夜店からたち|【短編小説】【シロクマ文芸部】
夜店からたち、それは、父の店の名前です。
おんぼろの軽トラックを改造した、ちいさな屋台でした。
メニューは、自家製のからたち酒と、落花生だけ。店を出すのは、火曜と金曜の夜八時から十時までの、ほんの僅かな時間でした。
店の場所は、祖父母が父に遺した、古い家の駐車場でした。家の生垣は、からたちの木で、父はその実を使って、店に出す果実酒を作りました。
父のからたち酒は、絶品だったとか。ご近所さん相手の、ままごとみたいな店でしたが、熱心な常連客が居たそうです。
勿論、店の売り上げで生活出来る筈もなく、昼間の父は、便利屋をして暮らしていました。庭木の手入れから犬の散歩まで、頼まれれば大抵の事は何でもやりました。
ネットなど無い時代の事ですが、ご近所さんに恵まれたのでしょう。父の仕事が丁寧だからと、知人に紹介してくださる方々のお陰で、どうにか慎ましく暮らす事が出来ていたようです。
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長く独り身で暮らしてきた父が、母と結婚した時は、ご近所さんの間で、随分と話題になった様です。その頃、父は四十を過ぎていて、母は二十代の半ばでした。
母は、夜店からたちの常連客のひとりでした。隣町のアパートで暮らしていた母が、長い散歩の途中、父の店を見つけたのが、きっかけだそうです。
「その日は仕事でミスをして、家に帰りたくなくて。闇雲に歩き回ってたら、お父さんのお店にたどり着いたの。興味本位で注文したのに、からたち酒を飲んだら、お母さん、何だか泣けちゃってね。このお酒をまた味わう為に、仕事頑張ろう、って思ったの」
からたち酒に惚れ込んだ母は、次第に父の人柄にも惚れ込んで、熱烈にアプローチしたそうです。当初、父はかなり消極的だったようですが、母の二年越しのアプローチの結果、ふたりは結婚する事になりました。
結婚して二年後に、私は生まれました。父は便利屋の仕事を大幅に減らし、家事と育児を引き受けて、母は大黒柱となって家計を支えました。
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夜店からたちは、私が生まれてからも相変わらず、火曜と金曜に二時間だけ、店を開けていました。
私の人生で最初の記憶は、開店日の食卓の情景です。
火曜と金曜には、母は残業を入れず、急いで帰ってきました。両親揃っての夕食が嬉しくて、はしゃぐ私の口元に、母は懸命にスプーンを運んでくれます。
父は、私と母の姿に目を細めながらも、さっと食事を終え、床下の収納から、重そうな瓶を取り出します。私は、途端に悲しい気持ちになってぐずり始めます。
あの瓶を取り出すと、父は玄関の外に出てしまいます。いつもの様に、絵本を読んでくれる事も、子守唄を歌ってくれる事もありません。
「ごめんな。これはまだ、秋実には毒だから、飲ませる訳にはいかないんだ。秋実が大人になったら、一緒に飲もうな。お父さん、その日が楽しみだよ」
そう言って、父は、大きな手のひらで、私の頭を撫でてくれるのでした。
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親子三人の生活が、大きく暗転したのは、私が五歳の時でした。
真夜中、襖の向こうの両親の話し声で、私は目覚めました。
「すまない。ほとぼりが覚めたら、必ず迎えに行く」
「うん、待ってるから。だけど、悔しい。私は秋実を守りたいけど、本当は、あなたの事だって、同じくらい守りたいのよ。もっと私に力があればいいのに」
「こんな俺に、そんな事を言ってくれるなんて。俺の方こそ、自分が情けないし、悔しいよ。本当にすまない」
幼い私には、両親の話の内容はよく分かりませんでしたが、不穏な空気だけは伝わりました。このまま寝ていてはいけない気がして、布団を抜け出し、そっと襖を開けました。
「あらあ、どうしたの? 秋実ちゃん?」
母は赤い眼をしていましたが、私を見ると、明るい声を上げて、おどけた顔を見せました。
「……おしっこ」
お手洗いに行きたい訳ではありませんでしたが、私には、他に何を言えば良いか分かりませんでした。でも、それが正解だったのでしょう。二人とも、笑ってくれました。
母と一緒にお手洗いから戻ると、父が私を抱き上げてくれました。
「秋実、随分重たくなったな。こうして秋実が元気に大きくなってくれるのが、お父さんもお母さんも、何よりも嬉しいんだ。俺たちの宝物だよ、秋実は」
父は幸せそうな笑顔でした。母も先程よりもずっとリラックスした表情で、私の頭を撫でてくれました。私は安心したのでしょう。次第に眠くなり、そのまま父の腕の中で眠り込んでしまいました。
それが、父と過ごした最後になりました。
眠り込んだまま、私は車に乗せられて、目覚めた時には、知らない町の知らない部屋に居ました。側にいるのは母だけで、父の姿はありませんでした。
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今でも、何があったのか、詳しくは分かりません。私が知っているのは、父が便利屋の仕事の上で騙されて、何か良くない事を引き受けた、という事だけです。
私を守る為に、両親は離婚し、離れて暮らす事になりました。
母は仕事を辞め、私を連れて遠い町へ居を移し、小さな食堂で住み込みで働き始めました。
父の行方は、分からなくなりました。親子三人が暮らした古い家は、人手に渡り、取り壊されて、アパートに建て替えられた様です。
形だけのつもりで離婚届に判を押した母は、父が復縁に訪れるのを待っていましたが、どれだけ待っても、父が私達の前に姿をあらわす事はありませんでした。
「お父さんは、嘘をつくような人じゃなかった。『ほとぼりが覚めたら、必ず迎えに行く』って、そう言ってたんだもの。きっとまだ、ほとぼりが覚めてないんでしょう」
どれだけ時間が経っても、母は口癖の様にそう言い続けました。
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大人になった私は、「からたち」と名のつく店や、からたち酒を置いてある店を探しては、訪れるようになりました。日本全国、どんなに遠くても、お金を貯めては足を運びました。
「昔、母から、からたち酒の美味しいお店の話を聞かされて、一度飲んでみたいと思ってたんです。お店の名前は、夜店からたち、だそうです。聞いた事、ありますか?」
自分の素性を話し過ぎないように気をつけながら、店の人に、そんな質問をする事もありましたが、夜店からたちを知る人は、誰も居ませんでした。
幾つ店を訪れても、父の手掛かりを何も得られないまま、時間は過ぎていきました。
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父との別れから、何十年も経ちます。
「まだ、ほとぼりが覚めてないんでしょうね。私が生きている内に、覚めると良いけど」
めっきり白髪の増えた母は、時々、冗談めかしてそう言います。
実のところ、もう、生きている父に会える可能性どころか、父を知る人に会える可能性だって、限りなく低いでしょう。
そう分かっていながら、習慣的に「夜店からたち」で検索を掛けたある日、私は、息を呑みました。
父の店と同じ、夜店からたち、という名のお店が、隣町にオープンするというのです。
お店のサイトを確認すると、父の店とはまるで違った、お洒落なショットバーでした。
だけど、豊富なお酒のメニューの中に、「からたち酒」があります。乾き物が中心のフードメニューの中には、「落花生」の文字もありました。
サイトには、予約ページもありました。オープン初日は金曜日で、既にかなり混み合っている様でしたが、午後八時に、カウンター席の予約が取れました。
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「ご予約の千葉様ですね。お待ちしておりました」
にこやかなマスターは、私と同年代の男性でした。
「どちらでこの店を知ってくださったんですか? オープン初日に予約を入れてくださったのは、以前勤めていた店の常連様の他には、千葉様だけでしたので」
店内のボックス席は賑わっていましたが、カウンター席は、私の他には、年配の男性が隅の方にひとり居るだけで、話しやすそうな雰囲気でした。
「こちらのお店、母が昔好きだったお店と、名前が同じなんです。からたち酒が美味しかったと聞いてます。いつか私も飲みたいなって、憧れていました。残念ながら、私が成人する前に閉店したんですけどね。こちらのお店にも、からたち酒、置いてありますよね。もしかして、のれん分けとか、何か関係あったりします?」
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千葉と名乗る女性客は、笑顔だったが、眼差しは真剣さを隠せなかった。
俺はオーナーからの指示通り、愛想良く答えた。
「いえ、同じ名前のお店があったなんて、知りませんでした。全くの偶然ですけど、素敵なお話ですね。この店の由来が、そのお店だったらいいのにな、って思いましたよ」
女性客は、落胆を押し殺した顔で微笑んだ。
「そうですよね。偶然ですよね」
「でも、折角ですから、この店のからたち酒を、お試し頂くのは如何でしょう?」
「お願いします。あと、落花生も頂けますか?」
「かしこまりました」
俺はオーナーのからたち酒を、ふたつのグラスに注いだ。落花生の皿もふたつ用意する。
「お待たせ致しました」
愛想良く声をかけて、からたち酒のグラスと落花生の皿を、女性客の前に置く。
女性客がグラスをしみじみと眺めている間に、カウンターの隅のオーナーの前にも、俺は、同じグラスと皿を置いた。

★小牧幸助さんの企画「シロクマ文芸部」に参加しました(お題「夜店から」)。
小牧さん、ありがとうございます。
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