスレベルが高いという研究があります。自然光が入る教室で学ぶ子どもは、蛍光灯だけの教室の子どもより、テストの成績が良いという研究があります。

これらは「気のせい」ではありません。空間が人間に与える影響は、科学的に測定可能なものです。

あなたは空間を「選べる」

ここからが、いま伝えたいことの核心です。

空間はあなたに影響を与えている。でもその影響に無自覚なまま生きている人がほとんどです。無自覚だから、空間を選ぶとき「家賃」「駅からの距離」「築年数」「面積」という数値だけで判断する。

もちろん、それらは大事な条件です。でもそれだけで住まいを選ぶのは、食事を「カロリー」と「価格」だけで選ぶようなものです。栄養価、味、食感、見た目、一緒に食べる人。食事を豊かにする要素は数値では測れないものの中にたくさんある。

住まいも同じです。窓から入る光の質。天井の高さがつくる開放感。壁の素材が生む手触り。周囲の音環境。建物と街の関係。これらは不動産サイトの検索条件には出てこない。でも、あなたがその部屋で毎日を過ごす90%の時間の質を、決定的に左右するものです。

住まいの記事で「内見に行ったら、部屋の真ん中に立ってみてください。何も考えず、ただ立つ。光を感じ、音を聞き、空気を吸う」と書きました。あれは抽象的なアドバイスではなく、極めて実践的な提案です。体が「ここ、いいかも」と言った部屋は、数値に表れない空間の質が高い。体はそれを感じ取る能力を持っているんです。

あなたは、空間を選べます。そして空間を選ぶ基準に「体の感覚」を加えることで、暮らしの質は驚くほど変わります。

今いる場所を「見る」だけで変わること

「そうは言っても、今すぐ引っ越すわけにはいかない」

そう思った方に、もう一つ伝えたいことがあります。

空間を変えなくても、空間の「見え方」を変えるだけで、暮らしは変わります。

たとえば、いま座っている場所から天井を見上げてみてください。天井の色、高さ、照明の種類。たぶん、今まで一度も意識したことがないはずです。でも一度意識すると、その天井の下で過ごす時間の質が少しだけ変わります。

「見えていなかったものが見える」ようになること。それだけで、同じ空間が違う空間になります。

ソフィーがハウルの城を掃除して、窓を開けて、花を飾っただけで城が「住まい」に変わったように。ドラえもんの記事で「のび太の部屋は特別な建築ではない。でもそこにのび太の時間が刻まれている」と書いたように。

あなたの部屋は、あなたが意識を向けた瞬間から変わり始めます。

窓の位置を意識して、カーテンの開け方を変える。それだけで光の入り方が変わり、部屋の印象が変わる。家具の配置を少し動かすだけで、動線が変わり、暮らしのリズムが変わる。照明の色温度を変えるだけで、夜の過ごし方が変わる。

大掛かりなリフォームは必要ありません。空間を「意識する」こと。それ自体が、暮らしを変える最初の一歩です。

「なんとなく」の正体を知ること

このシリーズでずっと書いてきたのは、「なんとなく」の正体です。

なんとなく居心地がいい。なんとなく落ち着く。なんとなく集中できる。なんとなく入りにくい。なんとなくすぐ出たくなる。なんとなくまた来たくなる。

この「なんとなく」には、すべて建築的な理由があります。天井の高さ、照明の色、窓の大きさ、素材の手触り、音の響き方、動線の設計。これらが組み合わさって、あなたの「なんとなく」をつくっている。

「なんとなく」の正体を知ることは、空間に対して受動的だった自分が、能動的になるということです。

今まで「なんとなく好き」だったカフェが、なぜ好きなのかがわかる。天井が高くて、窓際の席が心地よくて、木のテーブルの手触りが温かいから。それがわかれば、自分の家にも同じ要素を取り入れられる。天井の高さは変えられなくても、照明を変えることはできる。素材感のある家具を選ぶことはできる。窓辺に座る場所をつくることはできる。

「なんとなく」の正体を知ることは、自分の暮らしを自分で設計できるようになる、ということです。

建築は、あなたのためにある

建築は、一般の人にとって縁遠いものだと思われています。

建築家の名前は知らない。建築の賞も知らない。コンクリートの種類も、構造形式も、法規の内容も知らない。建築は専門家のもので、自分には関係ない。

でもそれは、空気について化学式を知らなくても空気を吸っているのと同じです。建築の専門知識がなくても、あなたは毎日建築の中で暮らしている。建築の恩恵を受けている。建築に影響を受けている。

だから建築は、専門家だけのものではありません。

すべての人のためのものです。あなたのためのものです。

あなたが過ごす部屋の天井の高さは、あなたの気分のためにある。窓から入る光は、あなたの体内時計のためにある。壁の素材は、あなたの安心感のためにある。通勤で使う駅の柱は、あなたの快適な移動のためにある。カフェの椅子の角度は、あなたのくつろぎのためにある。

すべての建築は、そこで過ごす「あなた」のために設計されています。

その事実を知ること。それが、いまあなたに伝えたかったことです。

おわりに──景色が変わる瞬間は、いつも小さい

このシリーズを通じて、いつも同じことを願ってきました。

「読んだ後に、いつもの景色がちょっとだけ変わること」

カフェの天井に目が行くようになる。コンビニの棚の高さに気づく。駅の柱を眺める。映画館の暗闇の意味を考える。銀座の歩道の幅を感じる。下北沢の路地の小ささに包まれる。実家のドアを開ける前に、一瞬立ち止まる。

どれも小さな変化です。日常生活に何の支障もない、ほんの一瞬の意識の変化。

でも、その一瞬が積み重なると、世界の見え方が変わります。今まで「ただの背景」だった建物が、語りかけてくるようになる。毎日通過していた空間が、体験になる。

あなたの人生の90%は建物の中で起きている。

その90%の時間を、少しだけ豊かにするために。

空間を、意識してみてください。

きっと、いつもの景色が変わります。


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