毒親を介護することになった人へ〜施設の窓口で、母の遺産の話をされた。
火曜の午後、市役所の窓口で番号札を取った。
七十二番。前に十四人。
順番を待つあいだ、隣の椅子に座った老人が、娘らしき女性に小声で怒っていた。「なんでお前が決めるんだ」「お前の金じゃないだろう」。女性は黙って、書類を鞄にしまい直していた。
私はそれを見ないふりをしながら、ずっと見ていた。
自分の番が来て、窓口の職員に「母の要介護認定の申請に来ました」と言うと、最初に聞かれたのは病状でも、生活状況でもなかった。
「介護費用の負担者様は、どなたになりますか」
一瞬、言葉に詰まった。
母とは、もう八年、まともに口をきいていない。最後に会話らしい会話をしたのは、父の葬儀の日だった。あの日、母は喪服のまま、私にこう言った。「あんたが親の面倒を見るのは当たり前でしょう」。育ててもらった恩を、そこで初めて数字として突きつけられた気がした。
それから月日が流れ、母は一人で暮らしていた。私は距離を置いた。連絡先は変えなかったが、こちらからかけることはしなくなった。それが、私なりの決着のつもりだった。
先月、地域包括支援センターから電話があった。母が転倒し、入院したという。身元引受人の欄に、私の名前しかなかった。
窓口で「負担者様は」と聞かれたとき、頭に浮かんだのは、育ててもらった感謝でも、積年の怒りでもなかった。
「これは、私が払うべきものなのか」
という、ただの、乾いた疑問だった。
私はこれについて専門家として調べたわけではない。ただ、自分の身にそれが起きて、同じ立場の人たちの話を、いくつも聞くことになった。介護の窓口で、同じような顔をした人たちを何人も見た。
なぜ人は、育ててくれなかった親の介護を、それでも背負おうとしてしまうのか。 お金は、法律上、どこまで払う義務があるのか。 「縁を切る」という選択は、現実にどこまで可能なのか。 罪悪感を持たずに距離を取るには、何が必要なのか。
この先には、そうした問いへの答えを置いている。
なぜこの重さだけ、逃げてはいけない気がするのか
会社の上司が理不尽でも、辞める選択肢がある。
友人関係が壊れても、離れる自由がある。
けれど「親の介護」だけは、なぜか多くの人が、逃げることに強い罪悪感を持つ。
不思議なことに、その罪悪感の強さは、親にどれだけ愛されたかとは、あまり関係がない。
むしろ、愛されなかった人ほど、強く縛られていることがある。
これは私の勝手な仮説だが、たぶん、こういうことだ。
愛された記憶がある人は、「もう十分返した」と思える瞬間がある。けれど、愛された記憶が薄い人は、いつまでも「まだ足りていないのではないか」という不安の中にいる。だから、介護という形で、埋まらない何かを埋めようとしてしまう。
これは美談ではない。
介護は「感情の清算」ではなく「制度の手続き」として設計されている
介護保険の窓口は、あなたの家庭がどんな過去を持っていたかを、聞いてくれない。
「毒親でした」と言っても、要介護度の判定基準は変わらない。負担割合表は、親子の情緒的な関係性ではなく、所得と資産で決まる。
つまり制度は、あなたの傷を、まったく評価しない。
これは冷たいようでいて、実は使い方によっては味方になる。
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