見出し画像

建築士がドラえもんを読み返したら、のび太の家の「間取り」が最高だった

はじめに──ドラえもんは「建築マンガ」である

ドラえもんのひみつ道具で、建築に関係するものがいくつあるか数えたことはありますか。

どこでもドア。ビッグライト。スモールライト。タケコプター。もしもボックス。

これらは全部、建築の制約を壊す道具です。どこでもドアは「距離」を消し、ビッグライトは「面積」を変え、スモールライトは「スケール」を書き換え、タケコプターは「高さ」の制約をなくし、もしもボックスは「場所の条件」を丸ごとリセットする。

藤子・F・不二雄先生は、建築士が何十年もかけて解決しようとしている問題を、ひみつ道具一つで解決してしまう。これは建築士にとって痛快でもあり、嫉妬でもあります。

でも今日お話ししたいのは、ひみつ道具の話ではありません。ドラえもんの世界に描かれている「普通の空間」──のび太の家、空き地、しずかちゃんの家、学校──が、建築的にものすごく面白い、という話です。

のび太の部屋は「完璧な子ども部屋」である

のび太の部屋を思い浮かべてください。

二階の角部屋。窓が二面。勉強机が一つ。押入れ(ドラえもんの寝床)。畳敷き。そしてあの部屋には、たしか鍵がありません。

建築士として見ると、この部屋は実によくできた子ども部屋です。

まず二面採光。二つの壁面に窓があるということは、一日を通じて光の変化が豊かです。朝は一方から、午後はもう一方から光が入る。実家の記事で「窓の光には時間割がある」と書きましたが、のび太の部屋には二つの窓による二つの時間割がある。あの部屋で育ったのび太の体は、光の変化を通じて時間感覚を身につけたはずです。

次に畳。床に座る文化の空間です。のび太はよく部屋で寝転がっていますが、畳だからできることです。フローリングの上にそのまま寝転がるのは冷たいし硬い。畳は適度な弾力と温かみがあり、座っても寝転んでも体が楽。子どもが自由に使える床面──これは実は非常に贅沢な空間設計です。

そして押入れ。ドラえもんが寝ている押入れは、子どもにとっての「秘密基地」です。低い天井に囲まれた、体がすっぽり収まる小さな空間。カフェの記事で「プロスペクト・レフュージ理論」を紹介しましたが、押入れはまさにレフュージ(避難場所)そのもの。子どもが押入れに入りたがるのは、本能的に「包まれる安心感」を求めているから。ドラえもんが押入れで寝ているのは、実に理にかなっているんです。

のび太の家の「間取り」が生む家族の距離感

のび太の家の間取りを思い出してみてください。

一階にリビング(茶の間)とキッチン、玄関。二階にのび太の部屋とパパとママの部屋。典型的な昭和の木造二階建てです。

この間取りには、建築的に重要な特徴があります。のび太が自分の部屋に行くには、一階の茶の間の前を通る必要がある。つまり、学校から帰ってきたのび太は、ママの目の前を必ず通過する。

実家の記事で「リビングを通らないと自室に行けない間取りは、家族の接触頻度が上がる」と書きましたが、野比家はまさにこの設計です。のび太が0点のテストを隠して二階に直行しようとしても、ママの目をかいくぐるのは至難の業。あの間取りが、のび太とママの「テストを見せなさい」「やだー」というお約束のやり取りを建築的に生み出しているんです。

もし玄関から直接二階に上がれる間取りだったら、のび太は黙って自室に逃げ込める。ママとの衝突は減る。でも同時に、会話も減る。あの間取りが、野比家の距離感──近くて、少しうるさくて、でも温かい──をつくっている。

現代の住宅設計でも「リビング階段」が人気なのは、まさに同じ理由です。子どもが必ずリビングを通って二階に上がる設計。のび太の家は、何十年も前からこの「家族が自然に顔を合わせる間取り」を実践していたんです。

空き地の「土管」は、子どもの建築である

のび太たちがいつも集まる空き地。あの場所の中心にあるのが、積み上げられた土管です。

この土管が、建築士として見ると非常に面白い。

土管は本来、建築資材であって、居場所ではありません。でも子どもたちはそこに座り、中に入り、上に登り、隠れる。建築資材を「居場所」として再発明している。これは建築の原点とも言える行為です。

人間が最初に住んだのは洞窟でした。自然がつくった穴に入り、そこを住まいとした。土管に入るのび太は、洞窟に入った原始人と同じことをしているんです。円筒形の空間に身を潜め、外の世界から少しだけ守られる。あの土管の中は、子どもにとってのシェルターです。

下北沢の記事で「スケールの小ささが体を包み込む」と書きましたが、土管は子どもの体にぴったりのスケール。大人には窮屈だけど、子どもにはちょうどいい。この「自分のサイズに合った空間」を持つことが、子どもの心の安定にどれほど大切か。のび太が悩んだときに空き地に行くのは、ジャイアンやスネ夫に会うためだけではなく、土管という「自分サイズの居場所」があるからかもしれません。

そして空き地そのものが、建築的に興味深い空間です。塀で囲まれた、建物が建っていない空地。周囲から少しだけ守られていて、でも空が広い。プロスペクト(見晴らし)とレフュージ(囲い)が両立した空間。子どもが集まる場所は、本能的にこの条件を満たしている場所なんです。

しずかちゃんの家が「上品」に見える理由

のび太の家としずかちゃんの家を比べると、空間の描写が明らかに違うことに気づきます。

しずかちゃんの家は、のび太の家より少し広く、少し明るく、少し整っている。庭がきちんと手入れされていて、室内に花が飾られていることもある。

この差は、作中で「しずかちゃんの家はのび太の家より裕福」ということを、セリフではなく空間で示しています。

ホテルの記事で「素材の質と光の量がグレード感をつくる」と書きましたが、漫画やアニメでも同じ原理が使われています。明るさ、整頓度、緑の多さ。これらの要素が「上品さ」を視覚的に伝えている。

一方、ジャイアンの家は小さな商店の二階で、雑然としていて、生活音が溢れている。スネ夫の家は大きくて新しいけれど、やたらと自慢のコレクションが並んでいる。

建築は、そこに住む人の人格を映す鏡です。漫画の中でも、それは変わらない。藤子・F・不二雄先生は、登場人物ごとに異なる住環境を描くことで、キャラクターの背景を言葉なしで伝えていた。建築が「もう一人の登場人物」として機能している好例です。

「どこでもドア」が壊したもの、残したもの

ここで、やはりひみつ道具の話を少しだけ。

どこでもドアは、建築の最大の制約である「距離」を消滅させます。行きたい場所に一瞬で行ける。これは建築にとって、革命的であると同時に、ある意味で破壊的です。

なぜなら、建築の価値の多くは「距離」と「場所」に支えられているからです。駅から近いか遠いか、眺望がいいか悪いか、周辺環境が静かかうるさいか。住まいの記事で「変えられないもの──立地、方角、周辺環境──が住まいの価値を決める」と書きました。どこでもドアがあれば、立地はすべて等価になる。駅から遠いマンションの安さも、都心の一等地の高さも、意味を失う。

でも、どこでもドアが壊せないものがあります。

部屋の中の空間そのもの。天井の高さ、窓からの光、壁の素材、間取りの良さ。これらは距離とは無関係に、そこに存在する空間固有の価値です。どこでもドアでどこにでも行けるとしても、のび太は自分の畳の部屋で寝転がりたいし、ドラえもんは押入れで眠りたい。

距離が消えた世界でも、「居心地のいい空間」の価値は消えない。むしろ、距離というノイズがなくなった分、純粋に空間の質だけが問われるようになる。どこでもドアは建築の制約を壊しましたが、同時に建築の本質──空間そのものの快適さ──を浮き彫りにもしたんです。

のび太が帰りたい場所は、結局「あの部屋」

ドラえもんの物語で、のび太はひみつ道具でさまざまな場所に行きます。恐竜時代、宇宙、海底、魔界。壮大な冒険をする。

でも物語の最後、のび太が帰ってくるのはいつも「あの部屋」です。

二階の角部屋。二面の窓。畳の上。押入れのドラえもん。階下からはママの声がする。

どんな冒険をしても、どんな世界を見ても、帰る場所があるから冒険できる。帰る場所がのび太にとって安全で、居心地がよく、自分のサイズに合った空間だから、安心して外に出られる。

実家の記事で「建築は記憶の容れ物」と書きました。のび太の部屋には、ドラえもんとの思い出が詰まっています。一緒に笑ったこと、泣いたこと、怒られたこと、冒険に出かけたこと。あの畳の部屋に、すべての記憶が染み込んでいる。

ハウルの動く城の記事で「すべての家はハウルの動く城である」と書きましたが、のび太の家も同じです。場所は動かない。でもあの家は、のび太が暮らすことで、ドラえもんが住むことで、毎日少しずつ変わり続けている。

おわりに──あなたの家にも「ドラえもん」がいる

のび太の家は、特別な建築ではありません。

昭和の木造二階建て。どこにでもある、普通の家。でもその普通の家が、一人の少年にとっての全世界の中心だった。

あなたの家も、特別な建築ではないかもしれません。ごく普通のマンションか、アパートか、一軒家。でもそこには、あなたの時間が刻まれている。窓から入る朝の光を覚えている。台所の音を覚えている。自分の部屋の匂いを覚えている。

建築の本質は、壮大さでも美しさでも新しさでもない。人が「帰りたい」と思う場所であること。

のび太にとってのあの部屋。あなたにとってのあなたの部屋。

どちらも、世界に一つだけの建築です。


#建築 #ドラえもん #藤子F不二雄 #アニメ #マンガ #空間デザイン #建築デザイン #建築士 #一級建築士 #暮らし #日常の発見 #建築エッセイ #コラム #間取り #子ども部屋 #昭和レトロ

いいなと思ったら応援しよう!