見出し画像

森が人里を取り戻すとき――人口減少社会と「所有の倫理」

早朝の山あいを、子連れの熊が歩いている。霧に包まれた畦道の先で、柿の実が風に揺れ、遠くで人の気配はもうしない。
ニュースでは「熊が人里に降りてきた」と報じられるが、本当は少し違うのかもしれない。熊が降りたのではなく、人間が静かに山から退いていった――。

それは、生態系の異常ではなく、私たちの社会構造そのものの変化である。


人のいなくなった土地が、自然に戻っていく

かつて日本の山里には、人の暮らしと森の境界があった。田畑を耕し、薪を取り、落ち葉を堆肥にする。人の生活音が森のリズムの一部を形づくっていた。
しかし今、全国の山間部ではその気配が薄れている。農林水産省の調査によると、全国の耕作放棄地は約42万ヘクタールに達し、九州の半分に相当する。農業人口の高齢化と後継者不足が進むなかで、田畑は手入れされぬまま雑木林へと変わりつつある。

その静かな変化の中で、熊や鹿、イノシシが再び姿を見せ始めた。人の音や匂いが消え、放置された果樹園の実が熟して落ちる。野生が“降りてきた”というより、人間が退いた空白に自然が戻ってきた――そう考える方が近いだろう。


「所有」という幻想の終わり

それでも人間は、山を所有し続けている。誰も住まず、誰も耕さないのに、土地は依然として「誰かのもの」として記録されている。
法務省などの推計では、所有者が特定できない土地――いわゆる「所有者不明土地」がすでに約410万ヘクタールに及び、九州本島を超える広さに達しているという。登記が戦前のままの山林や、相続されず放棄された農地。名義は残っても、実際には誰も責任を負っていない。

「土地を持つこと」は、かつては誇りであり、家の象徴だった。だが、いまやその所有は、「登記簿上の幻影」となりつつある。
人が減り、地域が老い、維持の手が途絶えたとき、所有という制度は何を意味するのか。所有と責任の間に生じた“空白”こそが、現代の里山を変えてしまったのだ。


森が人間に問いかけていること

人が去った土地に森が戻る。それは衰退ではなく、自然の回復力の発露でもある。だが同時に、私たちは不安を覚える。「もう人が住まない土地を、どこまで人間が管理すべきなのか」。
熊の出没も、私たちの社会が抱えるその矛盾の象徴である。自然は、私たちに「所有とは何か」を静かに問いかけている。
この現象は熊の問題ではなく、人間中心主義の限界があらわれた社会の鏡だ。私たちは長く「自然を支配する」ことを進歩と信じてきたが、人口減少が進み、誰も維持できなくなった今、その思想は行き詰まりを見せている。
自然は“奪い返している”のではなく、“人間が手放す準備を始めている”のかもしれない。


海外が示すもう一つの未来 ――「リワイルディング」という発想

同じ現象は、ヨーロッパでも進んでいる。スコットランドでは、19世紀に失われた森を再生するために「リワイルディング(Rewilding)」と呼ばれる取り組みが始まった。人が放棄した土地を自然に委ね、野生動物の回帰を促す。人間の管理ではなく、自然の自己回復力に任せる発想だ。
オランダのオーストヴァーデルスプラッセン自然保護区では、人の手を極力排し、草食動物の行動に任せて湿地を再生している。スペイン北部では、人口流出で空いた山岳地帯に熊やオオカミが再び定着し、空白の土地が「生態系の回廊」として活用されている。

これらの取り組みに共通するのは、「自然を保護する」ではなく、「自然と再交渉する」という視点だ。
人が完全に支配するのでも、完全に手放すのでもなく、“共に住まわせてもらう”という新しい倫理である。
退くことを「敗北」ではなく、「共存の始まり」と捉える――その思想は、人口減少が避けられない日本にも確かな示唆を与えている。


手放す勇気と、関わり続ける意思

日本でも、こうした考え方を取り入れる動きが出てきた。放棄地を地域共有のコモンズとして再利用し、里山を教育や観光、研究の拠点として再生する。所有から共有へ、管理から関係へ。
手放すべきは、「所有=支配」という近代の発想。そして、持ち続けるべきは「関わり続ける意思」だ。土地を“持つ”のではなく、その土地と対話を続け、責任を持つ。自然に戻った森を恐れず、見守りながら、人と野生のあいだに“新しい距離”を築く。それが、人間が再び自然を受け入れるということだ。


共存社会への道

熊が里に現れるようになったという事実は、私たちが「境界を持たない社会」に入りつつあることを示している。都市と地方、人と自然、所有と無主――その線が溶けていくなかで、求められているのは“管理”ではなく、“共存の構想力”である。
私たちが失ったのは、土地そのものではなく、「土地との関係」だ。森を守るとは、木を切ることでも柵を設けることでもなく、その土地に対して責任あるまなざしを持ち続けることである。

森は、静かに問いかけている。
「あなたたちは、まだこの地を“自分のもの”と呼びたいのか」と。
そしてこうも告げているように思う。
「私は、あなたたちを拒んでいない。離れていったのはあなたたちの都合ではないのか」と。

その声を聞き取れるかどうか。
それこそが、人口減少社会を生きる私たちの成熟を試す問いなのだ。

いいなと思ったら応援しよう!