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SS『可織関塊図絵』/#青ブラ文学部 「これ性」/関塊=かかわりの塊り

「これ性」という哲学用語を山根様の記事に見たとき、ボクの頭のなかで玉突き事故が起きた。ヤバいって思ったけれど、後のお祭り。
 中世哲学での問題提起や、現代哲学への思惟継承を知ったら、よけいに混乱してきちゃった。なぜって、ボクの論理回路ときたら、航空図や等高線に真っ赤なルージュで気分任せに波を描きなぐったみたいなんだもの。
「可織、静かにしなさい! 何、わめいてるの」ママの怒った声が階下から聞こえひびいた。
イケナイ!   ボクはまた、知らないうちに踊りだして、呼ぶみたいに歌っていたようだ。
     スマホからは今、ボクが推してるイケボーイのグループ「shimokita Danshi」プロモ動画が流れてる。もう、まどろっこしいから告っちゃう。ハタチのボクがジャスト現在進行形で<<かけがえのないもの>>と考えているのが「下北男子」の「猿飛クン」が可織にGiftしてくれちゃったミュージック動画『下北男子Super  Live2024』なの。
    けれど、これはCDでもDVDでもないし。つまり、物体ではなくて、動画Downloadのリンクaddressというデータだ。「これ性」として人や家族、生き物は禁止とあったけれど、これは大丈夫かしら。時代だものネ。
    ふつうの論理思考の行程からいけば、これが「これ性」に相当する。でもここが、ボクの頭がハチャメチャにぼんやりしてしまうところなのだけれど。「これ性」という用語はイージとして、どうしても「一点指し示し型ベクトル」という収斂へと向かいがちだ。
     でもボクの考えている「関わり合いの塊」は広がり膨れあがる関係性を寄せ集め、おむすびのように握る行為なのだ。ボクは ここに感性次元で似て非なるものを見てしまう。
    ボクの「関塊」は、絶対無二なものであればあるほど、 縛りは多く、がんじがらめである。贈られたデータに例にをとれば「猿飛クンの愛、自信、自グループへの愛、誇り 」「可織の愛授心、猿飛クンへの愛拡張、下北男子へのよりいっそうの推し溺れ」などなど。
    そしてボクは自由を失なってゆく「関塊」を前に、金縛り感にさいなまれているじぶんを発見する。 
    そして、ひらめき思う。ボクは感じ考える。見られるものや、贈られるものを増加させるしか方法はないと結論づける。「これじゃなきゃイヤなものを増やそうというボクって、自己矛盾の塊りでもあるみたい。フリルが大好きなのにコーデを考えるとき、必ずフリルを避けている。  感性ってほんとうに我がままなんだから。
<おわり>   1070文字







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