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本物の文脈が、広告の形を借りた日 〜ソフトバンク×龍、1分30秒の解剖〜

仕事柄、CMを見るとき「どんな意図で作ったんだろう」と考えながら見てしまう。ターゲットは誰か、何を訴求しているか、タレントの使い方はどうか。職業病みたいなもので、気づいたら分析している。

ソフトバンクのCMにリアルアキバボーイズの龍が出た。1分30秒。ダンスが下手な高校生が、くじけそうになりながらも練習を重ねて、スタメンに選ばれる。BGMはimaseの楽曲。「動きだせば、景色は変わる。」というコピーだけが最後に出て、映像は終わった。

料金プランの説明はない。スペックの数字もない。キャンペーン期間も、申し込みURLも、何もない。「ソフトバンクはダンスを応援しています」というコピーが一行あるだけだ。白い犬でおなじみの「白戸家」シリーズの時のような、明確な商品の訴求はなくなっている。

ファンのコメントも活発で、「思わず最後まで見ちゃった」「普通に泣いた」「龍がいるだけで見る」。そして「ソフトバンクさんありがとう」という、ブランドへの見方が変わった言葉も混じっていた。

ブランドへの驚きであり、信頼の芽生え。15秒で訴求ポイントを詰め込んでも、絶対に生まれない感情である。


これは思いつきではない

見終わってから、少し調べた。

ソフトバンクはDリーグが発足した2020年から、トップパートナーとして名を連ねている。しかも「お金を出す側」ではなく、avexやKADOKAWAやサイバーエージェントと並んで自社チームを持つプレイヤーとして、ずっとそこにいた。

マーケティングの現場でよく見る失敗のパターンがある。「今これが流行ってるから予算をつけよう」という動きだ。流行っているものを見つけて、有名な人を呼んで、ロゴを貼る。悪意はないし、合理的に見える判断でもある。でも見ている人には伝わる。「この企業、今これが流行ってるから使ってるんだな」という空気が、どこかににじむ。ブランドの文脈と、カルチャーの文脈が、表面でくっついているだけで、根っこでつながっていない感じ。

ソフトバンクのダンスへの関わり方は、そうではなかった。まだ誰も「Dリーグが来る」とわかっていないタイミングで、チームとして現場に入った。流行に乗ったんじゃなくて、一緒に作ってきた側だ。

それを知ったとき、あの1分30秒の重さが少し変わった。見る前と見た後で、同じ映像なのに、違うものに見えた。コンテキストが変わると、コンテンツの見え方が変わる。マーケティングの教科書に書いてありそうな話だけど、改めて実感する。


「誰が出るか」より「誰の物語か」

タレントキャスティングは、広告制作の中でも最も議論になる工程のひとつだ。「誰が出るか」で話題量も視聴完了率も変わる。でもこのCMを見て思ったのは、問いの立て方が違うということだった。「誰が出るか」じゃなくて「誰の物語か」が、本当の問いだった。

龍は今大学生。15歳でリアルアキバボーイズに入って、ニコニコ動画とYouTubeの中で育って、世界大会で挑戦して、武道館に立った。(間違ってたらごめん)
テレビが作ったスターじゃない。事務所が売り出したアイドルでもない。インターネットの上で、見ている人と一緒にリアルタイムで積み上げてきたキャリアだ。彼の成長過程を、近くで見てきた人たちがいる。

そういう「知っている人たち」にとって、龍はただの有名なダンサーじゃない。物語の主人公だ。しかもその物語は、まだ終わっていない。

そして今回のCMの主人公は、「ダンスが下手な高校生」だ。

龍を出しながら、龍の物語を直接語るんじゃなくて、「ダンスが下手な高校生」の物語を見せる。でもそれを見ている人の頭の中では、自然と重なる。「あのRABの龍も、あの頃はああだったんじゃないか」。言葉にしなくても、そう思わせる。劇中の高校生が泣きそうになるシーンで、龍の過去を思い浮かべる。そういう見方をさせる構造になっている。

(自分がつくづくおじさんになったなと感じるのは、こういうことを考えすぎて感情移入し思わず涙ぐんでしまう瞬間である)

有名人のイメージをブランドに転写するような「あの人が使っているなら信頼できる」という思考とは少し違う。このCMがやっているのは、龍というダンサーの記憶を視聴者の中に呼び起こして、劇中の物語と接続させることだ。技法として繊細で、難しい。ちょっと間違えるとファンからの批判にも繋がりかねない。
それが成立しているのは、龍に本物の物語があるからだ。作られたイメージじゃなくて、積み上げてきたリアルがあるから、見ている人の記憶と結びつく。

起点は「有名人を広告に使う」ではない。「過去を持っている人の、原点を映す」だ。龍がいなければ成立しない映像で、でも龍の話を直接しているわけじゃない。その余白が、見ている人を物語の中に引き込む。CMを見終えたあと、龍(RAB)を検索した人が絶対にいたと思う。それは設計されたものというより、本物を作ったら自然にそうなった、という感じがした。


細部に宿るもの

楽曲の選択についても、少しだけ触れておく。

imaseもまた、テレビや大手レーベルが作ったアーティストじゃない。TikTokから火がついて、インターネットの外に広がっていった人だ。龍と同じにおいがある。ソフトバンクがその二人を同じCMに置いたのは、「旬な人を集めた」んじゃなくて、「同じ文脈を持つ人を選んだ」ということだと思う。

アーティストを選ぶとき、「この曲、今バズってますよね」という提案をよく聞く。それ自体は悪くない。でもこのCMのimaseの使い方は、そういう感じがしなかった。BGMの一択で、このブランドがどこに立っているかが伝わる。そういう細部の選択が、映像全体の「本物感」を支えている。
(曲に「青春感」があることは前提ではあるが)


「削る」という判断

テレビCMは15秒か30秒が普通。それが業界の常識で、枠の単価もそこで決まっている。15秒版・30秒版という前提が最初から入っていることが多い。

でも今、YouTubeやTikTokで育ってきた人たちにとって「面白ければ何分でも見る」は当たり前になっている。逆に、面白くなければ1秒でスワイプされる。「長いから見ない」じゃなくて「つまらないから見ない」だ。

このCMが1分30秒で最後まで見られたのは、商品説明を全部削って、物語に全振りしたからだと思う。削ったことが、成立させた。

現場にいると、これがどれだけ難しい判断かわかる。「せっかく尺があるなら、商品訴求も入れられませんか」という声が必ず出る。プランナーとしても「もう一つ訴求軸を足せばROIが上がるかもしれない」という計算が頭をよぎる。それを全部断って、物語だけを残す。その判断を通せたのは、6年間ダンスに関わり続けてきたソフトバンクが、「このCMで何を届けたいか」を本当にわかっていたからだと思う。何を入れるかより、何を捨てるかを決めた。それがこの映像を作っている。

サイバーエージェントの調査によれば、2025年の縦型動画広告市場は前年比155.9%、2,049億円規模で伸びている。フォーマットの話として読めば「縦型に予算を移すべき」という結論になる。でもこのCMが教えているのはそこじゃない。縦型にしても横型にしても、コンテンツとして成立していなければ届かない。フォーマットより先に、「何を届けるか」がある。


広告がエンターテイメントに近づいたんじゃない

電通が出した日本の広告費を読んで、広告業界の人たちが「コンテンツマーケティング」「ストーリーテリング」という言葉を使いながら、エンターテイメントに近づこうとしている、という話が前回。

今回の事例を見て、もう少し正確に言い直せる気がしている。

広告がエンターテイメントに近づこうとしているんじゃない。エンターテイメントの中にいた人たちが、広告を作り始めている。順番が逆。

龍はダンサー。imaseはインターネット発のアーティスト。ソフトバンクは、6年間ダンスリーグの現場に立ち続けてきた企業。
この三者が重なった場所で生まれたものを「CMを作った」と呼ぶより、「本物の文脈が広告の形を借りた」と言う方が近い。

広告の仕事をしていると、「広告っぽくない広告を作ろう」という議論がよく起きる。でも「広告っぽくなくしよう」として作られたものは、どこかにその努力のにおいが残る。このCMにはそれがない。最初から文脈の内側にいる人たちが作っているから、「広告っぽくない」を目指していない。結果として、そうなっている。

「面白くなければ、届かない」。8兆円の市場が証明したそのシンプルな事実を、1分30秒の映像が体現していた。その「面白さ」は、技術でも予算でも演出でもなくて、本物の文脈があるかどうかだったと思う。文脈は、お金で買えない。時間をかけて、現場にいることでしか作れない。ソフトバンクが6年間やってきたのは、それだった。

会ったことがある人間がどんどん大きな場所で活躍していて嬉しくなって思わず書いた。


ここまでお読みいただきありがとうございました!

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