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ベビーカーを押した日、東京が「別の街」になった

はじめに──同じ街を歩いているはずなのに

東京には段差がある。

こう書くと「当たり前だろう」と思うかもしれません。でもこの「当たり前」が、ベビーカーを押して歩いた瞬間に、まったく違う意味を持ち始めます。

昨日まで何の問題もなく歩いていた通勤路が、ベビーカーを押した瞬間に障害物だらけの迷路になる。昨日まで何も感じなかった駅の改札が、壁のように立ちはだかる。昨日まで意識すらしなかった道路と歩道の2センチの段差が、進行を止める「崖」になる。

同じ街を歩いているはずなのに、まるで別の街に迷い込んだようでした。

建築を学んできた人間として、自分が設計する側にいたことを恥ずかしく思いました。図面の上では「バリアフリー」と書いていた。スロープの勾配を計算していた。でもベビーカーを押すまで、その数値が実際にどんな体験を意味するのか、本当にはわかっていなかった。

今日は、ベビーカーを押して初めて見えた東京の姿をお話しします。

2センチの段差が「崖」になる

最初の衝撃は、歩道と車道の境目でした。

歩道から車道に降りる場所。あるいは横断歩道を渡った先の、歩道に上がる場所。そこに、ほんの2〜3センチの段差がある。

歩いていれば、意識すらしない段差です。でもベビーカーの前輪がこの段差にぶつかると、ガクンと止まる。赤ちゃんの頭が揺れる。持ち上げて越えなければならない。

片手で赤ちゃんの安全を確認しながら、もう片方の手でベビーカーの前輪を持ち上げて段差を越える。これを、一回の外出で何十回も繰り返す。

コンビニの記事で「入口の段差が客を遠ざける」と書きました。あのとき私は、段差の心理的なバリアについて語っていた。でもベビーカーを押す人にとっての段差は、心理的どころか物理的な壁なんです。

歩道の段差は、視覚障がいのある方が歩道と車道の境目を杖で認識するために、あえて設けられている場合があります。だから単純に「なくせばいい」とは言えない。でもその設計が、別の人にとっての障壁になっている。一つの解決策が別の問題を生むこの矛盾こそが、バリアフリー設計の本質的な難しさです。

最近は、段差を2センチ以下に抑えつつ縁石に緩やかな傾斜をつける設計が増えています。でもすべての交差点に行き渡るには、まだ何年もかかるでしょう。

駅のエレベーターが「端っこ」にある理由

ベビーカーを押して電車に乗ろうとしたとき、駅の構造が一変しました。

階段は使えない。エスカレーターも、ベビーカーでは危険とされている。頼れるのはエレベーターだけ。

でも、エレベーターはたいてい駅の端にある。

改札から最も遠い場所。ホームの一番端。乗り換え通路の一番奥。エレベーターにたどり着くまでに、駅の中を大回りしなければならない。

これは建築的に考えれば理由がわかります。エレベーターは建物の構造体の中に大きな「穴」を開ける設備です。ホームの中央に設置すると、構造的にもスペース的にも負担が大きい。だから構造的に余裕のある端部に配置される。

理由はわかる。でも結果として、ベビーカーを押す人、車椅子の人、大きな荷物を持った人──エレベーターを最も必要とする人たちが、駅の中で最も長い距離を歩かされている。

駅の記事で「乗り換えやすい駅は、建築が体を導いている」と書きました。でもそれは「歩ける人」にとっての話でした。ベビーカーや車椅子の人にとっての駅は、「導かれる」どころか「迂回させられる」空間だった。

ホームドアの記事で「ホームドアが安全だけでなく空間体験を変えた」と書きましたが、同じようにエレベーターの位置一つで、駅の体験はまるで変わるんです。

「バリアフリー」と書いてある場所が、バリアだらけだったりする

商業施設の入口に「バリアフリー対応」と表示されていて、安心して入ったことがあります。

たしかに入口にはスロープがあった。でも店内の通路が狭くて、ベビーカーでは商品棚の間を通れない。エレベーターは従業員用で、客用は階段のみ。授乳室は3階にあるが、エレベーターで行けるのは2階まで。

「バリアフリー対応」という言葉が示すのは、多くの場合「入口にスロープがある」というだけの意味でした。入口から先の動線、空間の幅、上下階の移動手段、必要な設備へのアクセス──空間全体がバリアフリーかどうかは、また別の問題。

ショッピングモールの記事で「動線設計がお客の行動を決めている」と書きましたが、ベビーカーユーザーにとっての動線は、一般客の動線とはまったく別のものです。エレベーターの位置、通路の幅、段差の有無、ドアの開閉方式。これらをすべてクリアして初めて「移動できる」になる。一つでも欠けたら、そこで行き止まりです。

銀座の記事で「歩道の幅が街の格を決めている」と書きました。あれは歩行者の快適性の話でした。でもベビーカーにとっての歩道の幅は、快適性ではなく「通れるか通れないか」の問題。幅が90センチを下回ると、ベビーカーの横をすれ違う人が通れない。結果、どちらかが道を譲るか、片方が車道に出る。

「時間」のバリアが一番つらい

段差や狭さは、目に見えるバリアです。でもベビーカーを押して最もつらかったのは、目に見えないバリアでした。

「時間」のバリアです。

エレベーターを待つ時間。迂回する時間。段差を越えるために立ち止まる時間。スロープを探す時間。一つひとつは数十秒から数分。でもそれが積み重なると、徒歩15分だった距離が30分になる。

赤ちゃんは待ってくれません。おなかが空いたら泣く。眠くなったら泣く。おむつが汚れたら泣く。「あと5分でエレベーターに着くから」は通用しない。

この時間のバリアが、ベビーカーを押す人の行動範囲を狭めています。「あの店に行きたいけど、駅のエレベーターが遠いから諦めよう」「あの公園に行きたいけど、途中のスロープがないから別の公園にしよう」。

建物や街の物理的なバリアが、人の選択肢を奪っている。行きたい場所に行けない。やりたいことができない。これは「不便」ではなく「排除」です。

映画館の記事で「暗闇が自分を消す」と書きました。東京のバリアは、ベビーカーを押す人を「見えない存在」にしている。同じ街にいるのに、同じ体験ができない。同じ場所にいるのに、同じ速度で動けない。静かに、しかし確実に、都市が特定の人を排除している。

「目線の高さ」が変わると、すべてが変わる

ベビーカーを押して歩くと、自然と目線が変わります。

普段は前方や看板や建物のファサードを見ている。でもベビーカーを押していると、目線が地面に落ちる。路面の状態、段差の有無、マンホールの蓋、側溝の溝。赤ちゃんの乗り心地を左右するすべてが、足元にある。

この「目線の変化」で、東京の地面がいかにデコボコかを知りました。

アスファルトの補修跡。電柱の根元のふくらみ。タイル舗装のズレ。点字ブロックの段差。工事現場の仮設鉄板。雨の日のマンホールのツルツル。

歩いていれば何も感じないこれらの地面の凹凸が、ベビーカーの車輪を通じて赤ちゃんに振動として伝わる。赤ちゃんがせっかく眠ったのに、マンホールの段差でガタンと揺れて起きてしまう。あの瞬間の絶望は、体験した人にしかわからない。

身体の記事で「足の裏が建物の声を聴いている」と書きましたが、ベビーカーの車輪は「街の地面の声」を聴いている。そしてその声は、歩行者には聞こえない声です。

「やさしい設計」に出会うと、泣きそうになる

ここまでバリアの話ばかりしてきましたが、東京にはベビーカーにやさしい空間もあります。そしてその空間に出会うと、本当に泣きそうになるんです。

駅のエレベーターの中に鏡がある。あれは、車椅子やベビーカーの人が後ろ向きに出るとき、背後を確認するための鏡です。何気ないけれど、「あなたのことを考えて設計しました」というメッセージが伝わる。

商業施設のトイレに、ベビーカーごと入れる広い個室がある。おむつ替え台だけでなく、着替え台やベビーチェアもある。ここに来れば、赤ちゃんのことに集中できる。それだけで、外出のストレスが半分になる。

ホテルの記事で「空間が人の行動を導いている」と書きましたが、やさしい設計は「あなたはここにいていいですよ」と空間が語りかけてくれる設計です。段差がないスロープ。広い通路。見つけやすいエレベーター。その一つひとつが「排除」ではなく「歓迎」のメッセージになっている。

星のや東京の記事で「靴を脱ぐ一歩が世界を変える」と書きましたが、バリアフリーの設計も同じです。段差がないたった一歩が、ベビーカーを押す人の世界を変える。

ベビーカーナビをつくった理由

ベビーカーを押して東京を歩き、私はアプリをつくることにしました。

バリアフリーのルートを検索できるベビーカー専用のナビゲーション。エレベーターの位置、スロープの有無、段差のない経路。事前にわかっていれば、少なくとも「行ってみたら通れなかった」という絶望は避けられる。

このアプリを開発する中で、改めて気づいたことがあります。バリアフリーの情報は、驚くほど散在しているということ。駅のエレベーターの位置は鉄道会社のサイトにある。商業施設のバリアフリー情報は各施設のサイトにある。歩道の段差の情報は、どこにもない。

情報がまとまっていないこと自体が、バリアなんです。

建築を学んできた人間として、建物を「設計する側」の論理はわかる。構造上の制約。コストの問題。法規の限界。でもベビーカーを押す側に立って初めて、設計する側の論理では見えない現実があることを知りました。

おわりに──街はまだ「半分の人」のためにしかつくられていない

このシリーズでは、建物が人の心理や行動にどう働きかけているかをお話ししてきました。カフェの居心地、コンビニの動線、銀座の歩道、映画館の暗闇。

でもそれらの話はすべて、「健康な成人が一人で歩いている」前提の話でした。

ベビーカーを押す人。車椅子の人。杖を使う人。大きな荷物を持った人。小さな子どもと手をつないでいる人。高齢で歩幅が小さい人。

街の半分の人は、私がこれまで書いてきた「心地よさ」を体験する手前の段階──「そもそもたどり着けるか」で立ち止まっている。

建築は人を幸せにする力を持っています。でもその力が、すべての人に届いているわけではない。

段差2センチ。通路幅90センチ。エレベーターまでの距離200メートル。これらの数値が、ある人にとっては何でもなく、ある人にとっては越えられない壁になっている。

私はベビーカーを押して、この壁を知りました。壁を知った以上、知らなかったふりはできない。

だからこれからは、「建築士の目で日常を見る」シリーズに、もう一つの目線を加えていきたいと思います。

ベビーカーの目線。

街を90センチの高さから見る目線。地面の凹凸を車輪で感じる目線。エレベーターを探して歩く目線。

この目線が加わることで、建築と空間の話は、もう少しだけ広く、もう少しだけ正直になれる気がしています。

次にベビーカーを押している人とすれ違ったら、ほんの一瞬でいいので、その人の足元を見てみてください。その人が今まさに越えようとしている段差が、見えるかもしれません。

その段差は、たった2センチです。

でもその2センチが、街の形を変える最初の一歩になるかもしれない。


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